言わせたい 5


 次にイルカに会ったのは一月後だった。親子揃って夕飯に呼ばれていた。
(イルカはオレのこと覚えているかな…)
 まだ小さな子供だし、遊んだことなど忘れてしまったかもしれない。でも「またね」と言ってくれた言葉を頼りに父さんの後を付いていった。
 心なしか父さんが浮かれてる。玄関まで来ると呼び鈴を押す父さんの後に立った。変に緊張して胸がドキドキした。
 中で人の気配が近づいて来る。イルカの父だ。その後にイルカの気配を探してガッカリした。居ない。ドアが開いて、海野中忍が顔を見せた。
「いらっしゃいサクモさん。…カカシ君も」
「……」
(カカシ君…)
 同じ中忍の立場で君付けされるのに釈然としないものを感じたが黙っておいた。何と言っても相手はイルカの父だ。少々の失礼には目を閉じた。
 挨拶を交わす二人の後にいると、とたとたと小さな足音が聞こえてきた。大人二人の体の脇から覗き込むと、走ってきたイルカが父の腰にしがみ付いた。
「おっと…、こらこらイルカ、ちゃんとご挨拶して」
 父に諭されると、イルカはいっそう強くしがみ付いてから家の中に戻って行った。
(…なんだ)
 やっぱりイルカはオレに会いたくなかったのか。
 気落ちしながらサンダルを脱いでいると、
「照れてるんだよ」
 イルカの父がこそっと教えてくれた。
(照れる?)
 何を照れる必要があるのか。またもや釈然としない気持ちでいると、今度は違う大人が姿を見せた。
 イルカの母だった。
「いらっしゃい、二人とも。カカシ君とは初めてだったよね。よろしくね」
 腰を屈めた黒髪の女性に手を差し出されて、かあっとなった。オレには母親がいない。いや、いないと言うのは正確ではない。オレに物心が付く前に亡くなったと言うのが正しい。オレは母親を知らなかった。
 握手を求めて差し出された白く大きな手を見つめた。大人の女の手に触れたことなどない。柔らかいのだろうか?
 手を上げて、差し出された手を掴む。そっと触れさせると、ぎゅっと握り返された。
 柔らかかった。でも表面は乾いていて、その手はクナイを握る手だった。上忍。チャクラの安定した流れに、その強さを知った。大きい。
(でも優しい…)
 甘く柔らかな匂いに陶然となった。いつまでも手を離せずにいると、イルカの父が部屋の中へと促した。手が離れて行く。
その手がオレの背中に回って優しく押した。
「美味しいものをたくさん作るから、イルカと遊んで待っていて」
「…はい」
 返事をすると、イルカの母はにっこり笑って声を上げた。
「イルカ―、大好きなカカシお兄ちゃんが来たよー」
 刹那ボッと火が付きそうなほど赤面した。
(な、な、なんだ。大好きなお兄ちゃんって…)
 クスクス笑い声が聞こえて来て、振り返ると父さんが可笑しそうに笑っていた。イルカの父が優しい目で頷く。
「ずっとカカシ君と遊んだ話をしてるんだよ。次はいつ来るんだってせっつかれて…。それで今日は二人を夕飯にお招きしたんだ。イルカと遊んでやってくれるかい?」
「べ…べつにいいけど」
 平静を装うのに必死だった。全身の毛穴が勝手に開いて心拍数が上がる。とたとたと足音が近づいて、視線を向ければイルカがスケッチブックを持ってこっちを見ていた。
「あのね! 絵を描いたんだよ。見る?」
「ウン、いいよ」
 イルカだけでなく、オレのことまでニコニコ見守る大人達の視線から逃げた。
 傍に寄るとイルカは居間に入って畳の上にスケッチブックを広げた。前に見た双葉の絵を捲り、新しい絵を見せた。
「ほら」
「………」
 見せられたが、それがなんだか分からない。画用紙の上には黄緑色の線がぐりぐりと渦を巻いているのと、白と黒の線がぐりぐりと混ざったのが描いてあった。
「おにいちゃんとカエル」
(えっ、これが!?)
 辛うじて驚愕の声を上げずに済んだ。イルカに画才が無いのか、子供だから仕方ないのか分からないが、イルカは得意げだ。
「…良く描けてる」
 誉めるとイルカは嬉しそうに笑った。
(オレが誉めるなんて…)
 これが大人なら一刀で切り捨てる。オレの言葉が元で忍を辞めた者もいたぐらいだ。だけどイルカには強く言えない。イルカのガッカリした顔を見たくない。イルカを傷付けたくなかった。
「おにいちゃんもかく?」
「ウン」
 頷くと、イルカは立ち上がってクレヨンを取って来た。クレヨンの箱を開けると随分使い込まれていて、短くなっているのが何本もあった。
 「はい」と差し出されて、その中から何色を取ろうか迷う。絵なんて滅多に描かない。任務報告で必要な時に描くぐらいだ。
「…なにか描いて欲しいのある?」
「んっとね、カエルさん!」
「ン」
 短くなった緑のクレヨンを取ると、さっと輪郭を描いた。カエルが水の中で泳いでいた姿を思い出す。青や黄色のクレヨンを取って色を重ねていくと、我ながら上手く描けたと思うほどのカエルが出来上がった。
「ハイ、出来たよ」
 イルカに見せると、ほぉ〜と口を開いて目を輝かせる。
「カエルさん!」
 歓声を上げたイルカは画用紙を持って立ち上がると、大人達に見せに行った。
「イ、イルカ…!」
 絵なんて誰にも見せたことがない。止めようと思った時には、イルカは自分の父の目の前に画用紙を突き付けていた。
「うわ〜上手いなぁ。イルカの好きなカエルさんだね。良かったね、イルカ」
「うん!」
「どれ、見せて」
 父さんの声に消え入りたくなった。穴があったら入りたい。
 画用紙を覗き込む父さんの顔を見られなかった。
「へぇ…上手いもんだ。こんな才能もあったんだな。さすがオレの子だ」
(え…)
 得意げな父さんに驚いた。こんなことで誉められるなんて知らなかった。






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