言わせたい 3


 それから二日後、父さん達は任務に出掛けた。イルカをオレに任せて。イルカの母親は上忍で、別の任務に出ていると言う。
「それじゃあカカシ君、イルカのことよろしくね。イルカ、良い子にして、カカシ君の言うことをちゃんと聞くんだよ」
 うんと頷いたイルカはオレの手を握った。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 父さんが先に出て、イルカの父が後に続いた。ガラス戸に二人の影が映らなくなっても、イルカは動かなかった。
「…イルカ、奥へ行こう」
「うん」
 歩き出したイルカは無口だ。早速つまらなくなって、早く父さんの任務が終わらないかと考えた。元々オレは同年代の子供とも話が合わなかった。話す機会も無かったし、六歳で中忍になったオレの周りには大人しか居なかった。
 今更子供の相手をさせようとする父さんの意図が読めない。近々大名の子供でも護衛するのだろうか。オレはこれが父さんから与えられた試練だと思って堪えた。でないと子供の世話なんてやってられない。
 イルカは居間に着くと、オレの手を離して画用紙を引っ張り出した。畳の上に転がって、クレヨンで絵を描き出す。その姿に、イルカが手の掛からない子供だったことを思い出してホッとした。同時に先日の苦々しい気持ちも。
 イルカにどうしてオレが遊んでやっただなんてウソを言ったのか聞きたかった。だけど子供相手に話をするのは面倒臭い。結局オレはまたイルカを放ったらかして巻物を広げた。途中まで読んでいた兵法の第六章を読み進める。
 気付くとイルカは落書きを枕に眠っていた。画用紙には良く分からない絵が描かれていた。それが何か想像するのも難しい。
 オレは部屋を出て、寝る時に使うように言われていた部屋に入った。押し入れを開けると、イルカに掛ける布を探した。それはすぐに見つかり、居間に戻るとイルカの上から掛けた。それから巻物に戻った。
 数時間してイルカは目を覚ましてゴシゴシ瞼を擦った。辺りを見て、オレに気付くとトコトコやって来る。
「お腹空いた」
 そんな時間かと時計を見れば、すでに昼を過ぎていた。オレは立ち上がると、食べるように言われていた鍋を温めた。中にはシチューが入っている。イルカの父が作ったものだった。
 鍋を掻き回すとイルカがオレの周りをうろちょろした。
「イルカ、出来たら持って行くから、あっちにいってて」
 命令すると、イルカはしゅんと俯いた。それから思い出したように顔を上げると、背伸びして棚から皿を出した。二枚テーブルに並べると、オレを見上げる。じっと見つめられて、あっちに行けとは言えなくなった。イルカの黒く大きな瞳が、傍に居たいと言っているように見えた。
「……スプーンの有るトコ分かる?」
「うんっ!」
 オレの役に立てる嬉しさからか、イルカが満面の笑みを浮かべた。また背伸びして、引き出しからスプーンを取り出した。
「おきゃくさまの」
「そう」
 返事すると、今度は箸立てから子供用のスプーンを取り出した。
「イルカの」
「ウン。もう出来るから座って待ってて」
「はぁい」
 イルカのウキウキした気分が伝わって来るようだった。実際イルカはイスの下で足をブラブラさせて、待ちきれないようにオレを見ていた。
 皿にシチューを注いで食事を初めても、イルカはニコニコしていた。
「あのね、僕お皿洗えるよ」
 食べ終わった後でイルカが申し出た。
「いいよ。オレがやる」
 断っても、イルカはしゅんとならなかった。オレの傍にピタリと寄ると、ズボンを掴んだ。イルカの手が太股に触れてくすぐったくなるが、何故かその手を振り払おうとは思わなかった。
 イルカはオレが追い払わなければ、どこまでも付いて来た。まるで子犬みたいだ。夜は一緒にお風呂に入って、その小さな体を洗ってやった。イルカはタオルで風船を作って笑っていた。
 風呂から上がった後もしばらく遊んでいたが、眠そうに眼を擦るのを見て、イルカを部屋に連れて行った。布団を敷くと大人しく入ったから、オレも宛がわれた部屋に入って布団を敷いた。
 夜中、眠っていると人の近寄る気配がある。起き上がると、部屋の外でイルカが、「カカシにいちゃん…」と呼んだ。
「なに?」
「おしっこ」
 自分の家なのだからトイレの場所ぐらい分かるだろうと思ったが、オレは布団から抜け出ると部屋を出た。イルカは我慢の限界だったのか、足早にトイレに入ると用を足した。オレは外で待ちながら欠伸を噛み殺した。
 イルカは手が掛からないと思ったが、やはり子供だったのだ。
 扉が開くともっとすっきりした顔で出てくるかと思ったが、イルカの表情は暗かった。
 眠たいのかもしれない。
 手を洗わせると、早く布団で寝かせようと思った。部屋に戻る間、イルカがオレの手を握った。眼をしょぼつかせ、しきりに瞼を擦る。
「着いたよ」
 イルカの部屋の前で手を離そうとしたら、イルカがぎゅっと握って離さない。どうしたのかと見れば、イルカはすんすん鼻を鳴らし出し、擦っていた目蓋から涙の粒を落とした。
「…ひっく…ぅ…ひっく…」
「なに!? どうしたの?」
 突然泣き出したイルカにどこか具合が悪いのかと思った。だとしたら、失態は気付かなかったオレにある。
「…かあちゃんと…とうちゃんがいない…っく…ぇっ…」
(そんなの今さら泣かなくても分かってたじゃないか)
「イルカの父ちゃんは、明日になれば帰ってくるよ」
 母親の方は知らない。
「えっ…っく…えぇ…んっ…えっ…」
 激しく泣き始めたイルカに弱り果てた。そのうち泣き止むかと、部屋に押し込もうとすると、イルカが握った手に力を込めた。
「え…んっ…えっ…ひっく…えっ…えっ…」
 泣き止む様子は無い。溜め息を吐いて、オレは言った。
「……一緒に寝る?」
 イルカはコクンと頷いて、オレの手を引いて部屋に入った。布団に入ると、小さな体でしがみ付いてくる。次第にしゃくり上げる声は小さくなっていったが、布団はイルカの匂いが染み付いて、他人の匂いが敏感なオレは眠れる気がしなかった。
「……ひっく……」
 しばらくすると、眼を閉じたイルカの背中が小さく震えたのを最後に寝息が聞こえだした。
(やっと寝た…)
 自分の部屋に戻ろうと、しがみ付くイルカの手を離そうとすると、眠っていた筈のイルカがビクッと震えて瞼を開けた。
「カカ…にい…ちゃ…?」
 黒い瞳にみるみる涙が浮かぶ。
「ここにいるよ?」
 なにもかも諦めてイルカの背中を撫でた。イルカは全力でしがみ付いていたが、背中を撫でている内にまた眠った。
(はぁ…、今夜は徹夜だ)
 覚悟を決めたが翌朝、チヨチヨと鳴く雀の声で目が覚めた。外は眩しく、イルカはオレから離れて大の字で寝ていた。
(えっ)
 飛び起きて茫然とした。いつ眠ったのか記憶に無かった。カッと頬が火照る。こんなことは、忍びになってから一度も無かったことだ。
「くふーぅ……くー…」
 ぐっすり眠るイルカの顔を見つめた。
(子供のそばだから、眠れたのかも…)
 周りに大人が居ない分、気配が違って気が緩んでしまった。
 そう結論づけて、自分を納得させた。
 例え子供の傍でも、忍びがこんな事ではいけない。気を引き締め直して布団から抜け出た。






text top
top