絶対言わない 28
「カカシ・・、待ってよ・・カカシっ・・!」
呼びかけてもカカシは振り向いてくれなかった。
俺の声なんか聞こえないみたいに、一人でどこかに行こうとする。
行き先が明らかに俺の家とは違う方向で焦った。
今日は一緒に過ごす予定だったのに、なくなってしまうのだろうか。
カカシは、もう俺とは一緒にいたくなくなったのだろうか。
「・・カカシっ、カカシってば・・っ」
喉が震えてみっともない声が出た。
カカシの姿が滲んでいく。
顔を拭いながらカカシの後を追いかけた。
走れば追いつく距離だがそれが出来ない。
両手をポケットに突っ込んで、背を丸めて歩く後ろ姿は俺を拒絶しているように見えて近づけないでいた。
いや、ようにじゃなくてほんとに拒絶してるのかも・・。
そう思うと歩く速度が遅くなり、ますますカカシが遠ざかる。
それでも後にとぼとぼついていくと、すれ違う人たちが俺を変な目で見た。
それから先を行くカカシに視線をやる。
そしてまた俺を見るのに至って、俺は完全に足を止めた。
こんな状態でカカシについていくのはカカシに迷惑が掛かる。
俺のせいでカカシが変な目で見られて、それでまたカカシに嫌われるのが怖かった。
どんどんカカシが小さくなっていく。
堪えきれず嗚咽が漏れた。
朝はあんなに楽しかったのに。
繋いだ手が、温かかったのに・・。
「・・っく・・うぅっ・・カカシ・・ぃ・・」
その姿が見えなくなる頃、すっとカカシの右手がポケットから出た。
体の横で手甲を嵌めた白い指先が揺れる。
駆け出すと、その手を両手でぎゅっと握った。
ここが俺の居場所だと、手を握って主張する。
嗚咽を堪えてカカシの反応を待っていると、カカシがはあっと大きな溜息を吐いた。
「・・追いかけて来なかったら、捨ててやろうかと思った・・」
「・・・!!」
驚くと同時に、ほっとした。
それはもう捨てないと言ってるのと同じことだったから。
安心して涙がどっと溢れる。
「もぉ・・イルカ泣きすぎ」
呆れた顔をしたカカシが服の袖を俺の顔に押し付けた。
お互いハンカチなんて気の利いた物もっていない。
泣き続ける俺に埒が明かないと思ったのか、カカシが俺の頭を掴むと自分の肩に押し付けた。
ぽんぽんと背中を叩かれて気が緩む。
知らないうちに強張っていた体から力が抜けた。
カカシの背中に手を回してしがみ付く。
「ご、ごめ・・、カカシ・・ごめん・・っ」
「・・なんで謝るのよ」
「だって、カカシ・・おこった・・」
「そりゃあ怒りたくもなるよ。やっと検査が終わってイルカを見つけたと思ったら女と一緒にいるし、言われたい放題言われても黙ってるし、腕、砕かれそうになるし・・」
肩から滑り降りたカカシの手が俺の手を取った。
「・・もう痛くない?」
手首を撫ぜながら聞いてくれるカカシはいつもの優しいカカシだった。
甘えてこくんと頷くと、俯いたカカシの唇が手首に触れた。
前髪越しに見える銀の眉がきゅっと寄る。
「・・どうして何も言い返さなかったの?見ててオレの方が悔しくなったよ」
「・・ゴメン」
「そんなこと無いって言って欲しいのに、何も言わないのは、そこまでオレに関心がないのかと思った」
「違う!違うよ・・、本当は言い返したかったけど、あの人が言うようなこと、考えたことなかったから、カカシはオレで満足してるのかなって思うと自信が無くなって言い返せなかった・・」
「そんなこと考えたの・・?バカだなー・・」
「ごめん・・っ、でも俺、カカシのことなんにも知らなかったから――」
「・・何言ってるの?イルカ以上にオレのこと知ってるヤツなんていないデショ」
「そんなこと無いよ!だって、彼女俺の知らないカカシのこといっぱい言ってた。カカシがカッコいいとこたくさん・・。俺、カカシがカッコイイとこなんて一つも知らないのに・・」
「ちょっと待って!何その言い草、そんなこと無いデショ?なにかあるよね?これでも里一番の業師って言われてるのに――」
「ないよ・・、カカシ、家に居てもごろごろしてるだけだし」
「それは療養してたから・・」
「朝起きたらすごい髪跳ねてるし」
「クセっ毛だからしょうがないの」
「食べてるものよくこぼすし」
「笑って許してくれたくせにー!」
「朝寝ぼけて便座上げたままのトイレに嵌ったりした」
「普段オレは便座は下ろすようにしてるの!ああ、もうっ!それじゃあイルカはオレのどこが好きなの!どうして好きになったの」
「どうしてって・・そんなの・・」
改めて聞かれると照れる。
「どこが好きかって言うと・・・、えーっと・・」
えーっと・・、えーっと・・。
・・・・・・・・・・・あれ?
「あ、やっぱいい。今の質問忘れて」
「待って。すぐに言うから」
・・・・・・・・・・・・・・。
改めて考えると、これと言って思い浮かばなかった。
カカシのことは気付いたら好きになっていたし、そのきっかけがなんだったのかは今となっては覚えていない。
最近はとくに好きで好きで仕方なかったが、それはどこがということではない。
ごろごろしているカカシを見ると隣に寝そべりたくなるし、跳ねまくった髪は見てて面白く、任務に出るようになったら俺がなんとかしてやらなくてはと思った。
へらっと笑った瞬間、里芋のにっころがしを口に入れ損ねて転がしてみたり、その後の慌てた様子が可愛いと思ったのは内緒だ。
便座は、下ろし忘れた俺が悪かった。
でもトイレから悲鳴が聞こえてきたときには死ぬほど笑った。
そして今、そんな場合じゃないのに思い出して笑いを堪える俺にカカシがふて腐れた。
「・・もういいよ」
「ごめん・・っ、でも・・、でもな・・カカシ――」
カカシの手をとると胸に押し当てた。
カカシのことを想うとここが温かくなる。
楽しいが溢れて幸せになる。
胸がきゅうとなったり、どきどきするのもカカシと居るときだけだ。
カカシが好きだから。
「カカシが好きだよ。どこがとかそんなんじゃなくて・・、カカシが、好き。それじゃあ駄目か・・?」
「・・・・・・・・ダメじゃない」
珍しく顔を赤くしたカカシが視線を逸らした。
照れているのだと分かって嬉しくなる。
じいっとカカシを見ていると腕を引かれた。
抱き寄せられて胸に顔をうずめると、小さく耳元で「ありがとう」と聞こえた。
ぎゅうううとされるのが気持ち良い。
こんなにほっとするのもカカシの腕の中だけだ。
「カカシ、帰ろう・・?」
「うん」
腕を緩めたカカシが柔らかく微笑んで俺を安心させた。
手を繋いで歩き出す。
しばらくすると遠慮がちにカカシが口を開いた。
「ねぇ、イルカ、オレが恋人って言うのイヤ・・?恥ずかしい?」
「そんなことないよ」
「ホントに?」
「うん。なあ・・、もう俺を捨てるとか言うなよなぁ」
「言わなーいよ。・・イルカだって嫌いとか言ったりしないでよね」
「・・言うよ。あれはカカシがモテるのが悪いんだろ。不安になるじゃないか・・」
「不安になるの?」
「なる」
「モテたらダメなの?」
「駄目」
「でもスキなのはイルカだけだーよ」
「絶対?」
「絶対」
「じゃあ、もう言わない」
「ウン」
「・・・・・・・・・・・カカシ」
「うん?」
「俺と一緒に住んで」
話の流れで軽く言ってみた。
だけど心臓が痛いほどドキドキしてカカシの手を強く握った。
断らないで欲しい。
でもなかなか返事を貰えなくて、駄目なのかもと思ったら傷つく前に誤魔化した。
「べ、便座はちゃんと下ろすからさ!」
なんてな、と下手なことを言いながら、がっかりしすぎて早速目の前が潤みだす。
見られたくなくて俯くとカカシが強く手を握った。
「当たり前デショ」
軽く頭を小突かれて、しばらく考えた。
・・・・・それって・・。
やっぱり溢れた涙を、苦笑したカカシの指先が拭った。