絶対言わない 24
家へと帰りながら、手の中のものを投げ捨てたい衝動でいっぱいになった。
花に罪は無いというが、持ているだけでむしゃくしゃする。
カカシに渡したくない。
お地蔵様がふと頭の隅を過ぎったがすぐに打ち消した。
彼女には前に花を置いているところを見られている。
同じ事ををして、もう一度あの痛みを負うのは嫌だった。
結局俺は花を持って帰るしかなくて、受け取ったときのカカシを想像すると暗く沈んだ。
「おかえり〜」
にこやかに迎えてくれたカカシの胸に無言で花束を押し付けた。
「えっ!?オレに・・・?」
一瞬カカシの目に浮かんだ喜色に心がささくれ立った。
目を逸らして立ちはだかるカカシを押し退けると寝室に向かう。
肩にかけてあったカバンを落とすと、ベストを脱ぎ捨てた。
身の内からふつふつと怒りが湧き上がる。
「ねぇ、これどうしたの?イルカから?」
追いかけてきた声は無視した。
その花の話題に係わりたくない。
「・・・じゃないね。・・アケミ?」
カカシの口から出てきた女の名前にブチッとキレた。
「名前なんか知らないよ!そんなの自分で確かめたらいいだろ!」
「ちょっ・・、イルカ?」
突然怒鳴り出した俺にカカシが吃驚していた。
理解できないものを見るみたいに俺のことを見る。
一人ぼっちにされた気がして、ますます心が乱れた。
なんで俺がこんな想いしなくちゃいけない。
俺がカカシの恋人なのに。
「イルカ?」
気遣うように伸ばされたカカシの手から逃げた。
「触んな!カカシなんか嫌い!大ッ嫌い!!」
全身で叫ぶとカカシがずいっと近づいてきた。
逃げようとすると腕を掴まれる。
「痛っ、離せ!嫌だ!やっ!うー・・っ」
あっという間にカカシに捕まえられて腕の中に閉じ込められた。
暴れても体に回った両腕は硬い檻のように締まってビクともしない。
苛立ちと悔しさから自由にならない手足をばたつかせた。
本当は彼女にこんな風に意思表示したかった。
そんな花、カカシに渡したくないとはっきり言いたかった。
だけどそれが出来ない自分の弱さが悔しい。
悔しくて、悔しくて、それをカカシにぶちまけた。
散々カカシの腕の中で暴れて、やがて疲れ果ててぐったりした。
俺が大人しくなっても、カカシは黙って抱きしめるだけで何も言ってこない。
じっとしていると重なった背中や頬からカカシの体温が伝わった。
・・・温かい。
カカシの体温に包まれて、ほろりと絡まっていたものが解けていくのを感じた。
苛立ちが消えて後悔だけが胸に残る。
カカシは何も悪くない。
それなのに俺が勝手に苛立って、八つ当たりしてしまった。
「・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい」
消え入りそうな声で呟くと、きつく締まっていたカカシの腕が緩んだ。
「・・・・・・訳を話して?」
「・・・・・・・・・・・・」
話せることは何も無かった。
彼女にカカシの居場所を教えたくなかった。
カカシにお見舞いの花を渡したくなかった。
カカシに彼女の事を思い出して欲しくなかった。
カカシにもうあの人に会って欲しくない。
あの人にどこか遠くへ行って欲しい。
どれも俺の身勝手な感情で見苦しいものばかりだ。
こんなことカカシに言いたくない。
なにより話したら、また悔しさが蘇って暴れてしまいそうだ。
口を閉ざしてじっと黙っていると、ふうっと溜息を吐いたカカシが言った。
「・・・オレ、なにかイルカの気に入らないことした?」
大きく首を横に振って否定する。
「オレがいることでイルカの負担になってる?」
なってない。
「もしそうなら・・オレ、出て行くよ・・」
「いやだ!ごめんなさい!ごめんなさい・・っ、出てったらやだ・・」
ぎゅっと目を閉じてカカシの腕にしがみ付いた。
バカなことをした。
いらぬことをしてカカシに誤解をさせた。
それに当り散らしたりして。
こんな俺を見て、カカシは幻滅しただろうか。
カカシはもう俺のことが嫌になっただろうか。
「ごめんなさい・・っ、カカシ・・俺のこと嫌わないで・・」
「嫌いになんてなれなーいよ」
くすりと笑う息が頬に触れた。
恐る恐る目を開けると、横からカカシが覗き込んでいる。
困ったように眉を寄せながらも口元に浮かんだ笑みにほっとした。
カカシが怒ってない。
「カカシ、ごめんなさい・・・」
「・・・うん、もういいよ」
そぉっと乱れた髪を撫ぜてくれるカカシから問いただそうとする気配が消えて、俺から言い出すまで
聞くつもりが無いように思えた。
ずるいけど、俺はカカシの優しさに甘えようとした。
わざわざ原因を口にしてカカシに嫌われたくない。
だけど、カカシの行動は俺の思惑と違った。
すっと体を離して床に落ちていた花束を拾うと台所へ持って行き、ゴミ箱の蓋を開けると中に放り入れた。
「カカシ・・!どうして・・っ!?」
ぱたんと閉じられた蓋に声を上げた。
さすがに罪悪感が込み上げた。
「いらない。だってアレが原因デショ?」
あっさり見破られてうろたえる。
「でもっ・・でも・・!」
戻ってきたカカシがぎゅううと俺を抱きしめた。
「イルカからじゃないなら、いらない」
はっきり言い切ったカカシに、胸に浮かび上がったのは安堵。
隠しようの無い喜びが胸に広がった。
「カカシ・・」
カカシの背中に手を回してぎゅっと抱きつく。
嬉しかった。
花やあの人に悪くても、その感情は消せない。
カカシは、俺を選んでくれた。
「それにしても・・・」
ちっと舌打ちしたカカシをいぶかしんだ。
「わざわざあの花束にするなんて」
「・・・今まで嬉しそうだったくせに」
なに言ってんだよと、花を貰ったときのカカシの顔を思い浮かべて口を尖らせた。
それでどれだけ俺が胸を痛めたか。
「今まで・・?」
「とぼけるなよ。いっつも貰ってたくせに。嬉しそうな顔してさ・・」
「え?待ってよ。彼女から花を貰ったのは入院したときの一回だけだよ?」
「なんでだよ。いつも病室にあったじゃないか!」
「違う!あれはオレがイルカにあげようと思って用意してたの!」
「ええっ!?」
混乱して、しばらくぐるぐる考えて、納得が出来なくてカカシの顔を窺ったら、責めるような溜息を吐かれた。
「だって・・っ、だったらどうして最初からそう言わないんだよ」
「言わなくたって、オレからあげたらオレからでしょーが」
「そ、そうだけど・・、でも彼女が花束持ってくるの見たから、貰ったの要らないのかと思って・・」
「それはオレが外に出れないから買ってきて貰ってたの。イルカにあげるのに人から貰ったのなんて渡さないよ」
「そうなんだ・・」
「そうなんだ、じゃないよ・・。ヒドイよ。イルカはオレがそんなヤツだと思ってたの」
むうっと押し黙ったカカシに身を縮こまらせた。
「だって・・カカシが花なんかくれるとは思ってなかったし」
「なんか、で悪かったね。イルカが花を見て『綺麗』なんて言うから、少しは大人になって花の美しさを解する様になったのかと思ったのに・・」
「そんなこと、俺言わないよ」
「言ったよ」
「言ってない!」
「言った!」
「言ってない!」
「ああ、もう!」
声を荒げたカカシにびくっとなった。
だって本当に覚えてない。
それが顔に出たのか、カカシが眉尻を下げた。
「・・ま、要するにイルカに花は早かったってことデショ」
くるっと背を向けたカカシに口角が下がった。
暗に子供だと言われて悔しくなるし、それ以上に――。
だったらあんな苦しい想いをしたのはなんだったんだよ・・。
カカシがくれた花束だったと知っていれば、もっと違ったものになっていたのに。
きっと嬉しくて、はじけそうな毎日が過ごせていたのに。
「・・・ぅっ・・・ひくっ・・・」
しゃくりあげるとカカシがぎょっと振り返った。
「ちょっと、泣くことないでしょ!」
ふいっと顔を背けて袖で顔を拭った。
ベッドの向こうへ回ってカカシから遠ざかる。
だけど、花まで捨ててしまったと思うと哀しくなって涙が溢れた。
せっかくカカシに貰った花だったのに・・。
ひーっと声を押し殺して泣くと、背後でカカシの慌てふためく気配がした。
「イ、イルカ!オレ、怒ってないよ?言い過ぎた・・?ゴメンネ?」
違う、俺が泣いているのはカカシのせいじゃない。
自分のせいで無くしてしまったものが哀しかった。
綺麗な花束だったのに。
カカシの想いが詰まっていたのに。
首を横に振ると、更にカカシが慌てた。
恐る恐る近寄ってくると頭のてっぺんに触れる。
俺が手を振り払わないと分かると、そうっと肩を抱きしめられた。
「ゴメン、イルカ。そんなに泣かないで」
切ない声が肩口に触れる。
いい子いい子と頭を撫ぜられて、悲しみが揺らいだ。
カカシの慰めに気持ちが和らいでいく。
ひっくひっくとしゃくりあげながら、肩を抱くカカシの腕を掴んだ。
「イルカ・・」
抱きしめる腕の力が強くなり、頬に流れた涙を啄ばんだ。
カカシの優しい仕草に甘えが芽生えた。
カカシに甘えて、もっと優しくしてもらいたい。
哀しかった分、たっぷり甘えたい。
その時ふと芽生えた望みを、今なら口にしても叶えてくれそうな気がした。
「カカシ・・」
「ん・・?」
「また俺に・・・花をくれる・・?」
「うん。いーよ。何度だってあげる」
頬を啄ばみながら約束してくれたカカシに悲しみが消え去る。
カカシに優しくされてすっかり機嫌を直した俺は、手を引かれ、浮かれて食卓に向かった。
だから、胸にちょっと残っていたもやもやの正体を見過ごしていた。