絶対言わない 23
「いってきます」
「うん」
ごそごそ額宛を結びながら言うと、途中からカカシの手が手伝った。
一つに結った髪の下をカカシの手が擽り、きゅっと額宛が締まる。
「いいよ」
ぽんぽんと頭を撫ぜられて振り返れば、目の前が翳った。
頬に手が沿えられ、ちゅっと唇が重なり、カカシが離れる。
じっと見つめられて照れくさくなった。
「いってらっしゃい」
「・・いってきます・・」
ごにょごにょ言って玄関を開ければ、朝の光が目を射した。
外は二日ぶりの青空が広がり雲が眩しく浮き上がっている。
ぱっと外にいた犬が立ち上がってしっぽを振った。
振り返ればカカシが手を振っている。
ぶんぶんと大きく手を振り返すと、犬と一緒に出勤した。
軽く走りながらアカデミーに向かう。
最近ちょっと食べすぎだから、その分の消費も兼ねて毎朝走るようにしている。
カカシがうちに来てからご飯が美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまう。
晩御飯はカカシガ作ってくれるから、尚更美味しく感じた。
朝のジョギングは犬も一緒に走ってくれるから楽しい。
カカシの護衛はしなくていいのかな?と思ったけど、犬は毎日ついて来た。
一人と一匹で小さな背を追い越すと声が掛かった。
「せんせい、おはよ!」
「おう、おはよう!」
きゃっきゃっと上がる声に笑い返す。
本当はまだ先生じゃないけれど、少しだけ教壇に立つようになったのでそう呼ばれるようになった。
『先生』、――なんてこそばゆい響きだろう。
背伸びしたくなるのを堪えて一人一人と向き合うようにした。
すると子供たちと打ち解けるのは早くて、その点では指導教師から合格点を貰えた。
でも俺のというよりカカシの犬のおかげの方が大きいだろう。
俺の行くあとをどこにでもついてくる犬は子供たちの人気者だった。
休憩時間になると子供たちが集まってきて犬の背中に乗ったりするが、犬は決して怒ることなく子供たちの好きにさせてくれた。
ホントにいい犬だ。
だけど前にすごく吼えたことがあったなと思って、夕食時の話題がてらカカシに話したら、カカシの顔が怖くなった。
「それってどんな時?」
「誰に吼えたの?」
「その後どうなった?」
静かに問い詰めるカカシに、犬が怒られるのかと思って曖昧に答えてその場を誤魔化したが、
「カカシ、怒らないであげて。悪くないんだよ」
不安になってお願いすると、カカシはきょとんと首を傾げた。
「もちろん。怒ったりしなーいよ?」
ホントかな?と思ったけど、翌朝犬はご機嫌で大きな骨を咥えていた。
授業をして、昼になるとカカシの様子を見に帰った。
大抵カカシはトレーニングをしていて、ダンベルを持ち上げたりして筋力を付ける運動をしていた。
傷はもう大分良くて、来週には抜糸する。
それで傷が開かないか2,3日様子を見て、問題なければ『完治』と言うことだった。
――もうすぐカカシの傷が治る。
そのことは俺をドキドキもさせたし、不安にもした。
カカシの傷が治れば、俺たちは一つになる。
カカシの傷が治れば、ここにカカシはいなくなる。
その日まであと僅かだ。
最近、なんとかカカシを引き止める方法がないか考えるのが日課になった。
放課後は子供たちと一緒にアカデミーの掃除をする。
教室から校庭、門の外と子供たちの様子を見ながら掃除を手伝う。
その日、ちょうど門の外を箒で掃いていると声を掛けられた。
若い女の人の声に振り返ると、忘れていたあの人が立っていた。
いや、忘れてなんかいない。
いつでも頭の隅にちらついて、忘れることが出来なかった女の人。
「カカシ先輩のことが知りたくて・・。病院に行ったら退院したって聞いて。今はどうされてるのか、アナタ、知ってる?」
嫌な感じで心臓がどきどきした。
箒を持つ手が汗で湿る。
彼女は任務から帰ってきたばかりなのか、薄汚れ、疲れているようだった。
それでもカカシのところに行ったのかと思うと、胸が苦しくなった。
「カ・・、カカシは・・、はたけ上忍は・・、某所で療養中です。極秘扱いなので、お教えすることは出来ません」
ウソを吐いた。
カカシは極秘だなんて一言も言ってなかった。
カカシに会わせたくない一心で勝手な話を作り上げた。
粘ついたもので胸がいっぱいになる気がした。
ぐねぐねと胸の中で渦巻くのは、独占欲と嫉妬だ。
彼女は心配してるのに、カカシと俺の家に彼女を招きたくない、ただそれだけのために――。
俺ってすごく嫌なやつだ。
「・・・そう」
静かに呟いた彼女の顔を見ることが出来ずに俯いた。
この時間が早く過ぎ去ってくれるのを願う。
「アナタはカカシ先輩の居場所を知ってるのね」
「・・・・・・・・・・・・」
返事をしない俺をどう思ったのか、彼女の気配がふと緩んだ。
「いいの。無事ならそれで」
しゅんと消え去った気配に、ぎゅっと目を閉じた。
肩に重く圧し掛かるものに押しつぶされそうになる。
「イルカせんせー!今の人、すごく綺麗な人だったな!」
「ああ・・そうだな・・」
「イルカせんせいの彼女か・・!?」
「んなわけないだろ。ほら、遊んでないで掃除しろ」
「はぁーい」
はしゃぐ子供たちの声が胸に刺さる。
自分に対する嫌悪感でいっぱいだった。
彼女との邂逅は一度きりで終わらなかった。
仕事を終えて帰ろうとしたら、門の外に佇む人がいる。
・・・彼女だ。
避けるより先に会釈されて、仕方なく近寄った。
「これをカカシ先輩に渡して欲しいの」
差し出されたのは、見覚えのある、淡いピンクで統一された花束だった。