絶対言わない 19
「絶対にヤダ。入らないよ」
看護婦さんが居なくなると、開口一番にカカシがそう言った。
怒ったように口を尖らせて、責めるように俺を見つめる。
「なんで?入院してから一回も入ってないだろ?」
「後3日で退院するんだから別にいいよ」
「そうだけど・・、せっかくだからすっきりしたらいいのに。カカシってお風呂嫌いだっけ?」
「そういう問題じゃないよ」
むすっとしたまま俯いたカカシに首を傾げた。
どうも怒ってるだけじゃなさそうだ。
膝の上で手がぎゅっと握られている。
「・・あ!心配しなくてもちゃんと手伝うし――」
「違う!」
思うように動かない体の事を気にしてるのかと思ったら、強い口調でカカシに否定された。
「もう!好きな子の前でオレだけ裸になるのがイヤなの!イルカのわからんちん!」
「わ、わかわ・・」
あわあわ口ごもりながら、ぶわっと体中が火照るのを抑えられなかった。
まずは「好きな子」と言われたことに顔が火照り、それから「オレだけ」じゃない時を想像して体温が上がる。
目の前に裸になったカカシが思い浮かんで、カカシのことを強烈に意識してしまう。
しなくていい想像にひとり舞い上がっていると、後頭部を掻き回したカカシが、「とにかく風呂はいいから」と呟いた。
「・・うん、わかった。後で断ってくる」
無理して入ったら俺まで収集がつかなくなりそうな気がして素直に頷いた。
「・・それからあんまり楽しそうに看護婦さんと話さないで」
「!・・うん、わかった」
そんなつもりなかったけど、カカシが萎れていたから素直に頷いた。
焼きもちを焼いてくれたのかと思うと嬉しくなる。
「それから・・」
「ん?」
「退院したら、イルカの家に行っていい?」
遠慮がちに、小さな声で聞かれたことに大きな喜びが湧き上がる。
「うん、いいよ!」
即答すると俯いていたカカシの頬がゆるりと持ち上がり、はにかむ様に笑った顔が可愛くて、またちょっと好きな気持ちが強くなった。
退院の日は空が青く澄み渡ったとてもいい日だった。
アカデミーを終えて迎えに行くと、カカシはすでに退院の手続きを済ませて俺を待っていた。
「待たせてごめん!」
「ううん、そんなことなーいよ」
窓際に居たカカシはくるんとイスを回して俺の方に向かってくる。
その表情が明るくて俺を幸せにした。
「イルカ、今日からよろしくお願いします」
「こ、こちらこそ!」
かしこまったカカシに一瞬俺もかしこまる。
でも早く家に連れて帰りたくて気持ちが急いた。
ぺこんと頭を下げるとカカシの後ろに回る。
纏めてあった荷物をイスの取っ手に引っ掛けて、「押すよ」と声を掛けた。
「あ、医薬部に寄ってね」
「うん!」
ぐっと手に力を入れると、車輪がぐるんと回る。
新しい生活への一歩を踏み出して、期待に胸が膨らんだ。
廊下に出ると奥のエレベーターを目指して突き進む。
途中階段を通り過ぎて、前に逃げ帰った事を苦く、淡く思い出した。
あの時は辛かったけど今はこうしてカカシと一緒に歩いている。
そのことが何より嬉しかった。
一階に下りると医薬部へ向かった。
カカシと一緒に薬の説明を聞いて内容を把握する。
これは俺の役目と決め付けて、薬袋を受け取るとカバンに詰め込んだ。
外に出ると太陽は傾いて、空は少し夕暮れ色に染まっていた。
門を抜けるとカカシの犬が飛び出して、嬉しそうにカカシの足元に寄った。
千切れそうなほどしっぽを振って、興奮が抑えきれないように体を震わせる。
「元気にしてた?」
カカシが手を伸ばすと手に擦り寄り、たくさん舐めた。
それは初めて目にする犬が甘える姿だった。
そんな犬の様子をカカシが愛しげに見つめ、優しく撫ぜる。
傍で見ていて微笑ましかったけど、ちょっとだけ妬けた。
「・・・じゃあ、帰ろっか!」
「うん!」
ワン!
一人と一匹に見上げられて気を良くする。
どちらもやっぱり可愛いかった。
途中、晩御飯の買い物をした。
おかずは退院祝いと言うことで肉にした。
ドッグフードも買って帰った。
夜の間に犬舎に食べに帰ってると聞いていたけど、やはり食べているところを見ておきたい。
俺が用意しても食べてくれるといいなと思った。
「「・・・・・・・・」」
二人して、どーんとそびえるアパートの階段を見上げた。
いつものおんぼろ鉄階段がやけに立派に見える。
「えと・・、どうしよっか」
深くは考えてなかったけど、当然ながら車イスでは上がれない。
2階建てのアパートにエレベーターがあるはずもなく。
「・・抱いてい?」
「えっ!?」
大仰なほど吃驚されて緊張してしまった。
「だって、上がれないから・・、抱っこで・・」
「あっ、ああ!うん、そうだね・・!そうだよね」
いやにしっかり納得するカカシに内心首を傾げつつ、カカシの膝裏と背中に両腕を伸ばした。
イスから抱き上げると一度揺すり上げてしっかり抱えなおす。
そしてさあ上がるぞと足を踏み出そうとした時、カカシが言った。
「なんかアレみたいだよね」
「アレって?」
「ホラ、アレ。新婚さんが初めて新居に入るときにするやつ」
「ぶはっ!な、な、何言ってんだよっ」
どうにも逃げられない距離でそんなことを言われて赤面した。
頭の中ではカランコロンと教会の鐘の音が響いて、色鮮やかな紙ふぶきが舞う。
腕の中にいるのは白い衣装を着たカカシで、にっこり微笑まれて照れまくった。
新婚さんって・・!、新婚さんって・・!!
「そ、そしたら、カカシがお嫁さんだぞ」
「うん、いーよ。イルカがそれでいいなら」
するりとカカシの腕が首に回って、ふさふさの髪が頬に触れた。
肩にカカシの重みを感じると愛しさが溢れて、「一生大事にするぞ!」と心に決めた。
一歩一歩踏みしめるように階段を上って二階へと上がる。
だけど俺がカッコつけていられたのはここまでで、ドアの前に来るとまた困ってしまった。
カギが出せない。
「・・・カカシ、カギ取って」
「うん、どこ?」
「ズボンの後ろポケット」
「はぁーい」
颯爽とドアを開けてカカシを中に連れ込みたかったのに・・。
現実はそうはいかない。
もうちょっとカッコよくなりたいな、などと考えていたら、
「うひゃっ」
カギを探ったカカシの指が尻を掻いて奇声を上げてしまった。
「わっ!?わっ、」
驚いたカカシがカギを落としかけたのか、ちゃりちゃりと金属を弾く音が聞こえて、カカシがふうっと溜息を吐いた。
「ご、ごめん!」
からかわれる前に謝って、真っ赤になっているであろう顔をカカシの肩に押し付けた。
「ううん、オレこそ・・」
カカシが開けてくれたドアの潜って足早に部屋に入る。
カカシを下ろせるところを探して、ずんずん部屋の奥へ進んだ。
寝室まで行ってベッドの上にカカシを下ろすと履きっぱなしだったカカシのサンダルを脱がせた。
とても目を合わせられなかったけど、視界の端に映ったカカシが吃驚した顔で俺を見ていて、慌てて目を逸らした。
「車イス取ってくる!」
ばたばた走って外に出ると深呼吸して呼吸を落ち着けた。
今からこんなんで俺、大丈夫なんだろうか・・?
ヘマしてカカシに嫌われなければいいけど・・。
考えもしなかった不安が過ぎって、これからの生活が心配になった。