○月×日 イルカ先生は案外健気だ。
夕食の後、巻物を広げた。明日の任務の資料を読み込んでいると片付けを終えたイルカ先生がオレの様子を窺っていた。
「まだ仕事があるから。イルカ先生、あっちの部屋でテレビ見ていーよ」
ソファのある居間を指差せば、頷いて背中を向ける。だけどテレビの音が聞こえてくることはなく、ちらりと見るとイルカ先生も巻物を広げていた。
明日の授業の準備だろうか?
それから数時間、もう一度イルカ先生を見るとソファの上で船を漕いでいた。ゆらりくらりと頭が揺れ、半分寝かかっている。
立ち上がってイルカ先生の肩を揺らすと、ぱっと顔を上げた。
「終わったんですか?」
「まだだよ。寝るんだったらベッドに行きな」
期待いっぱいの眼差しが萎んで、首を横に振る。
「まだ眠くありません…!」
「……ならいーけど」
寝てたじゃないかとは言わずに好きにさせた。寝てしまうのも時間の問題だろう。待たせているのは分かるが、相手出来ない日もある。寂しそうにオレを見上げるイルカ先生を置いて、仕事部屋に戻った。
しばらくは巻物を広げていたイルカ先生だが、ついには限界が来たのか寝室に向かった。内心ほっとしつつ資料を捲る。
もう1ページ捲ったところで、ふに、と冷たいものが足に触れた。下を見れば、クロがいた。足に触れたのはクロの肉球で、クロはこっちを見でもなく、前足を乗せたまま動きを止めた。
じっと見ているとピンと張っていた耳がヘタンと下がって、まるで怒られでもしたかのように、足に乗せていた前足をそろそろと持ち上げた。
「なにしてるの?」
声を掛けると及び腰になって下がろうとするお尻をぐいっと押した。胡座を掻いた足の上に押し込むと、クロはオレを見上げて、「にゃー」と鳴いた。
小さな頭を撫でてやる。
許されたと知ると、クロは膝の上を陣取って体を丸めた。
資料を読みながら背中を撫でてやるとゴロゴロ喉を鳴らした。顎の下にも指を滑らせると、手の甲をてちてち舐め始める。短くざらざらの舌で一生懸命舐めていたが、やがて疲れたのか動きが止んだ。
そうっと下を見てみると、目を閉じて寝息を立てている。時折薄く目蓋が開いたが、目の下を一撫ぜしてやると、とろんと目蓋が下がりきった。艶やかな毛に覆われた腹がゆったり上下する。
「……ふふっ」
思わず漏れた笑みに体が揺れたが、イルカ先生が目を覚ますことは無かった。そのうち大きく身動いだかと思えば仰向けになって手足を広げた。大胆な寝姿に吹き出しそうになるが、ぐっと堪えた。
普段は触ることのない腹の毛まで、思う存分堪能する。
黒い毛に覆われた急所にまで触れたかどうかは内緒だ。