出来心 中編





(さぁ〜むぅ〜いぃぃぃっ)
抱きかかえられた腕のが中で、さっきまでとは違う意味で震えた。濡れた体が凍えて仕方ない。おまけにこの高速移動だ。風が体温を奪うのは早かった。
「ひぎゃーっ」
 急降下されて鼻水が空中に舞う。
「ああ、ゴメンゴメン。着いたよ」
 床に下ろされて、流れ出た鼻水を啜ることさえ出来ずに蹲った。あまりにも寒くて手足が上手く動かない。
「うわ、弱ってる。体拭いた方がいいよね。それともお風呂に入れた方がいいかな?」
 お風呂と聞いてぴくっと耳が動いた。是非とも熱いお湯に体を浸したかった。だが、今の俺にはそれ伝える術がない。体が震えるばかりで声を上げることも出来ず、縮こまって前足の中に顔を埋めた。早くなんとかして欲しい。
「汚いし、お風呂でいーよね」
 ひょいと体が持ち上がり、浴室に連れて行かれた。洗面器にお湯が張られ、もうもう湯気があがる。早く早くと手足を動かすと怖がっていると思われたのか、「大丈夫だよ」と優しい声が耳を撫でた。
(カカシ先生…)
 見上げると、赤と黒の色違いの目が弓なりに撓んだ。カカシ先生はいつの間にか額当てと口布を外していた。
(わっ!男前だ……!)
 初めて目にしたカカシ先生の素顔に、ほけ〜と見惚れていると足先から湯船に浸かった。ジンと染みたお湯の熱さにぷるっと体が震える。手が離れて顎の下までお湯に浸かって冷えた体を温めていると、カカシ先生がくすっと笑った。
「お前、お風呂がスキなの?」
 言われてから、ネコが進んでお湯に浸かるなんて不自然だったかと気付いた。だけど今更だ。気まずいから、目を閉じて湯に浸かっていたら頭を撫でられた。
「いーこ、いーこ。いぢめられて大変だったね」
(そうなんですよ、カカシ先生!)
 思い出して、ぶわっと鼻水が出る。
「ひ、ひあ〜」
 可愛く鳴くつもりだったのに、掠れた声しか出なかった。全くもって可愛くない。その上、
「ぶふっ!スゴイ顔」
 俺を見て吹き出したカカシ先生の大きな手が鼻水を拭き取った。
(――やだ、汚い猫!)
 投げつけられた言葉を思い出して、カカシ先生を仰ぎ見た。
 笑っている。
 カカシ先生は俺が汚い猫でも笑って世話してくれた。
 そのうち泡まみれの手が近づいて、体を擦られる。ぬるぬるする手に体中を擦られ、気持ち良くて喉が鳴った。
「うれしーの?」
 顎の下を撫でられて、ますます喉を鳴り響かせた。
(好き!)
 ネコになったつもりでカカシ先生の手に顔を擦りつける。でも変な感触がして、顔に手をやるとネトネトした。湯に溶けて、血が流れ出ていた。
「あ、まだ触ったらダメだーよ」
 きゅっと手を摘まれ、頭から全身に湯を掛けられる。ふいに前足が浮いたかと思えば、カカシ先生の顔が近づいてきた。
(え?)
 目の下に唇が押し当てられる。
(わーっ!わーっ!)
 近すぎるカカシ先生の顔にもビックリしたが、ぬるりと傷口に舌が滑ったのにはもっとビックリした。
(き、汚い……!)
 ネコの血を舐めさせるなんて申し訳なくて、爪を立てない様に肉球でカカシ先生の顔を押し返した。
「コラ、じっとして」
「み、みゃー」
 舌が辿った所から痛みが引いていった。傷口が治癒していくのを感じて目を瞬いた。
(すごい……)
 感心していると鼻筋に唇が押し当てられる。
「あと、こっちもでしょ?」
 体を持ち上げて脇腹に唇を当てた。石が当たって痛かった所にチャクラが浸透して、体が温かくなった。
 嬉しい。もうどこも痛く無い。
 なのに俺ときたら、湯から出た体が冷えて、ぶるっと体を振るってしまった。毛から水滴が派手に飛び散り、カカシ先生の顔を濡らす。
「うわっ!」
「にゃ!」
(カカシ先生、ごめんなさい!)
 今度こそ怒られるんじゃないかとビクビクしたが、カカシ先生は袖で顔を拭うともう一度俺を湯に浸けてくれた。
「温かくしてから上がろーね」
 鼻先を突かれて、ちろりとその指先を舐めた。


「ふにゃっ!ぅにゃ!」
 風呂から上がった後は極楽だった。ふかふかのタオルでくるまれた後、ドライヤーで毛を乾かされた。熱すぎない風と優しい指先が体を撫でて夢見心地になった。すっかり毛が乾くと、「オレもお風呂に入ってくるから待っててね」と、布団の上に置かれた。
 てっきり固い思っていた布団は、体がのめり込むほど柔らかかった。これが羽毛布団かと、四つ足を踏ん張ってその感触を楽しんだ。
(すごい!最高だ!)
 顔から飛び込んでも痛く無い。夢中になって飛び跳ねていると、カカシ先生が風呂から上がった。
 途端に神妙な気持ちになって、ぴんと耳を張った。ごしごし濡れた髪を拭きながら部屋に入ってきたカカシ先生をじっと見ていると、俺の視線に気付いてにこっと笑った。
「お腹空いてない?」
「んなー!」
(ご飯!)
 トンッとベッドから下りると、しっぽを立ててカカシ先生の足下に駆け寄った。
「んなーっ、んなーっ」
 早くくれと足に体を擦り寄せながらカカシ先生を見上げると、ひょいと体を持ち上げられた。
「お前は人なつっこいね。誰かに飼われてたのかな?でも首輪はしてなーいね」
 大きな手に頭と背中を撫でられて嬉しくなる。この時の俺は、普段なら有り得ないほど図々しく、そして甘ったれになった。だけどネコだから、カカシ先生は笑って許してくれる。その方がカカシ先生も嬉しそうだから、良いことにした。
 カカシ先生が作ってくれたご飯はネコまんまだった。味噌汁の掛かったご飯にたっぷりの鰹節を乗せてくれた。旨くて、んにゃんにゃ言いながら食べた。
 時折カカシ先生が自分の為に焼いたサンマを差し入れてくれた。指先から解した身を貰う。お礼に指先を舐めて綺麗にした。てちてちとざらざらの舌で舐めると、その感触がくすぐったいのか、カカシ先生は何度も魚をくれた。
「お前は可愛いーね」
 食後、カカシ先生の膝の上でごろごろ喉を鳴らした。カカシ先生の撫で方は心得ていて、どこを撫でられても気持ちいい。膝の上でふにゃふにゃに蕩けながら、目を細めて俺を見下ろすカカシ先生に、ごく自然にその言葉が浮かんだ。
(……ご主人様!)
 ずっとこうしていられたら、どんなに幸せだろう。
 だけど俺には帰らないといけないことが分っていて寂しくなった。起き上がってカカシ先生の胸に手を突くと、伸び上がって口元を舐めた。ざらざらの舌でそんなことをしたら痛いだろうが、カカシ先生はしたいようにさせてくれた。
「んなぁー」
「ん?どうーしたの」
 俯いた顎先に頭を擦りつける。
「んなぁー、んなぁー」
 カカシ先生が不思議そうな目で見るのが切なかった。


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