candy bar 4
ちょっとばかり腹立たしい。
いや、ちょっとばかりじゃない。昨夜からの苛立ちは、朝、目が醒めてからも続いて、歯磨き粉のチューブを捻る手に力が入った。勢い余って洗面台に垂れた白い歯磨き粉を見ると苛立ちはいや増した。
「なんなんだ!あの人は!!」
一声叫んで気持ちを落ち着けると、歯ブラシを口の中に突っ込んだ。
カカシ先生はいい人だ。優しいし、話も面白い。ほんといい人だ。でも、優柔不断だ。と言うより態度がハッキリしない。もっと言わせてもらえば思わせぶり。
***
昨夜、またカカシ先生と屋台に行った。その帰り道、ちょっとばかり俺は飲みすぎて、覚束無い足取りで歩いていた。フラフラはしていたが、だからと言って完全に酔っていた訳ではなく、頭の芯ははっきりしていた。だからいつものように、「送る」と言うカカシ先生に、これまたいつものように断りを入れた。何か言いたげなカカシ先生に、気づかぬふりで「じゃあ、また」と別れた。だって、待っててもこの後カカシ先生が何かを言ってきた為しがない。
一人で歩き出せば、徐々に酔いも醒めてくる。二人のときと違って一人になると『しっかりしないと』と意識しだすからだ。いつもなら一直線に上から(塀伝いに)帰るが、昨日は酔っていたこともあって、下から(道を歩いて)帰った。とにかく歩く事に集中して歩いた。背中に視線を感じる。一人で帰れる、といった手前、フラフラ出来ない。
川沿いの道は湿った、それでいて冷たくて心地よい風が吹き、酒で火照った体から熱を奪い、酔いを冷ますのに丁度良かった。
角を曲がる時、視界の端に映るものに足を止めた。カカシ先生だった。別れた所で所在なさ気に突っ立ってこっちを見ている。何時まで経っても帰ろうとしない。そのおかげで進むに進めない。
(なんで!?)
(なんで帰らない?)
(・・・・もしかしていつもそうしてた?)
――今まで振り返ったことなんてないのに。
唖然と見ているとカカシ先生が俯いた。それから顔を上げて小さく笑って手を振ると自分の家のほうに歩いていく。丸めた背が堪らなく寂しそうに見えて。
気付けばその背を追っていた。一瞬で駆け戻り背後から腕を掴んだ。勢い余って体当たりをかましてしまった。
「うわっ、え・・・?、イルカセンセ?」
突然のことにカカシ先生が驚いている。でも自分はもっと驚いた。
(なんでこんなこと、あれ?あれ?)
自分に問い正してみても答えは出ない。考える前に行動していた。気付いたら腕を掴んでいた。
カカシ先生が不思議そうに振り返る。
(何か・・・何か言わないと・・・)
「あ、・・・あの、やっぱり送ってください」
やっとのことで口にすれば、カカシ先生は笑って、「うん」と一言。
その笑顔に心臓が跳ねた。あんまり嬉しそうに笑うから。
二人で並んで歩いた。カカシ先生は始終ニコニコしていて、俺が突然とった行動に疑問を抱いてる風は無かった。「イルカ先生の家、知らないので教えてください」と言ったカカシ先生を僅かに引っ張るように歩く。手は歩き出したカカシ先生に外すタイミングを失い腕を掴んだままだった。しばらく歩いているとその手を軽く振り解かれる。
「あ、すいません・・・」
ちくっと刺した胸の痛みは気のせいだろう。すっかり皺になった袖を見て申し訳なく思っていると、
「こうしてもいいですか?」
と、手を繋がれた。「この方が歩きやすいから」と目を細めるのに言葉を返す事が出来ず俯いた。
(どうしてこんなことするんだろ)
そう思うのに手を振り解く事が出来ない。黙って歩き出せばカカシ先生は着いてきた。
(こんなこと普通男同士でしない。)
(友達同士でもしない。)
現に今まで同僚と手を繋いだ事なんてない。大人になれば簡単に手を繋いだりしない。繋いだりしたのは、子供たちと、か思いを寄せて合った――恋人とだった。
(俺が意識しすぎなんだろうか?)
チラッと盗み見たカカシ先生の表情は額当てと口布に隠されて伺い知れない。
(カカシ先生にとっては何でも無い事なのかもしれない)
きっとそうなのだろう。その方が俺にとっても都合が良い。ヘンな勘違いはしたくない。あんな息の詰まるような羞恥心を味わうのなんて一度きりで良い。その後どっぷり嵌まった嫌悪感なんて思い出したくもない。
最初は好かれてるのかと思った。でも望まれたのは友達として。そう、友達。友達としては上手くやってると思う。
(それでいいじゃないか)
頭ではそう思うのに心が――期待をしてしまう。カカシ先生の何か言いたげな表情や請う様な視線を向けられると、もしかしたら―――と浅ましくも・・・・・・。
つらつらとそんな事を考えてる内にアパートに着いた。
「ここです」
あの2階の端、と指差せばカカシ先生が僅かに顔を上げて見上げた。
「ありがとうございました」
もう手を、離して欲しい。ぺこっと頭を下げて階段に向かう。途端にギュッと手を握られた。
「待って、イルカ先生」
また、だった。またあの請う様な視線。心臓がぎゅうっと引き絞られる。
「カ・・カシ先生?」
意図せず声が震える。動揺して体が震えそうになる。いや、もう震えてる。でも震えてるのはカカシ先生の方だった。掴まれた手が小刻みに震える。カカシ先生が空いた手で口布を下ろした。
「あの・・・オレ・・・言いたいことが・・・」
何時に無く真剣な表情で言いかけたカカシ先生に、心臓が馬鹿みたいに早鐘を打ち出す。
「オレは・・・・イ、ル・・・カ・・・先生が・・・」
そこまで言って口を閉ざした。震えながら俯いて、切なげに眉を寄せている。いつもならほっておくところだが、辛抱強く待った。続きを言って欲しかった。もし―――そうなら、言って欲しい。
どれくらいそうしていたか分からない。1,2分の事かもしれないし、もっと時間が経っていたのかもしれない。ふいにカカシ先生はぁっと息を吐き出し緊張を解いた。何もかも諦めたみたいに。手も離された。次にカカシ先生が言ったのは思いも寄らぬ・・・でも、いつもなら想像のつく筈の言葉だった。
「あの、今日は寒いから温かくして寝てくださいね」
「は?」
カカシ先生の言葉が頭に浸透するのに時間を要した。だが理解した。瞬間、カーッと血が上った。羞恥心もあったが、それを上回る怒りでくらっとした。
(紛らわしいんだよ!!)
あまりの思わせぶりな態度に逆ギレた。カカシ先生にはそんなつもりはないんだろう。でも俺は告白でもされるのかと思ってしまった。またもや勘違いをしてしまった。
(何度も何度も同じ手に!!)
怒りの半分は紛らわしい態度をとるカカシ先生に対してだが、自分に対してもかなり腹が立った。
「ええ、カカシ先生も」
そう言ってにっこり笑った。笑ってやったさ。笑えてた筈だ。これ以上の醜態を晒すのはごめんだった。
「おやすみなさい」
さっさと踵を返して階段を駆け上がっていく。背後で「あ」とか「う」とか聞こえたが一切聞こえなかった事にした。
部屋に入ると明かりも点けずに布団に潜り込んだ。
***
歯を磨いているうちに次第に目が醒めてきた。口に溜まった泡を吐き出すと、力を入れすぎたのか血が混じっていた。口を濯ぐと、鏡に向かっていーっとした。歯茎を見ると犬歯のところが切れて、そこからじくじくと血が滲み出す。溜め息を吐けば曇った鏡越しの自分と目が合った。ぼさぼさの髪、薄っすらと生えた髭。。目の下には隈があって・・・――慌てて目を逸らした。苦々しい想いがこみ上げる。
「なんて・・・馬鹿なんだろう」
そんなことある訳無いのに。
冷静になって考えれば分かる。そのことに気付けないのは、カカシ先生と一緒に居る時浮かれているからだ。浮かれきって、はしゃいで・・・―――。
「みっともない」
ほんと、みっともない。
散々落ち込んだ結果、カカシ先生とは少し距離を置く事にした。そうでもしないと均衡がおかしくなってしまう。
放課後、受付所で書類の整理をしていた。後で目的の書類がすぐに見つけ出せるように受付番号順に並び替えていると、ふと窓の外から視線を感じて手を止めた。
(もうそんな時間か・・・)
7班が任務を終えて帰って来たのだ。カカシ先生と子供たちが中庭を歩いてるところだろう。いつもなら、その視線を辿ってカカシ先生を探してた。視線の先に見つけたカカシ先生は子供たちの後ろを歩きながらこちらを見上げて手を振っている。それに軽く頭を下げると、今度はくいっと盃を傾ける仕草をして首を傾げた。それに頷くとにこーってカンジで目を細めて―――。
(わわっ)
勝手に再生された記憶を慌てて掻き消した。向けられる視線には気付かないフリをする。
部屋に入ってきたカカシ先生はどこか落ち着かないチャクラを振りまいていた。ほんの僅かな乱れで、他の者が気付いた様子はない。
(それが判るくらいの付き合いだけはあるもんなぁ・・・)
自嘲気味に思いながら顔を上げると、目が合って、真っ直ぐカカシ先生がやって来た。
「あの・・・イルカセンセ―――」
「お疲れ様です」
にっこり笑って手を差し出した。え?っと戸惑うカカシ先生に、
「報告書、頂きます」
満面の笑みで言った。差し出された報告書に目を通せば不備は無く、ポンと判子をつくと、
「お疲れ様でした」
と言って受理箱に報告書を入れた。前を向けばカカシ先生が何か言いたげに口をもごもごさせているのが口布越しに伺えた。
何か言い出す前に先手を打った。
「カカシ先生」
「ハイっ」
「火影様がお呼びです。すぐに行ってください」
「え・・でも・・・オレ・・・まだ・・・」
「行ってください。すぐに」
「・・・・分かりました」
すぐに、を強調して言えば、カカシ先生はしゅんとして踵を返した。背中がいつもより丸くなっている。その背中を見ていると何か声を掛けたくなったがぐっと我慢した。恐らくこれから任務だろう。行く前に何か一言・・・・。
静かに出て行く後姿を見送った。
(これでいい。)
何度も自分に言い聞かせる。
もう、友達として以外、深く拘らないと決めたのだから。