candy bar 2
季節は春から夏へと移った。
大きく開け放たれた窓からはほんの僅かの風とシャワシャワ、ミンミンと蝉の大合唱が入ってくる。
室内温度29℃。
経費削減で30℃を超えないとクーラーを入れれない。あと1℃、あと1℃と額から流れてきた汗を拭った時、絡んできた視線に顔を上げれば。
はたけカカシ。
受付所の片隅に備え付けられたイスに座ってこちらを見ている。またかと、こっちも負けじと見返してやるが視線を外そうとしない。
生意気な。
以前なら、こちらが見る前に居なくなるか、居ても視線を合わそうとしなかったくせに、あの日から――春の暑かったあの時から、見ていることを隠さなくなった。でも、それだけ。またかと思って振り向けば、珍しくそこにいたから、何か行動でも起こすのかと思っていたら、何もなし。此方がじっと見返してやればふっと視線を外した。はっきり言って拍子抜け。なんていうか期待外れ。
もう、見たけりゃ見てろ、と放っておいたが、放っておくといつまでも突き刺さるから、何か用かと見返してやればやはり視線を逸らす。
何なんだ、一体!
カカシ先生が分かりやすかったのは、あの酔っていた時だけだった。しらふのカカシ先生はちょっと何考えてるのか解り難い。ただじっと見られるのも居心地が悪い。ぶっちゃけ、ちょっとめんどくさい。
そう思っていたら、近頃、視線を逸らさなくなった。今みたいに至近距離から見ていることもあれば、人波をぬって遠くから届くこともある。時に喧嘩でも売ってんのか、というぐらい強い視線を向けてくる事もあった。そうなると先に逸らした方が負けな気がしてきて、こっちもただひたすら見返す。どちらかが視線を逸らすまで。
「やった!30℃になったぞ」
「あ、あぁ・・・」
同僚に肩を叩かれ温度計を見た。クーラーを入れるために窓を閉めに立ち上がる。視界の端でカカシ先生を伺うと、その視線は手元の本の上に落とされもう此方を見ていなかった。
一体どうしたいのやら。見てるだけでは何も変わらないというのに。
その日は2ヶ月に一度の校外学習の日だった。今回のテーマは『働く人を写生しよう』で『観察眼を研く』のが目的だった。
朝から子供たちを連れて木の葉商店街にやって来た。開店前の店を珍しそうに見ている子供たちに画用紙を配ると、皆、思い思いに散っていく。その後を追いながら誰が何処に居るのか確認していると、通りの向こうから着ぐるみがやって来た。
スキップしながら大手を振って、妙にハジけた動きに感心していると、
「あー!コパくんだー!!」
子供たちが歓声を上げた。
コパくん。それは木の葉スーパーのイメージキャラクターで羽の生えた黄色い熊(森の妖精ということらしい)だ。時折商店街を歩いては、その日の特価の描いてあるチラシを配ったり、イベントを知らせたりしている。今日は色とりどりの風船を持って肩から『お菓子20%OFF』のたすきを掛けていた。
なるほど、あの風船で子供たちを集めるのかと見ていると、案の定子供たちが熊目掛けてわらわらと集まってきた。
「こらー、お前たち。授業中だぞー」
写生道具をほったらかして駆けて行くのに、無駄だと思いつつも言ってみる。子供は風船とか着ぐるみ好きだし、それにアレも働く人だし、まぁいいかと見守った。
集まってくる子供たちに熊はぴょんぴょん飛び跳ねて立ち止まると、腰を屈めて挨拶するように手を振り、一人一人の頭を撫ぜた。纏わり付いてくる子供たちを抱き上げたり、一緒になって飛び跳ねたり、それはそれは軽やかな動きを見せた。
すごい。あの人。
俺も下忍の頃に着ぐるみに入ったことがある。アレはあの可愛らしい見かけとは裏腹に結構重い。そしてとんでもなく暑い。たぶん今、あの中は灼熱地獄になっているだろう。でもそれを微塵も感じさせること無く子どもたちと遊んでいる。あたかも本当に森の妖精が遊びに来た様に。
「コパくーん。風船ちょうだぁい」
子供たちが強請るのにポンと手を打って、腰に括りつけていたそれを一つ一つ手渡していった。そしてもう一度頭を撫ぜると、絵を描けと、ジェスチャーして子供の背を押した。
あ、それ助かる。
遊んで風船を貰って満足して子供たちが写生に戻っていくのを感謝しながら見ていると、コパくんがコッチにやって来きた。そして、目の前で立ち止まると、風船を差し出してきた。真っ赤な奴を。
「え、いや、俺は結構です」
辞退すると、差し出した手はそのまま、首を傾げて、もう一度受け取れと言わんばかりに差し出す。
「いや、だからいいですって」
困ったなと思いつつ目の前で手を横に振れば、コパくんはそのまま固まった。ショックで打ちのめされたように。さっきまでのはしゃいでいた様子はなりを潜めて、ただ哀しいといわんばかりの風情で下を向いている。
所詮は着ぐるみ、その表情が変わる訳ないのに今にも涙を零しそうに見えて、あまりのいたいけな様子に断り続けるのも申し訳ない気がしてその手から風船を受け取った。
「ありがとう」
真っ赤な風船片手にそう言うと、コパくんが伺うように下から覗き込んできた。その様子が叱り付けた後、子供がもう怒っていないか此方を伺うのに似ていて。
「怒ってないよ」
つい、ぎゅっと抱きしめてしまった。だが、
「わっ!!」
抱きしめた着ぐるみの中の人の感触に慌てふためいた。
そうだった。コレは人間だった。
そう気付いたところで後の祭り。
「ごめんなさい!!」
思いっきり謝った。中が女の人だったらセクハラだ。が、コパくんはぶんぶんと首がもげそうなほど頭を振ると、フラフラしながら立ち去った。
ショックを受けたのだろう。
先ほどの軽やかな動きがまるで無く、時々よろけて躓きそうになりながら去っていった。
悪い事をしてしまった。後でもう一度謝ろうと思っていたら、また別の方向からコパくんが走ってきた。さっきのよりちっこいので、一体何体いるんだ?と思っていたらコパくんが俺、めがけて突進してきた。
「え!?なに?わぁー」
がしっと腰にしがみつかれて勢い余って後ろにひっくり返った。その拍子にコパくんの頭が転がった。
「イルカ先生!!」
「ナルト!お前なにやってんだ!」
中から出てきたのはナルトだった。
とうとうナルトに飛びつかれて支えられなくなったのか、俺も年かな・・・。いや、でも不意打ちだったし。
そんな事を考えながら二人で起き上がっていると、またコパくんがやってきた。いや、もうほんとに、何体いるんだよ。
「あーーっ、ナルト!顔とっちゃあダメって言われてるでしょっ」
「その声はサクラか?」
「はい。イルカ先生、お久しぶりです」
ぺこっと礼儀正しく大きな頭を下げてきた。
「イルカセンセイ。これすっげー暑いってばよ」
「知ってるよ。でも任務なんだろ?」
汗をだらだら流して言うのにしっかりやれ、と頭を被せてやった。
「そうなんです。私たち、今日一日中着てないとダメなんです」
泣きそうな声でサクラ。
「大変だけど頑張れ。終わったらアイス奢ってやるから」
「「やったー」」
二人ともぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
「あ、そうだ。さっきサスケにあったぞ。終わったら一緒に来いよな」
ぽんぽん熊の頭を撫ぜながら言うと二人が不思議そうに頭を傾けた。
「イルカ先生、何いってるの?」
「サスケだったら、今日は休みだってばよ」
「体調崩して休んでるんです」
「え?でも、さっき見たぞ?」
嫌な予感がざっと背筋を駆け上った。これ以上は聞くなと警報が鳴る。
「それ、カカシ先生だってばよ」
「サスケくんの代わりに入ることになってぶうぶう言ってましたから」
「うそ・・・・」
「うそじゃないって」
人の気も知らないで、ナルトが楽しそうに(いや、楽しそうなのは着ぐるみの顔だけなんだが)言った。
ひんやりとクーラーの効いた受付所に座りながら、だらだらと汗を流した。7班の報告書はまだ出ていない。
なんていうか・・・、死刑台への階段を目の前にした気持ち?発表会の直前?そんな気分でカカシ先生が来るのを待った。
一体何言われるだろう。いや、でもアレはスーパーの人だったかもしれないし。
往生際悪くそんな事を考えていたら廊下から声が聞こえた。どきっとしたらアスマ先生だった。ちょっとほっとしたのに。
「お前、そんなところで何やってんだ。邪魔だから入るならさっさと入れ」
どかっと蹴りだされて、転がるようにして入って来たのはカカシ先生だった。
「「 !!! 」」
互いに目が合って、真っ赤になったカカシ先生に悟った。
アレはカカシ先生だったんだと。
「お疲れ様です」
とりあえず言ってみた。動揺は向こうの方がしてるし、それを見たら妙に肝が据わって、この際シラでもきってみようかと。
おずおずと差し出された報告書に目を通す。確かにサスケは欠勤になっている。おまけに三名で遂行と。・・・・・・・・。
ぽんっと完了の判子を突いた。
「ご苦労様でした」
いつものように言って、にこっと笑って見上げれば、カカシ先生がじとっと見てきた。
言いたい事があるなら言ってみろ。
いつもより強いぐらいの視線を返せば、案の定何にも言わないから、
「次ぎの方、―――」
どうぞ、と言おうとしたら、
「イルカ先生のエッチ」
カカシ先生がボソッと言った。
言うに事欠いてそうきたか。
ぐっと言葉に詰まると更に、
「無かった事になんてならないよ」
「オレの純情返して」
淡々と追い討ちをかけてきた。
なーにーが純情だ、木の葉一の業師の分際で!とは思ったものの、俺が抱きついた事には変わりなく。
「すいませんでした」
謝っておいた。でもなんだか釈然としない。だいたい、誰があの中にカカシ先生が入ってると思うんだ。
「謝らなくていいから・・・悪いと思ったんなら何か奢って」
下を向いていたら更にそんな事を言ってきた。
「給料日前の中忍にたからないで下さい」
顔を上げて、ぴしゃっと言えば、さっきまでの強い視線はどこへやら、一瞬にしてしゅんとしょげ返った。
よく見れば指先が小さく震えている。
―――なんでこの人俺の前でこんな緊張するかな・・・・。
さっきのがカカシ先生の命一杯の誘い文句だったのに気付いた。
「・・・・ごめんな―――」
「屋台で宜しければ」
ちょっと絆されてしまって、カカシ先生の声を遮るとそう提案していた。
「え?」
「今は屋台が精一杯ですから」
いいですか?と聞けば、ぶんぶん首を縦に振った。
いや、だから、もげそうですってば。
カカシ先生の様子がおかしくて心の中で突っ込みを入れていると、いつものように片隅のイスに座った。嬉しそうにちょこんと座って柔らかな視線を投げかけてくる。
それは、ただじっと見られるよりも、ずっと心地よかった。