あなぽこ 6
歯医者に予約を入れた。
アカデミーが終わると、直行。
さっさとドアをくぐり、受付へ。
予約時間より早く着いたので待合室で時間を潰す。
歯の磨き方のポスターに、改定後の保険料のポスター。
片っ端から目を通して名前が呼ばれるのを待った。
しばらくするとトイレに行きたくなったが、気のせいだろう。
トイレはアカデミーを出る前に済ませてきたばかりだ。
「・・――さーん」
診察室から誰かを呼ぶ声がする。
俺じゃない。今のは俺の名前じゃなかった。
「うみのさーん」
・・・俺か。
潔く診察室に向かった。
どこに座ればいいんだ?
4つあるイスに目を泳がせていると「こちらにどーぞ」と女の人の柔らかい声が掛かった。
促されるまま座り、目の前に並んだ薬品や機材に視線を走らせる。
アレで歯を削られる。
アレが歯に穴を開ける。
アレが――
「ではイスを倒しますね」
横に座ったのはさっきの女の人だった。
助手の人かと思えば、先生だったらしい。
「今日は・・虫歯の治療ですね。では口を開けてください」
いよいよだ。
あ、と口を開けて天井を見た。
ライトが顔の前まで下ろされ、眩しさに目を細める。
「もう少し大きく・・・」
やってます、と思いつつ更に口を開ける。
「虫歯は・・・・」
「ここです」
「・・ちょっとだけですね・・・他の歯も見ますね」
先に丸い鏡が付いた棒が口の中に入り、奥歯から順に鏡が当てられた。
他にもあったらどうしよう・・・。
陰鬱な気分で審判がくだされるのを待つ。
前歯のところまで来ると、ゴム手袋をつけた手が唇を捲る。
ゴム。
ゴムの味、・・・・ちょっと違う。
ぱっとカカシさんの顔が頭に浮かんで慌てて消した。
はわわわっ、俺ってやつは!
なんでここでアノ時を思い出すんだ!
考えるな、考えるな――。
口の中に意識を集中させて思考を散らした。
「次、歯茎見ますね」
歯茎?それより虫歯はどうなったんだろう。
治療がいつ始まるのか気になって仕方がない。
「イス戻しますね。軽くうがいしてください」
うがいを済ませ、じゅこーとコップに水が溜まるのを見ていると、
「では、説明しますね」
女医さんが歯茎の載ったボードを取り出した。
先生、虫歯は?
「うみのさん、歯茎がちょっと弱ってますね。正常な歯茎はこれ。で、うみのさんの歯茎はこっち。位置が下がってます。軽い歯周病ですね。歯周病に罹ると虫歯を治すよりも完治が難しくて――」
ショック!!
小さい虫歯の治療で来ただけなのになんてこった。
でも軽いと言われて、まだマシだ自分を慰める。
「――ここまでになると歯が抜け落ちたりするんですけど――、うみのさんの場合は歯を磨きすぎて位置が下がったのだと思われますが、歯ブラシを強く当てすぎてませんか?」
「えっ、あ、はい、・・・・磨きすぎ?」
「ええ、力を入れすぎると歯茎が痛んで弱ってくるんです」
「・・・そうかもしれない」
心当たりアリまくり。
特に最近、虫歯が気になってガシガシ磨いてた。
たまに血が混じることもあったが、そうか。そうだったのか。
磨きすぎても駄目なんだ。
「今日は歯の磨き方を覚えて帰ってもらって、治療は歯茎が良くなってからにしましょう。今治療しても歯茎が下がったままだと、すぐ詰めた物が取れてしまいますので」
「・・・はい」
「ちょっと待ってくださいね。院長ーっ」
大きな声で呼ばれて来たのは小さなおじいちゃんだった。
なんとなく見覚えがある。
たぶん前に治療して貰ったのが彼だろう。
あの時はおっちゃんだったけど。
「イス倒すよ。口開けてー」
そっけない態度だったけど、俺はおじいちゃんっ子だったのでめちゃくちゃ心弾んだ。
女医さんがゴム手袋だったのに対しておじいちゃんが素手で歯に触れたことにも好感が上がる。
歯が好きってカンジがする。
「はー・・これは歯茎直してからじゃな・・・」
他の歯も覘きながら、女医さんと同じことを言った。
「歯茎の説明は?」
「終わってます、しばらく様子見て――」
2人の会話を聞きながら、自分にもこんなころがあったなーと懐かしく思い出す。
女医さんはまだ新米らしかった。
それから歯の磨き方を教えて貰った。
治療が先延ばしになったことに心残りもあるが、先に伸びてほっとした。
ついでに歯石も取って貰ってうがいをしていると、再び女医さんが院長を呼んだ。
「やだっ、院長ったら――」
黄色い声が上がったのに視線を向けると、トイレから出てきたおじいちゃんがズボンのファスナーを上げてるところだった。
ふはっ。
思わずつられて笑ってしまうが・・・・。
――おじいちゃん、手袋しよーよ。
さっき歯を触られたの思い出して、笑顔が固まった。
ま、いっけど。
次の予約を入れて、今日は終わり。
時間にして20分。
あっという間に終わってしまって拍子抜けしながら商店街を歩いた。
今日は俺がご飯を作ろうと店先を覘いて、秋刀魚をまるまる2尾買った。
茄子も買って、歯ブラシはヘッドが小さいのがいいと言われたのを思い出してカカシさんのと一緒に購入。
「それから・・・それから・・・」
何をすればいいだろう。
どうすればカカシさんの機嫌は直る・・・?
考えてもいい方法なんて思いつかなかった。
「おかえりなさい」
「・・ただいま」
僅かな間の間に、一瞬視線を逸らされてツキッと胸が痛んだ。
まだ怒ってる・・・。それも仕方ないけど・・・。
「カカシさん、今日歯医者行ってきました」
勤めて明るく報告するとカカシさんがほっとしたように笑った。
それだけでたまらなく嬉しくなる。
でも治療もまだで、おまけに歯周病だと言われたことを言い出しにくくて、それでももう誤魔化すのは嫌で白状した。
「見せて?」
「え・・なんで・・」
いーからと両手で頬を掴まれ、指が唇を下げてくる。
虫歯も弱った歯茎も見せたくない。
また汚いって思われたらどうしよう・・・。
不安で鼻の奥がジンジンする。
真剣な表情で口の中を見ていたカカシさんが歯茎を撫ぜた。
ビックリした。
だって普通触らない。
おじいちゃんが歯を触ったのは歯が好きだからだろうが、カカシさんが触るのは――俺を好きだからだ。
鼻の奥のジンジンがツーンに変わる。
「痛いの?」
「いひゃくありまひぇん」
口を開けたままの不明瞭な言葉にカカシさんがぷっと吹き出した。
「よかった」
指が外れても頬に触れる手はそのままで、離して欲しくないなと思っていると、ちゅっとカカシさんが唇にキスした。
「あっ!俺まだ虫歯が・・・」
「いーよ。だってイルカセンセイにキスしたい」
軽く啄ばんでくるのに胸がいっぱいになってカカシさんに抱きついた。
「カカシさん、ごめんなさい!俺、つまらない言い訳なんかして嫌な思いさせて・・・、怒ってますか・・・?」
「怒ってないよ。最初から怒ってなんかないよ。ただ、心配だっただーけ」
背中に廻る腕の強さと優しい言葉に目が熱くなる。泣きそうになってるのを誤魔化したくて、カカシさんの肩口に顔を押し付けると頭を挟み込むようにカカシさんの頬が触れてくる。
服越しに伝わる温かさに安らいだ。
それでも胸に残る一抹の不安に思い切って聞いてみた。
「・・・カカシさん・・俺のこと・・・汚いって思ってますか?」
「なに言ってんの!そんなこと思うわけないじゃない!」
「・・・よかった」
「そんなこと心配してたの?ごめんね、オレがあんな態度取ったから・・」
ううんと首を振ると体が持ち上がって、カカシさんが歩き出した。
どこに、なんて聞かなくても分かる。
俺もその気だったから。
だけど柔らかい布団の上、カカシさんの見上げながらつい気になったことが口から漏れた。
「・・・ご飯が冷める・・・」
この状況でなんて興ざめな事を言ったんだろう。
自分の色気の無さに頭を抱えたくなったが、カカシさんのほうが上手だった。
「先にコッチはダメ?」
甘さ全開の声で強請られて、ふるりと震えた体に気づいたカカシさんに深く口吻けられて――、やがて快楽の波にのまれていった。
終わった後、すっかり冷めてしまったご飯を一緒に食べて、お風呂に入って、歯を磨いた。
最高に素敵な一日だった。