←text top緋に染まる 5
ついに逃れないところまで来てしまった。
男に圧し掛かられた重みと背中に掛かる熱い息が、嫌でも行為が始まったことを教えてくれる。
(これは任務だ、出来ることをしないと・・)
そう思っても体が思うように動かない。
布越しに体を男の手が好き勝手に這い回り、着物を脱がそうと襟を掴む手に袂を掴んで抵抗すると裾を捲くられ素足を撫ぜられた。
「ヒッ」
混乱と焦りでパニックになる。肩に触れる唇に、今更ながら向いてないと強く実感した。
こういうことは好きな人とだけしたい。
あまりに強くそう願いすぎて涙が出た。
「・・・こわい・・」
口の中で殺した言葉は男に届いてしまったようで、男が動きを止めた。
「コワイの?優しくするよ?」
「・・・・・・・・・・・・」
男が顔を覗き込むのが分かったが、顔を背けて男の視線から逃れた。
(・・分かっていない)
俺が怖いのは行為そのものではなく、こんなことに体を使った後の自分だ。きっと今までとは同じでいられなくなる。
(とうちゃん、かあちゃん、ごめん・・)
せっかく大事に産んで貰ったのに穢してしまう。声を殺して泣くと涙は柔らかな布団に吸い込まれた。
「少し腰を上げて」
男が指示してくるが体が強張って従えない。じっとしていると腹の下を腕が通って腰を持ち上げられた。膝をついて腰だけ高く上げらされる。下着は履いてなかったから、着物の下を滑って男の手は難なく裸の尻に触れた。
どうしようもなく体が震える。
2、3度尻から腿へと手を往復させると、背中を覆うように男が体を被せた。男同士がどこを使うか知っている。いきなり押し込まれることを想像して身を硬くすると、男が意外なことを口にした。
「ね、名前教えて?」
首筋をちうと吸われる。黙っていると男の手が腰に回って体を横に倒された。重なったまま寝転がる。優しく髪を梳き始めた手に状況が理解できない。それでも髪を梳かれるのは気持ちよく、腕に抱かれたままじっとしていると男が勝手にチェーン引っ張ってタグを手繰り寄せた。
「あっ」
「うみのイルカ?」
名前を知られたことで怖さが舞い戻った。
(付き纏われたらどうしよう・・)
慰み者とか都合のいい相手とか、最悪な未来を想像して絶望する。
「かわいい名前」
「えっ」
「『イルカ』って、かわいい」
「・・・・」
だけど男が口にしたのは思っていたこととあまりにもかけ離れていたので拍子抜けしてしまった。それになんだかとても愛しげに言うから・・・、
「・・・・照れてるの?」
「ちが・・っ」
「だって顔が赤くなったよ?」
「ちがうっ」
「ふふっ、かわいい。イルカってかわいい・・。・・・・ね、イルカって呼んでいい?」
俺に拒否権がある筈もなく、僅かに顎を引くと男は嬉しそうに笑った。
「オレのことも名前で呼んでいーよ」
「・・・・・」
からかってるんだろうか?
彼の名前なんて知らない。彼の名前と言えば、昨日はエノキでその前はシメジ、さらにその前はエリンギにマイタケ。一体どれで呼べばいいんだ。
だけど彼に名前を聞こうとは思わなかった。
「ねぇ、初めて?・・・男とスルのは俺が最初?」
もう一度頷くと、強く抱きしめられた。
「じゃあ、うんと優しくしするね」
男の唇がこめかみに触れる。啄ばむように頬を滑り、それはやがて唇に触れた。柔らかに唇が重なり口吻けられる。想い合う恋人同士のような甘やかな口吻けを施されて、少しだけぼうっとしてしまった。目を閉じてその感覚を追う。
「イルカ」
優しく呼ばれて目を開けると、男は少しだけ唇を食んで、ちゅっと音を立てて離れた。
「イルカ」
甘い声で名を呼ばれる。その響きにきゅっと胸が疼いた。
(・・・そんな風に呼ばないで欲しい)
そうされると、男が自分の恋人のような錯覚に襲われる。違うのに、男が甘く触れるから勘違いしそうになる。
きっと男は自分とは違って酷く手馴れているに違いない。こんな風に一夜の相手を扱うことに慣れている。だから本気しちゃあいけない。これが今この場だけのことだと、いくら経験の浅い俺でも知っている。
でも・・・。
遠い意識の底で想って消えた。
本当に恋人同士だったら良かったのにな。
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