緋に染まる 2





 二階から見下ろす街の通りはまだ時間が早い為か人通りは疎らで、それも商用と思しき者が数人行き来するばかりだった。腰よりも低い位置にある窓の桟に腰掛け、簾越しに外の風に当たれば、真冬の割りに暖かな風が頬に触れた。
 寝すぎてだるい体を持て余してぼーっと外を眺めていると、日は落ち店先の提灯に明かりが燈り始めた。風に揺れる提灯が周囲を紅く照らし出す。店世に女たちが座り始めると、そろそろ自分が頼んだ女も来る頃かだと通りを見渡すと、そこに見慣れた姿を見つけた。
 と言っても服装だけ。こんなところに忍服で来るなんて珍しい。それが昨夜、受付で会った人だと気づいて「おや?」と思った。何か里から用事を言いつかったか。そわそわと辺りを見渡しているのは、遊びに来たのではなくこの店を探しているからだろう。
(あーあー、キョロキョロしちゃって・・)
 手馴れた遊女からすれば絶好のカモだろう。
 そう思っていたらするっと格子の隙間から出てきた白い手が男の腕に絡んだ。びくっと飛び上がらんばかりに驚いた男が中の遊女と言葉を交わす。
 『す、すいません!俺、仕事で来てて・・』
 そう唇が動いて深々と頭を下げるのに、遊女が軽く目を見開いた。その目の色が驚きから期待に変わる。
 遊女の心情が移り変わっていくのを、二階から眺めた。
 女は一人の人間として扱われることに慣れていない。だからこそ気づいたのだろう。目の前の男の情の深さを。そこから連れ出してくれると望んだのか、軽く絡んでいた指が男の服をしかと掴んだ。その目はもう客を見る目じゃない。
 だけど、頭を下げていた男はその変化に気づかなかった。顔を上げた男は掴んだ手をそうっと外した。そして女に何か話しかける。女の手がこの店を指差して、男が振り返った。その顔にほっと安堵ともう一つ、それを打ち消すような憂いが浮かび上がった。それもすぐに消えて、もう一度女に頭を下げると男は背を向けこちらに歩き出した。その背に女の目が縋る。
(・・残酷だね)
 くれてやるつもりがないのなら最初から与えなければいいのに。




 すぐに二階へと上がってくると思ったが、男はなかなか来なかった。入り口で手間取っているのか、それとも引継ぎだけして帰るつもりなのか。
 男がどんな遊女を用意したのか興味が沸いた。女よりもその過程に。あの様子ではなじみの店があるとは思えない。今回は朱の札だったから見せるだけで店側が最高位の遊女を差し出しただろうが、生真面目そうな男がどんな顔して遊郭に入ったのか。
 少し話が聞いてみたい。
 降りていって女が来るまでの間引きとめようかと考えていると、とんと木の階段を踏む音が聞こえた。その後ろに、静かな気配がもう一つ。口の端が軽く上がった。
「こちらです」
 控えめな声とともにすっと襖が開くと、男が立っていた。さがろうとする店の者に会釈して、こちらに向き直った男をまじまじと見つめた。
 顔は凡庸。生真面目そうな性格がさらにその表情をつまらないものにしていた。けど立ち姿は悪くない。役職を与えられればそれなりにこなすだろうが、どちらかと言えばこのタイプはサポートに向いている。相手を支えることで実力を発揮するタイプだ。見るからに中忍。殺り合えば、一秒で瞬殺出来る。
(一見するとそんな感じだけど、実際はどうかな・・?)
 目が合い、それでも入ってこないのにああ、と合点がいって声を掛けた。
「入っていーよ」
「あっ、は、はい・・っ」
 ぎこちなく頷きながらも踏み出そうとして、足は前に進まない。そんな男の動きに内心首を傾げた。何をそれほど戸惑うことがあるのか。入り口でぐずぐずするのに小さくため息を吐いてこっちから迎えに行くと目に見えて男の体が強張った。
「入って」
「あ、あの・・俺・・」
「いいから。こんなところじゃ人目に付くデショ」
 長居をしたくないと言うのなら引き止めたりはしない。だが、あからさまに避けるような素振りを見せられては面白くなかった。男の腕を掴んで中に引き込むと、「あっ」と小さな声が男の喉から漏れた。やけに怯えている。
(一体何なのよ・・)
「ごくろーさま。こんなところまで悪かったね」
 ふるふるっと首を振った男が懐から朱札を取り出した。
「あの・・これ・・」
 なぜ未だ男が持っているのか。
(・・自分で渡せってこと・・?)
 怪訝に思いながらも受け取ろうとして、札を差し出す手が小刻みに震えているのに気づいた。急速に目の前の相手から興味が引いていく。大方オレの素性がバレたのだろう。オレが『はたけカカシ』だと気づいた相手の反応は二つに一つ。媚びて近づいてくるか、やたら畏怖して遠ざかるか。彼は後者と判断して興味の対象から外した。なんてつまらない。もう用はなくなった。
「で、何時ごろ来るの?」
「え?」
 用件だけを威丈高に聞くと、男は怪訝な顔でこっちを見上げた。
「あの・・?」
「女は何時来るかって聞いてるの」
「えっ!?」
 何をそんなに驚くことがあるのか。予想外な反応に意表を突かれた。
「えっ、て・・呼んでくれたんデショ?遊女・・」
「ええっっ!?」
(なんだ、なんだ・・!?)
 驚きに息を詰めた男が真っ赤になって、それから青ざめていくのをあっけにとられた。
「も、」
「も?」
「申し訳ございません!!!」
「わっ!」
 きーんと鼓膜が破れそうな大音量で男が叫んでがばっと頭を下げた。きっと下の階まで聞こえたに違いない。
「てっきり俺に渡されたのかと思って・・っ、それでまだ女の人呼んでません」
「はぁ!?」
 改めて上から下まで男を眺める。何をどうすればそういう風に思えたのか。どうやら彼はオレが思うのと違うらしい。
 はっと顔を上げた男が踵を返した。
「今から行って来ます!まだ間に合うかも・・」
「いーよ」
 首根っこをひっ捕まえて男を止めた。男がじたばたと暴れる。
「でも・・っ」
「こんな時間だともう客が決まってるよ。急に呼び出されたら店にだって迷惑が掛かるデショ。」
 諭すように言えば男がうな垂れた。
「・・・すいません」
 しゅんと泣きそうな顔して振り返るのに、胸の奥からくつくつと楽しさが沸きあがった。いい事を思い付いた。
「もういーよ。そんなに気にしなくて」
「でも・・・」
 殊更易しく言うと、申し訳なさそうにしながらも男が安堵の表情を浮かべた。だから掴んでいた襟元を引き寄せ、耳元に息を吹き込んだ。

「アンタ、オレの相手してくれるつもりだったんデショ?」




text top
top