赤い門が遠くに見えて足を止めた。
昼間は堅く閉ざされている門が今は両側へと大きく開いて中の様子を窺わせていた。通りに沿って建物が並び、軒先で火の燈った紅い提灯が風に揺らいでいる。どの建物も柱は紅く、そこが特別な場所であることを示していた。
門を潜れば、そこは遊郭街。――一夜の快楽を売る所だ。
こういうことは好きな人と、と願っても、そうは言えない立場だ。
(・・・迷っても仕方ない。)
腹を括ると足を踏み出した。
緋に染まる 1
目的の場所へと歩きながら昨夜のことをもう一度考えていた。
急に交代を頼まれて受付所の夜勤任務に就いた。滞りなく受付を済ませ、その日帰ってくる忍びがあと二人となったとき、その人は帰ってきた。
姿は知っていた。
受付をしているときに何度か会った。だけど顔も素性もまったく知らない。口布と斜めに下ろされた額宛に顔は隠れ、毎回報告される任務報告書の名前も違っていたからだ。受ける任務はAランク以上。それによって彼が上忍ということだけ窺えた。
彼は余計なことを話さない。無言のまま差し出された報告書を受け取り、受理するのがいつものやりとりだった。
だけどその日は違った。上から渡すように言われていた物があったからだ。役目を終えて去ろうとした彼を引き止めて封筒を渡した。中身が何かなんて知らない。ただ、俺は自分の役目を果たした。それで彼は去っていく筈だったのに、いつもと違う行動をとった。
封筒を開いて中を覗いた。それから逆さにした封筒から彼の手に落ちてきた物に、俺はあっと声をあげそうになった。その意味を察して、人事なのに赤くなる。袋の中から出てきたのは朱塗りの札。――それは閨札と呼ばれるものだった。
それがあれば遊郭で女が抱ける。一札で一夜。朱、黒、金、銀、木とランクがあって朱は一番上のランクだ。あの札で遊郭の中でも一番高い位の遊女と一夜を過ごせる。長期の、単独任務に就いた時に渡されることが多い。
そんな閨札に関する知識を頭の中で並べていたら、彼が「ねぇ」といった。静かな部屋に響いた低めの声にドキッとすると、彼はもっと驚くことを言った。
「コレ、アンタがして?」
「はい?」
言われたことを頭の中で反復する。手渡された朱塗りの札にぽかんとしていると一方的に時間と場所を告げてきた。
「時間は明日の夕刻、場所は遊郭街に桜花って料亭があるからそこで。・・分かった?」
「は、はいっ」
確認されて思わず頷く。手の中に残った札とその意味に気づいたのは彼が消えてしばらく経ってからだった。
(・・・それって、俺が彼の相手をするってことか・・?)
ショックだ。はっきり言ってこの年でこんな任務が来るとは思ってなかった。若い時だってなかったのに。これから起こることを考えると不安でたまらなくなる。
一体、どんなことをさせられるのか。
だけど男が喜ぶこと、と考えれば簡単に想像がついた。
(・・・ありえない。)
そんなこと俺にさせて楽しいのだろうか?
何かの間違いだと思うから、あの人に会ったら真っ先に確認しよう。
(・・・でも)
間違いじゃなかったらどうしよう。そのときは言いなりになるしかないと、忍びとしての俺が告げる。そしてまた、たまらなく不安になって、――もう一度、仕方ないと言い聞かせた。
目的の店に辿り着くまで少し道に迷いながらも、言われた店に辿り着いた。その店の柱もやはり赤く、店の入り口を隠した長いのれんの前でしばらく逡巡する。そして、こうしていても始まらないと思い直して、のれんをかき分けた。
店の中は想像とは違って落ち着いた雰囲気だった。漆黒の板間は上品な感じがして、普通の料亭に見えなくもない。
「いらっしゃいませ」
すぐに柔らかな物腰の男がやってきた。
「あの・・、あ・・」
そこで初めて、なんと言って取り次いでもらえばいいのか考えていなかったことに気づいた。彼の名前は知らない。
(・・・そのせいにして帰ろうかな)
ずるい考えが思い浮かんで、それはいけないと打ち消した。でもこれで駄目だったら帰ろうと決めて、懐から朱札を出した。
「あの、これ・・・」
「はい、お伺いしております」
男はじっと札を見たあとにこりと笑みを浮かべた。その笑みは裏を感じさせるものじゃなかったけど、全身からどっと汗を吹いた。これから起こることを何もかも知られている。そう思えて体が羞恥に火照った。ありえないことと思い込もうとしていたことが現実として迫り来て、もう引き返せないと認識させられた。絶望が体を押し包む。
こちらへと促されるまま二階へと続く階段を上った。緊張に体が強張る。階段の手すりを掴んだ手がじっとりと汗で濡れていた。
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