←text top漆黒に染まる 5
(どうしよう…、消えない)
洗面台の鏡に映る自分の姿を見て大いに焦った。首筋にキスの痕が残っていた。これでは昨夜、何をしていたか知られてしまう。
なんとか誤魔化せないかと、ごしごし擦っていたら、カカシさんが顔を覗かせた。
「どうしたの? イルカ」
「な、なんでもないです!」
さっと首にタオルを掛けて隠したが、気付かれてしまった。
「あー、ゴメンネ。昨日は夢中になっちゃって…。付けないようにするの忘れてた」
「いえ、いいんです…」
労るように冷たい指先で首筋を撫でられて、ぞくっとした。昨夜の余韻が肌をざわめかせて、落ち着かなくなる。カカシさんに触れられるのは好きだ。抱かれるのも、痕を残されるのも構わない。
だけど、それを他人に知られるのが怖かった。
(どうして二人だけでいられないのだろう…)
何も考えずに、カカシさんとの恋に溺れていたかった。だって、とても好きなのだ。
でも周囲がそれを許さない。俺の低い階級と至らない容姿が、カカシさんに相応しくないと非難する。
先輩だけじゃなかった。見知らぬ人にも言われた。綺麗な女の人だった。その人から、カカシさんがどれほど凄い忍びなのか聞かされた。報告書では知り得なかった雄姿を教えられる。そして最後にこう言った。
――よく考えろと。
自分がカカシさんの隣に相応しいのかどうか、考えてみれば分かるでしょう、と。
奇しくも先輩と同じ言葉に、余程俺とカカシさんが不釣り合いに見えるのだと気付かされた。
キスの痕は絆創膏を貼り、タートルのアンダーを着て首元を隠した。ベストの襟もあるからこれで誰にも見られないだろう。
そう思っていたのに、職員室で自分の席に座っていると、同僚が首筋を突いた。
「どうしたんだよ、ここ。やけにデカイ絆創膏貼ってるな」
びくっと振り返ると、立っていた同僚が俺の首筋を見下ろしていた。慌てて首筋に手をやると、服と首の間に隙間が出来ていた。
「な、なんでもない!」
「それじゃあ、なんでもないって様子じゃないだろ。…あ!」
気付いたと言わんばかりの声に、心臓を氷の手で鷲掴みにされた。同僚が耳元に口を寄せて、こそっと囁く。
「…アレだろ。はたけ上忍と付き合ってるんだってな。シズル上忍が言ってた。待機所で、は――」
「噂なんて嘘だから!!」
思わず大きな声で怒鳴っていた。他の先生方が何事かとこっちを振り向く。同僚が、「なんでもありませーん」と戯けた調子で険悪になった空気を誤魔化した。やれやれ、と先生方が自分の仕事に戻っていくと、同僚が困惑した顔で俺を見ていた。
「何だよ、秘密なのか…?」
「そんなんじゃなくて、本当にカカシ先生とは何ともないから」
同僚の顔がまともに見られなかった。俯いて、時間が過ぎるのを待っていると、「そっか」と同僚が立ち去った。
これがまた、どんな噂になるのかと思うと、頭を抱えたくなった。
夕食が終わると、さっさと風呂に入って布団に潜り込んだ。そんな日がもう何日も続いている。目を閉じて、眠ったフリをしていると、カカシさんが布団の中に入って来た。
「…イルカ、眠ってるの?」
さらりと温かい手が髪を梳く。優しい手つきに、じわりと目が染みた。それでもカカシさんに背を向けて、じっと息を顰める。
やがてカカシさんが俺の体に腕を回して、寝心地の良い姿勢に落ちついた。背中を覆う温かい体にぽたりと涙が落ちた。
忙しいんです。
疲れています。
明日早いから。
最初していた言い訳を、カカシさんはもう聞いてこない。
(…俺に飽きたかな……)
ぽたぽたと落ちる涙を枕が静かに吸い取った。これじゃあ、別れを言い出される日も近いかもしれない。
結局、良い解決法なんて見つけられなかった。カカシさんが優れた上忍であることは変わりなく、俺が中忍なのも変わらない。
どんなに背伸びしたって、カカシさんには届かない。
← →