←text top緋に染まる 12
柔らかく指に絡まる髪の感触で目が覚めた。腕に掛かる頭の重みに意識が浮上するより早く喜びが込み上げる。目を開けて、腕にちょこんと頭を乗せて眠るイルカに嬉しさは増していった。
「イルカ・・」
呼びかけても返事はない。疲れきっているのか深い寝息を立てるだけで起きる気配はなかった。そうっと頬に掛かる髪を掻き上げた。無防備な寝顔は意外なほどあどけなく、また新たな一面を知った気がして嬉しくなった。
うっすら隈のある目元をなぞってからこめかみに触れる。そこに涙の跡を見つけて明け方のことを思い出した。
夜、繰り返された行為に疲れ果て、手足の融通が利かなくなったイルカを抱えて風呂に入った。恥ずかしがるイルカの体を丁寧に清めるのはとても楽しかった。それからうつらうつらするイルカを布団に入れて一緒に眠った。だけど浮き立った心は眠ることを嫌がった。夜が開けきらない内に目覚めて、隣で眠るイルカが気になって仕方なくなる。起こさないように気を付けたが、触れることを我慢できないでいるとイルカまで起こしてしまった。寝ぼけたイルカはオレに起こさたとは思わなかったようで目が合うとにっこり笑う。そんなイルカに顔を寄せてキスをしていると、気付けば体を重ねていた。それは熱に犯されたからじゃなく、とても当たり前のようにそうなった。昨夜のことを確かめるように、互いに触れて気持ちを確認し合う。
白い光の中で開いたイルカの体は昨夜の名残もあって柔らかくオレを受け止めた。大きく開いた足と上気した頬。揺すりあげるたびに揺れる体と殺した息遣い。
その姿はやらしいのに可愛くて、愛しかった。
いつまでも見ていたくて、熱を開放させないようにゆっくり動いた。穏やかな情交にこれ以上ないほどの満足感を得て、寄り添いながら火照った体を覚ましているうちにいつの間にか眠っていた。
ぐっすり眠ったままのイルカを置いて布団から抜け出した。軽く着物を羽織り風呂に向かう。桶に湯を汲むと部屋に戻ってイルカの体を拭いた。寒くないように何度も手ぬぐいを湯に浸けて温めた。握った手を開かせると昨日はここに米粒がびっしりと付いていたのを思い出して可笑しくなった。その手が枷となってオレに触れられないでいたから随分好きにさせてもらった。本当はそんな手で触られたってぜんぜんイヤじゃなかったのに。
(・・参ったなぁ)
すっかりイルカにハマっている。それもちょっとやそっとのことじゃ気持ちが変わらないのを確信できるほどに。
(オレの、大事な、大切なヒト)
胸の奥からふわりと、しっくりくる言葉が浮かんできた。きっとこれから先、オレはイルカに敵わない。イルカがここに来たときのことを思い出して小さく笑った。オレを瞬殺出来るのはイルカの方だ。
日が昇り、表に草履の音がするようになってもイルカはまだ目を覚まさないでいた。隣に寝そべって飽きることなくイルカの寝顔を眺める。
じゃりじゃりと土を踏む音に門の外の世界を思い出して惜しくなった。許されるならずっとイルカとこうしていたい。部屋に閉じ込めて、ずっと二人で――。
甘い想像を呼びに来た式鳥が遮った。コツコツと窓を突付く音に苛立つ。約束の時間はまだ先だと言うのに気の早い。いつもの遅刻癖を考慮してのものと思われたが、舌打ちするのを抑えられなかった。とは言え、自分の置かれた立場は弁えている。届けられた服に仕方なく着替え始めると、イルカの意識が覚醒するのを感じた。
(ああ、もったいない。)
イルカがこのまま気づかずに寝ていてくれたら、またここに戻ってくることが出来たのに。
未練たらしくそんなことを思っていると、背後でイルカが身を起こす気配がした。途端に悔しさでいっぱいになる。
「あ、起きたの?まだ寝てていーよ。疲れたデショ?」
拗ねた顔を見られたくなくてイルカの方を振り向けないでいた。どうかここに居てと強く願う。だけどイルカにも都合があって、そうはいかないだろうと容易に想像出来て地団太踏みそうになった。
(イヤだ、イヤだ、イヤだ!)
こんな頑是無い思いをしたのは初めてで自分でも感情を持て余した。みっともない姿を見せる前に逃げ出した。
「じゃあ、行くね・・・」
でも用事が終わればすぐにイルカの元に戻ってくると心に決めていた。イルカがどこに居たって会いに行く。
こっそりポケットに忍ばせたイルカの髪紐を握り締め、でもやっぱりもう一度イルカが見たくて、少しだけ、と口布を引き上げてから肩越しに振り返った。
そして心臓が止まるかと思った。
イルカが泣いている。堪えるように、声も出さずに。
静かに頬を濡らす様は見ていて痛々しく、慌ててイルカに駆け寄った。
「ど、どうしたの・・?体痛い?」
何も言わないイルカの背中を何度も撫ぜると、ようやくしゃくり上げ始め嗚咽混じりの呼吸を繰り返す。
(こんな泣き方して・・)
オレが振り返らなかったらどうするつもりだ。気づかずに、イルカを泣かせたままだったかもしれないと思うと焦燥感が沸いた。
「イルカ、お願いだから理由を言って?黙ってたら分からないよ・・」
激しく泣くイルカに弱り果てた。
「ねぇ・・、お願い・・」
「・・・こ・・これは、任務だったんですか・・?」
「えっ!?違うよ。言ったデショ? 付き合ってって。どうしてそんな風に思うの」
口調が責めるようになってしまったのは仕方ない。あんなに深く愛したというのに何も伝わっていなかったのか。
「・・だって・・、名前・・知らない・・・。教えて、くれないのは、も、・・会わない・・から・・。でも・・俺は・・、あなたの名前が知りた・・知りたい・・っ」
う〜っと大粒の涙を零すイルカを前に目まぐるしく考えた。
(え、そうだっけ・・?)
言ってないと言われればそんな気もしないでもないが、最近はコードで呼ばれることが多かったし、知ってても任務中に本名を呼ぶことはしないからあんまり名前というものを意識してなかった。
(そう言えば・・、オレが勝手に知ってるって思い込んだんだっけ・・。そっか知らなかったのか。知らなくて、あんな態度だったんだ・・)
いろいろな符号が合わさって、ここに来たときのイルカの心情を思いやることが出来た。
「・・・・・・・・・・・」
(・・かわいーなあー)
オレと言うより、純粋に「男』に怯えてたんだ。そうか。そうと分かっていればもっと優しくしたのに。・・・それは今のイルカを知っているからそう思うのだけど。
ひっくひっくと震える肩を引き寄せ、頭を撫ぜた。膝の上にイルカの涙がぽたぽた落ちてくる。
「言うの遅くなってゴメンね。オレはカカシっていうの。はたけ カカシ」
「・・ひっく・・・・・」
やっと呼吸を落ち着けたイルカがそっと顔を上げた。濡れた瞳がオレを見つめる。真実を確かめるように。「・・・・・・・・・・・・・カカシ、・・さん?」
どくん、と心臓が大きく波打った。イルカの声が心臓を一突きにして縛り上げる。うん、と返事をすると嬉しそうな波がイルカの顔に広がった。
「カカシ、さん」
繰り返されて眩暈がした。
ダメだ。
「連れて帰ろう。」
「え?」
聞き返すイルカには答えず服を着せた。
煽るイルカが悪い。こんな人、置いていけるわけが無い。
アンダーを着せてパンツを履かせてズボンを引き上げた。されるまま、恥ずかしそうにしているイルカの足に脚絆を巻いていく。下ろした髪も人に見せるのはもったいない気がしてポケットから紐を取り出すと結びなおした。仕上げに両頬を挟むとちゅっと口吻けて、ほわーっと紅く染まっていくイルカに満足して抱き上げた。
「カ、カカシさん・・あの・・」
「オレの家に行こう。イルカ今日仕事?そう・・、でも体辛いデショ?連絡出しておくから休んで。それですぐに帰ってくるからそれまでオレのこと待ってて」
急な展開に付いて来れないイルカに決定事項だけ告げて部屋を出る。
「あっ、わ、カカシさん!俺、歩けますからっ」
歩けると言い張るイルカをしぶしぶ下ろして下の階に下りた。玄関に向かうと店の主人者が出てきて頭を下げた。それに片手を上げて応えると一足先に行って靴を揃えてくれた。
「あとは・・」
「かしこまりました」
黙礼する主人を後にイルカを促して外に出た。
「あ、あの、カ・・、これ・・」
店を出て数歩も歩かないうちにイルカがオレの袖を引いた。ごそごそとベストの内側から出てきたのは朱色の札。
「支払いはこれでするんじゃないんですか?」
戸惑いを含んだ瞳に見上げられて頭を掻いた。
「もういーよ。いらない」
イルカを札で買うような真似はしたくない。――今更だけど。
「えっ、でも支払いは・・」
「もう済ませた」
えっと驚くイルカの内ポケットに札を押し戻した。これは記念にとっておこう。イルカとオレが出会ったきっかけとして。
「じゃ、じゃあ俺も払います!ご飯食べたし・・、・・その、泊まったし・・」
頬を紅く染めて言い募るイルカが可愛い。
「いーよ」
「駄目です!俺も・・」
「ホントにいいから。ね?」
頑ななイルカに言い聞かせて話を切り上げる。とぼとぼ歩くイルカに言い過ぎたかなと窺っていると、決心したようにイルカが顔を上げた。
「じゃあ俺もカカシさんの為に何かします。して欲しいことあったら言ってください!なんでもします」
「なんでも、なんて言ったらダーメ」
「でもっ、俺、なんだって出来ます!」
「あー、もう・・」
これ以上オレを嬉しがらせてどうするつもりだ。
否定すれば余計ムキになるイルカを抱えて屋根の上に跳んだ。
「カカシさんっ!」
悲鳴は聞こえなかったフリをする。一刻も早くイルカを家に連れて帰りたかった。
それから。
絶対に外に出ないことをイルカに言い含めて家を出た。任務なんてイルカには言ったけど、本当は次の任務の指示を受けるだけだったのですぐに帰る予定だ。
そして、三代目より新たな任務を受けた。
これから長い付き合いになりそうだよ。
よろしくね。
イルカ先生。
← end
漆黒に染まる→