5月26日 2





 カカシを見送ってドアに鍵を掛けると、しんとした部屋の空気にイルカの心は重くなった。
どっと自己嫌悪に陥る。
 バカみたいだ。一人で考え込んだ挙句勝手に落ち込んで。
 自分で言わないと決めたとはいえ言っておけば良かったかも、と後悔が押し寄せた。もし逆の立場なら言って欲しいと思っただろう。
 夕飯の後片付けもそこそこに、どさっとベッドに転がった。
 なにやってんだろ。任務前のカカシさんを不安にさせて。
 イルカは食事中、カンのいいカカシがイルカの態度がおかしなことに気付いて探りを入れてきているのに気付いた。咄嗟に誤魔化したが誤魔化しきれたとは思っていない。思えなかった。家を出るときにカカシが見せた顔は怒っていたというよりどこか淋し気だった。それでも何も言わないイルカに対してカカシは優しく接してくれた。
 カカシはとても包容力のある人でイルカが頑なになった時も黙って見守ってくれる。本当はそんなカカシに頼ったり、甘えてみたりしかった。でも、イルカにはその方法が分からない。今までなるべく人に頼らないようにして生きてきたし、甘え方なんて忘れてしまった。
「結局今年もまた一人か・・・」
 これ以上考え込むのが嫌で思考を閉ざすと電気を消して布団の中に潜り込んだ。

 土日を家でぼんやり過ごし、月曜、火曜は淡々と任務をこなした。このままいつも通り一週間を過ごす筈だったのに、火曜の任務受付明けに主任に呼ばれて事態は変わった。
「うみの君、君明日から休みね」
「え・・・どうしてですか?」
「あぁ、君、有給溜まってるでしょう。消化してもらわないと困るんです」
「でも、休みなんていりません」
「まぁ、そう言わず・・・これも里で決まってる事だから」
 じゃぁ、よろしくね、とぽんと肩を叩いて主任が去っていくのを呆然と見送った。
 その日の夜、何もする気になれなくてイルカは部屋の片隅に蹲った。そうしていると嫌でも子供の頃を思い出した。ふとナルトとの約束を思い出し、式を飛ばした。
 梅雨前で曇りがちな日が続いた為か気温が下がりもうすぐ夏だというのに肌寒かった。
のっそり立ち上がると寝室へ行き布団に潜り込んだ。布団の中も寒く、体を縮ませても手足が冷えてなかなか寝付けなかった。




 あったかいな・・・。
 翌朝、目が醒めるとあるはずの無い腕が目の前にあってイルカはぎょっとした。
 カカシさん!ウソ・・・。
 ゆっくり首を後ろに回すと銀色の髪が肩の辺りにあった。
 帰ってきたんだ。嬉しい、カカシさんがいる・・・。
 もぞもぞと寝返りをうつとカカシがすやすやと寝息を立てていた。『ん・・・』っと声を漏らしてイルカが寝返りを打つのに合わせて僅かに腕を上げると疲れているのかイルカの体勢が落ち着くとまたぎゅっと抱きしめて眠りについた。自然と己の体に絡みつき引き寄せようとするカカシの仕草にイルカの鼓動はドキドキと早鐘を打った。そっと背中に腕を回し、顎の下におでこをくっつけるとくん、とカカシの匂いを吸いこんだ。
 カカシさんのにおい・・・。
 うれしくてうれしくて堪らない。自然と笑みが零れ、体中が笑い出しそうになるのを唇を噛んで耐えた。起こしてしまわないように腕の中でじっとすると、上下するカカシの胸を眺めた。そうしていると時折おでこの下のカカシの喉がコクンと動いたり、吐き出す息が髪に触れてくすぐったかったりした。
 どれくらいの間そうしていたのか、朝の柔らかな光がだんだん眩しいほどになり今日が晴れている事を教えてくれた。
 もう今日はずっとこのままでもいいかもしれない、と思っているとカカシのお腹が『グー』っと鳴りイルカは思わず噴出した。
「イルカセンセ・・・」
 掠れた声でカカシが呼んだ。
「すいません。起こしちゃいましたか」
「い・・え・・・・」
 見上げれば、カカシが嬉しそうに口をゆがめるとイルカの髪に顔をうずめてきた。
「ただーいま」
「お帰りなさい。いつ帰ったんですか?」
「明け方です。イルカセンセ、よく寝てたから潜りこんじゃいました」
「早かったですね。俺、もっとかかると思ってました」
「うん。頑張ったからね」
 早く帰って来たくてめちゃくちゃ頑張りました、とぎゅっと抱きしめてくるのにイルカも抱きしめ返した。
「あ・・れ・・?イルカセンセ、今日仕事は?」
 窓から差し込んでくる光の量にカカシは不思議そうな顔をした。
「今日ね、休みなんです。有給消化で」
「えっ、そうなの?わっ、嬉しい。オレも休みだよ」
 二人一緒に休みなんていつぶりだろう。しかも今日だなんて。
 思いがけずこの日をカカシと過ごせる事になってイルカは堪らなく幸せな気持ちになった。
 カカシが側にいるだけで昨日までの憂鬱がウソのように晴れていく。一緒にいるだけで心が満たされていく。
「ホントうれしー。イルカセンセ、今日なにする?一緒にどっか行ってみる?」
 ウキウキとカカシが言うのにふと思いついて言ってみた。
「カカシさん、俺行きたいとこあるんですけど付き合ってもらえますか?」
「いいですよー。イルカ先生と一緒ならどこへでも行きますよ」

 朝食にしては遅い、昼食にしては早い時間に食事を取ると出掛ける準備をした。
 カカシの後を追ってイルカがドアをくぐり、ふと見ると右手で鍵を探しているカカシの左手が後ろ手に何かを探すように彷徨っていた。いつもカカシがそうしてくるのを思い出して、なんとなく右手を入れてみると当たり前のようにぎゅっと握って来るのに驚いた。カカシは手を繋いでることに気付いた様子がなく、あいかわらず鍵を探している。
 カカシはいつもイルカと手を繋ぐとき繋ぎたくなったからと言っていたが、本当はもうカカシの中では当然のことになっていることを知った。
 イルカが望もうが望まなかろうがカカシの心の中にはイルカの為の場所が在る。
 俺は何を考え込んでたんだろう。そんな必要全然なかったんだ。
 しっかり繋がれた手からカカシの温かさが流れ込んでくるようでイルカの胸は熱くなって、溢れ出しそうになるものに俯いた。
 そうしている間にカカシは鍵を締めた。
「行きましょうか」
 声をかけてくるのに頷くと顔を上げて溢れ出しそうになるものを笑顔に変えて頷いた。

****

 急いで任務を片付けると一旦家に帰って汚れを落とし、イルカの家へ向かった。イルカの様子が気になって仕方が無かった。
 イルカの家に着くと当然明かりは消え、しんとしていた。そっと鍵を開けて中に入ると寝室へ向かった。気配からいるのは分かっていたが、目で確認しない事には落ち着かなかった。
 ベッドの側にしゃがんでイルカの顔を覗き込んでみると、眉間に皺が寄って首まで被った布団を握り締めていた。
 それを見てカカシは、はぁっと溜め息を吐きだした。
 どうやらまだ解決していないらしい。
 立ち上がるとパジャマに着替えて、イルカの眠る布団に潜り込んだ。握り締めている指をそっと剥がすとカカシは自分の方へ引き寄せた。足が吃驚するほど冷たくなっていたので自分の足の間に挟んで温めた。
 腕の中にイルカを収めて漸くカカシは安心した。こうでもしないとイルカがどこかに行ってしまいそうな気がした。イルカの事で知らないことがあるというのは酷く不安だった。
 やっぱり起きたら聞いてみよう。
 そう心に決めると眠りの中に沈んでいった。

 イルカの体温が心地よくて随分寝入ってしまっていたらしい。
 目が醒めるとイルカはちゃんと腕の中に居て楽しげにカカシを見上げてきた。その顔は笑顔に満ちていていつものイルカだった。
 眠る前に思ったことは杞憂だったのだろうか?杞憂であればいいのだけれど。
 イルカの髪に顔をうずめて匂いを吸い込んだ。こうすると安心する。
 ただイルカの様子がいつもと違っているのが気にかかった。
 普段なら抱きしめれば大人しくされるがままだったのが抱き返してくるのにカカシは内心驚いた。それは嬉しかったが同時に不安にもなった。任務前のどことなく沈んだ様子と今の様子に差がありすぎてカカシは戸惑った。
 一体何がイルカを変えたのだろう?
 会わないでいた4日間の間に何があったのか聞いてみたい気がした。でも聞けば再びイルカに憂いを招きそうで聞けなかった。

 随分眠ってしまった様で気が付けば部屋の中は光に満ちていた。いくら日の出が早くなってきたとはいえ、これだけ明るければもうお昼に近い時間だろう。こんな時間にイルカがいるのが不思議で聞いてみると休みだと言う。思いがけず偶然重なった休みに心が浮き立って仕方なかった。偶には二人で出掛けてみたいと思い聞けば、行きたい所があると言う。
 遅めの朝食を食べると二人で出掛けた。 

 イルカに連れられて道を歩いた。ちょっと強いぐらいの日差しに繋いだ手が汗ばんだが離れないようにぎゅっと握った。イルカから振り解かれることは無かったが人が来たときだけそっと外され、通り過ぎるとまた繋がれた。イルカから繋がれる手に胸が高鳴った。さりげなく手を離すと指を絡めて繋いでみた。それとなくイルカを伺っていると、ぱっとこっちを見るとすぐに俯いて嬉しそうに小さく笑った。たまらなく幸せで、こんな日がずっと続く事を願った。

 街から離れたところまで来るとイルカが辺りを見回してさっと草むらの中にカカシを引っ張った。
「イルカセンセ?何処行くの?」
「確かこっちだったと思うんです・・・」
 そうじゃなくて・・・と思ったがカカシは黙って着いて行った。確か、と言う割には道なき道を迷い無く進んでいく。それにイルカが行きたいところであれば何処でも良かった。
 暫く草むらを分け入って振り返ると来た道が見えなくなった。誰もここを人が歩いてるとは思わないだろうというような所をまだ奥へと進んでいる。
「・・・・イルカセンセ、俺以外の誰かとこんなとこ来たら嫌ですよ」
 何かあっても誰も気付かない。
「来ませんよ」
 カカシの心配を他所にイルカは笑って返した。
「これから行くところはきっと誰も知らないところなんです」
「イルカ先生しか知らないの?」
「ええ、恐らく」
「それってイルカ先生の秘密の場所?」
「まぁ、そうなりますね」
 何でもないことの様に言う。事実、イルカにとっては何でもないことなのかもしれない。だが、カカシにとっては一歩イルカの中に踏み込めたようで胸が熱くなった。

 けものみちとも言えない様な道を歩いているとイルカが急に立ち止まった。横に追いついて見てみると崖になっている。
「橋がなくなってる・・・」
「橋?」
「ええ、前はね、ここにあった木が倒れて向こう側に行けるようになってたんです」
 と、朽ちた切り株を指す。倒れて橋の役割をしていた木は暫く来ない間に腐って無くなってしまったのだろう。見れば向こう側は距離がある上にこちらよりも高くなっていた。
「向こうへ行きたいの?」
 尋ねれば不安そうに眺めている。カカシは飛べる距離だがイルカはどうだろう。
「行ける?」
「どうでしょう・・・」
 試してみようかな、と言うのにぎょっとする。崖の下は深さがある上にまばらに生えた草の間から大きな石が見えた。落ちればただではすまない。カカシは迷ったが腕を広げてみた。
「おいで。オレ、イルカ先生抱えてても向こうまで飛べるよ」
 嫌がられるかと思ったが、目を丸くしてカカシを見たイルカは少し思案すると首に手を回してきた。その反応にカカシもまた驚いたが気が変わらない内にと腰と膝裏に手を回しイルカを抱き上げた。
「重くてすいません。・・・大丈夫ですか?」
「だいじょーぶ。イルカ先生抱えたまま落ちれまーせん」
「でも落ちる時は一緒ですね」
 しっかり首に手を回されてイルカの顔は見えなかったが楽しげに言ってくる。その声に不安は微塵もない。その信頼の篤さに眩暈がしそうになった。両腕にかかるイルカの重さが愛しい。
「イルカセンセ、大好き」
 すぐ横にあるイルカの耳に吹き込むと、おっことしてしまわないように抱き上げた指に力を込めた。
 数歩下がると足裏にチャクラを溜め、助走をつけると地面を蹴った。






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