5月26日 3
「変わらないな・・・」
ここに来るのは何年ぶりだろうか。カカシに助けてもらい飛び越えた崖の先は昔と変わらぬ風景、何の変哲も無い木と草の生えただの林が広がっている。
イルカを降ろしたカカシも同じように風景を見ている。
「イルカ先生が来たかったのってココ?」
不思議そうに聞いてくるカカシにイルカは笑いかけた。
「行きましょう、カカシさん。あともう少し行ったところなんです」
風に乗って僅かに甘い匂いが漂ってきて、居ても立ってもいられずカカシの手を取り引っ張った。
早くカカシに見せたかった。きっと驚いた顔をするだろうと思うと気持ちが弾んだ。落ち葉の降り積もった地面は柔らかく、自然と足取りがふわふわしたものになった。
林の中を突き進んでいくと益々香りが強くなった。
もうすぐ・・・・ほら・・・ここだ。
二人は木々が途切れ拓けたところに出た。辺り一面に背の低いぎざぎざの葉をつけた草が赤い実をつけて広がっていた。
「ここです」
横に並んだカカシを見上げてみると思ったとおり吃驚しているのに満足した。
「いちご?」
「ええ、野生のいちごです。カカシさん、いちご好きでしょ。いちご狩しましょう」
目をぱちくりさせて立ち止まっているカカシの腕を掴んで早く、と促した。無造作に伸びた蔦は一面に広がりたわわに実をつけている。カカシはそれを踏まないように恐る恐るといった体で足を踏み入れた。イルカは地面に着いていない真っ赤に熟れた実を選ぶと一つ摘みカカシの口に放り込んだ。
「・・・あまい」
嬉しそうなカカシに満足する。前から一緒に来たいと思っていた。きっとカカシが喜ぶだろうと思っていた。望みが一つ叶った。
持って来た風呂敷を蔦の上に広げるといちごを集めた。
退屈なのではと時折カカシを見てみると楽しそうに摘んでいる。そして赤く熟れた実を見つけてはぱくっと口に運んでいた。その光景が微笑ましくてつい笑って見ていると、つまみ食いが見つかった子供のような顔をしてカカシが笑う。
愛しかった。カカシが、この場所が、流れる時間が、ここにあるすべてのものが堪らなく愛しい。こんなに満たされた気持ちになるなんて思いもよらなかった。
風呂敷がいっぱいになると木陰に移動した。日差しは強かったが影に入ると風が冷たく心地よかった。昼も持たずに出てきてしまったが、これだけ採れればいちごでお腹がいっぱいになりそうだった。
「みてみてイルカセンセ、すごい真っ赤。きっとものすごく甘いですよ」
宝物を見せるようにカカシがポケットから大事そうに取り出した。
「ホント、甘そうですね」
それは風呂敷の中にあるどのいちごよりも赤く色づいている。きっとカカシが採った中で一番の、とっておきなのだろう。
「あーん」
可愛い事をするなぁ、と見ていると、何を思ったのかカカシがいちごの蔕を唇に挟んで突き出している。どうせ出来ないと思っているのだろう。にやにや笑って反応を楽しんでいる。
だったら。
足をのばして木に凭れかかっているカカシの腿の上に手を突くと顔を寄せていちごを攫った。微かに互いの唇が触れる。真近にあるカカシの目がまあるく見開らいて、自分で仕掛けたいたずらに驚くカカシが可笑しくてイルカは目を細めた。舌の上に乗ったいちごを転がして歯で押し潰せば甘い果汁が口中に広がった。
「あまい・・・」
今まで食べたどのいちごよりも・・・。だから・・・。
お裾分け、と今だ呆然とイルカの口元を見ているカカシに口吻けた。イルカからするのは初めてだった。そっとカカシの唇を割って舌を差し込めば、緊張して背中が震えた。それでもたどたどしく舌を絡めると、主導権はすぐにカカシに移って強く吸い上げられた。いつものカカシの口吻けの仕方。こうされるとイルカは安心する。強く求められてるようで。体の力が抜けて唇が離れそうになると背中と項にカカシの手が回って引き寄せられた。
「ま・・って・・」
中途半端な体勢が苦しくて体を離そうとするとカカシが膝裏に手を差し込んでぐっと引き寄せられた。自然とカカシを跨ぐ格好になり、恥ずかしくて身を引こうとするとカカシはそれを許さず、胸が密着るすほど抱きしめるとより深く口吻けてきた。角度を変えて幾度も、幾度も。息をする暇すら与えてもらえず、呼吸が苦しくなって肩を押すとちゅっと音を立てて漸くカカシが唇を離した。
「イルカセンセ、今日どうしたの?いつもと違うね。・・・・オレが居ない間になにかあった?」
なんだかどっかに行ってしまいそうで怖い、と不安そうに聞いてくるのに、イルカの胸の中は甘く痺れた。
「今日はね、特別なんです。俺、誕生日だから」
あんなに言えそうもないと思っていた言葉がするっと零れた。
「えっ、そうだったの!?どうして言ってくれなかったの?オレなんにも知らなくて・・・」
弱りきったように言う。
「すいません。何度も言おうと思ったんですけど」
ホントなんでだろ。今思うと不思議なくらいだ。
「もう・・・イルカ先生はオレに一緒にいてほしくないの?」
拗ねたようにカカシが見つめてくる。
「そんなことないですよ。俺だってカカシさんに・・いっ・・ょ・・・ケホッ」
急に喉が詰まって軽く噎せた。
「カ・・カシさん・・・い・・・しょにっ・・いてほ・・・た」
カカシさんに一緒にいてほしかったです、ただそう伝えたいだけなのに急に喉が締め付けられ、声が震えて上手く言えなかった。あれ?あれ?と思っているうちに目の前のカカシがぼやけてくる。
「ああ、イルカセンセ」
カカシの手がのびてきてイルカの頬を拭った。その濡れた感触に慌てて目を擦る。
泣くつもりなんてなかったのに・・・。
「ごめんね、イルカ先生。・・・泣かないで・・・」
カカシが擦っていた手を取って優しく引き寄せる。そうされるとあの日堪えていたモノが蘇り、わっと溢れてきてカカシの肩に顔をうずめて泣いた。
そばにいて欲しかった。でもその想いが強すぎて言葉にすることが出来なかった。断られたらと思うと怖くて言いだせなかった。
カカシが任務だと分かったときほっとすると同時にどうしようもなく寂しくなった。
これから任務だ。一週間は帰ってこない。
どんなに自分に言い聞かせても、もしかしたら、言ったら、知っていたら、帰ってきてくれるんじゃないか、と自分本位な考えが過ぎり嫌になった。
出て行こうとするカカシの腕を咄嗟に掴んでしまい、一人にしないで、そう口走りそうになって慌てて言葉を飲み込んだ。そんなこと口に出せる訳がなかった。お互い忍だ。個人を優先させてはいけない。理屈では分かっている。
それでも傍に居て欲しかった。
一頻り泣くとすっきりした。背中を摩るカカシの手が心地よかった。なんだか今まで胸の中で溜まっていたものが全て流れ出たようで心が軽かった。すっきりすると今度は気恥ずかしくなって暫く顔が上げることが出来なかった。しかしいつまでもそうしている訳にもいかず、そろっとカカシの肩から顔を上げると困ったような顔をしたカカシと目が合って、照れ隠しでてへっと笑った。
「ごめんね」
心底困った顔をしたカカシに首を横に振った。
「何も・・・謝る事なんて・・・」
ないです、そう言おうとしたらカカシの両手が頬を包みそっと涙を拭ってきて、漸く収まった涙がまた溢れそうになった。だからカカシの両手をとるとぎゅっと握って胸に押し当てた。
「俺のほうこそごめんなさい。困らせてしまって・・・」
「ううん。ホントごめんね。勝手なこと言って・・・。ねぇ、任務に出る前イルカ先生がなんかおかしかったのってそのせい?」
「あ・・・・すいませんでした。任務前に・・・」
余計なことを考えたせいでかえってカカシに気を使わせてしまったことを悔いた。ちゃんと伝えれば良かった。
「あぁ・・・そんな顔しないで。違うの。謝らないで。オレ何にも分かってあげられなくて・・・」
おろおろとカカシが言う。
「それにね、何にも用意してなくて・・・」
しょんぼりとうな垂れるカカシの頭に額を寄せた。
「そんなこと・・・いいんです」
だってもう貰った
一番欲しかったものを
ずっと欲しくて・・・もう手に入らないと諦めていたものを
カカシの心のなかに
「ずっと傍にいてください。それだけで十分です」
そう告げると掴んでいた手が離れて抱き寄せられた。
そしてここに俺をいさせてください。
コトンとカカシの胸に頭を預けると言葉が降ってきた。
「イルカ先生、お誕生日おめでとう」
ぶわっと胸の奥のほうから暖かいものが湧き上がって体中に広がっていく。
この瞬間、イルカは今まで生きてきた中でどの瞬間よりも幸せだと思った。
****
太陽が傾き空に浮かぶ雲が赤く染まる頃、漸くその場を後にした。
来たときと同じように手を繋いで帰る。ただ今度はカカシがイルカの手を引いた。
「それにしても不思議なところでしたね。あそこだけあんなにいちごがあってこの辺は何にもないし・・・」
「ああ。あそこも始めは何も無かったんです。たまたま持っていったいちごを
落としてしまって、そのまま放っておいたら次の年一株だけ生えてたんですけど年々増えていって」
「ふーん。じゃあ、その時イルカ先生がいちごを落とさなかったらこの日は無かったんですね」
一株がアレだけ増えたのだ。一体いつ頃のことなんだろうと思いつつ聞けば、繋いでいた手がびくっと震えた。
「どうかした?」
「いえ・・・。なんか不思議な気がして・・・。あの頃は・・・その・・・」
言いにくそうにイルカが語りだした。
「なに?」
カカシは立ち止まろうとしたがイルカがそのまま歩いていくのにカカシもまた歩き出す。考え込んでいるようだった。
「行くまでの道があんなだから・・・本当に誰も来なくて・・・あそこは・・・逃げ場所になってたと言うか・・・あんまりいい思い出が無かったんです」
「そうだったんですか・・・」
視線を落として歩くその姿に心が痛んだ。出来る事ならその頃のイルカに会いに行きたかった。もっと、もっと早くにイルカに会いたかった。出来もしない事を悔やむのは愚かなことだと知りながらも悔やまずにはいられない。
「でも・・・あの日々がなければ今日こうしてカカシさんと過ごす事もなかったのかと思うと」
そこで一旦言葉を切るとふわっと笑う。
「悪いもんじゃないなって」
その笑顔にカカシは見蕩れた。
「イルカ、センセ・・・」
嬉しかった。イルカの辛い思い出がカカシと過ごした事によって少しでも和らいだことが。そしてイルカが心の内を見せてくれた事も。あの場所に連れて行ってくれた事も。
今日一日でイルカのいろんなことを知った。また一歩イルカに近づけた気がした。こうして少しずつでもイルカに近づければいいなと思う。その機会はこれからも訪れるだろう。そう考えるとこれからのイルカとの未来がとても愛しいものに思えた。
ふわふわした道を歩きながら、言っても無駄だろうなと思いつつも言ってみる。
「ねぇ、イルカセンセ。やっぱり何か欲しいものない?」
「そんなのいいですって」
案の定、即答で返ってくる。
「でも傍にいるのって当たり前の事デショ?オレなにかプレゼントしたいよ」
形あるものを。それを見ればイルカがこの日のことを思い出してくれるようなものを。
そう言ってみてもイルカは笑ってぎゅっと手を握ってくるだけで。
「忘れたりしませんよ・・・それにね、俺、勝手にいろいろと貰ってるし」
何を?と不思議に思い後ろを振り返ると、照れたように笑うイルカと目が合った。
「えーっと。誕生日だし、いろいろと頑張ったから自分へのご褒美にカカシさんに甘えてみました」
勝手にすみません、と頭を下げるのに足を止める。
それでか。それで今日はあんなにも・・・・。
今日一日のイルカの態度の原因が分かりほっとする。と同時に。
可愛すぎる。
愛しさが込み上げて来て、きゅうきゅう抱きしめれば繋いでいないほうの手が背中にまわり、ますます愛しさが募る。
「イルカセンセ、そんなの365日いつでもどうぞ。オレ、イルカ先生がして欲しい事なら何でもするよ」
ホントはして欲しくないだろうことだってしたいぐらいなのに。
「それじゃあ、プレゼントにならないですよ」
腕の中でクスクス笑う。
「オレに甘える事がプレゼントなの?」
「ええ、自分へのプレゼント」
胸にぎゅっと顔を埋めてくるのに"愛しい"という言葉では収まりきれないような何かが狂おしいほど込み上げてくる。
「ああ、イルカセンセ・・・」
この気持ちをどう伝えていいのか分からない。ただ大切にしようと誓う。己のすべてを懸けて。
「イルカセンセ、何処行くの?家はこっち・・・」
曲がるべき所を曲がらずまっすぐ進んで行くイルカを不思議に思って聞いてみた。
「ナルト達に呼ばれてんです。誕生日のお祝いをしてくれるって言うんで」
「そう・・・ですか」
誕生日のことオレには言わなかったくせにナルト達とは約束していたのか。
急に気持ちが萎んで心持ち拗ねているとイルカがカカシの手を引っ張った。
「行きましょう?」
「オレ・・・呼ばれてませんから・・・」
ホントは思いっきり拗ねていた。これから二人っきりで夜を過ごせると思っていたからだ。なのにイルカは行こうと言う。
「何言ってんですか。話す前に呼ばれて行ってしまったって気にしてましたよ。それに久しぶりにあなたに会えて喜びますよ」
ほら、とイルカが手を引くのにしぶしぶついて行く。出来れば行きたくなかった。かといってイルカの手を離す気にもなれない。
ナルトの家は里の中心部に近いところにある。繋がれていた手も自然と離されてとぼとぼとイルカの後をついて行く。浮かれたように歩くイルカの後ろ姿が恨めしい。
「イルカセンセー!!遅いってばよ!」
悪かったなと腰に纏わりついているナルトの頭をぐりぐりと撫でている。
「あーーっ、カカシ先生もいる!!」
やっとカカシの存在に気付いたナルトが声を上げた。
忍者失格。
八つ当たりも含めて心の中で呟いた。
「来る途中会ったんでな、一緒に来て頂いたんだよ。会うの久しぶりだろ?」
すっかり"先生"の顔をしてイルカが笑うのに恨めしさが募る。
さっきまではオレだけのイルカ先生だったのに。
「なぁなぁイルカ先生、今日の任務どうだった?」
「ああ、無事に終わったよ」
なんのこと?
「ナルト!あんた、いつまでもそんなとこで話してないで早く中に入りなさい。あんたが其処にいると先生たち入れないじゃない」
奥からサクラが声を掛けるのにナルトが慌てたように二人を引っ張り、ドアを閉めると廊下を駆けて行く。それにイルカが続いた。先に行ったナルトが部屋に入って見えなくなると振り向いたイルカが悪戯っぽく笑った。共犯者に向ける笑みを湛えて。
・・・・もしかして空けてくれてた?帰ってくるかどうか分からないオレの為に?
ぺろっと舌を出すのに肩を掴むと追い越しざまに口吻けた。
「先生たちも早くー!!」
中からサクラの声がする。
「ハイハイ」
部屋に入ると盛大に飾られていた。
きっとあの人は立ち止まっている。
「イルカセンセー!なにしてんだってばよ?」
ナルトが再び廊下に戻ろうとするのを首根っこを掴んで引き止めた。サスケがやたら機嫌の良いカカシを胡散臭そうな目で見ている。
「すぐ来るよ。ホーラ、座れ」
ナルトを促して、サスケの頭をあの人がするようにぐりぐり撫ぜておいた。
俺だけが知っている顔をして。