5月26日 1
イルカはアカデミーからの帰り道、商店街に寄って夕飯の買い物をした。もうすぐ日も暮れると言うのに酒場から商店街が近い為か人が多かった。金曜の夜ということもあるのだろう。
「イルカセンセー!!」
聞き慣れた声に呼ばれて振り向けば、構える間も無くドシンと腰に衝撃が走った。
「うわっ!お前ぇいい加減それやめろって」
ナルトを受け止め、よろけそうになるのをなんとか耐えた。
何度言えば分かるんだ、と腰にへばり付く金色を見下ろし、くしゃくしゃと髪を掻き混ぜればキシシと笑ってナルトが見上げてくる。その笑顔にイルカは弱い。
「久しぶりだな、ナルト。元気だったか?」
ちょっと見ないうちにまた大きくなったような気がする。力も強くなった。いつまでこうして受け止める事が出来るのだろう。
ナルトの成長を嬉しくも思うが同時に寂しくも思う。
「オレはいつでも元気だってばよ!それよりイルカセンセ、次の水曜日空けといてくれよな!」
「なんだ?一楽か?それなら別に今日でも・・・」
「ちがうって!イルカ先生誕生日だからみんなでお祝いするってばよ」
ヒマ?ヒマ?と嬉しそうにナルトが飛び跳ねた。
そう言われてみれば・・・。すっかり忘れてた。
「もう予定入れちゃった・・・?」
何も言わず、ぽかんと見下ろすイルカにナルトが不安そうに聞いた。
「あ、いや・・・空いてるよ」
「だよな!イルカ先生彼女いないもんな!」
コラッっと頭を押さえ付けたがへへっと笑って堪えた様子が無い。
「・・・ったく。でも、覚えてくれてなんだな。ありがとな」
ぽんぽんと柔らかく頭を撫ぜてやると嬉しそうにナルトが笑った。
「そんなの当たり前だってばよ」
得意げに胸を反り返す。
素直で優しい子に育ってくれた。
そんな思いが胸の中に込み上げてきてじんとなる。でも、それと同時に浮かんできたのはカカシの顔。
「みんなってカカシ先生も?」
「うーん、わかんない。カカシ先生に言おうと思ってたら伝令が飛んできて行っちゃったから」
「そうか・・・」
なんだろう、急な任務かな。
「じゃあさ!その日みんなとお祝いでいいよなっ」
「あーまだなんとも・・・。任務があるかもしれない」
咄嗟にウソを吐いた。いやウソではない。実際入るかもしれない。
すまなさそうに言ったとたん、えーっとナルトが頬を膨らませた。
「えーー!!そんなの断ればいいじゃん」
「バカ、なに言ってんだ。お前ぇも下忍なんだからもうちょっと任務ってものをーーー」
イルカが説教しだすとナルトが声を上げてそれを遮った。
「わーってるってば!でもよ、でもよ!空けれそうなら空けといてくれよな」
「あぁ。分かったよ。またはっきりしたら連絡するから」
「約束!!」
「あぁ」
じゃあなと手を振って駆けて行くナルトを見送りながらちくりと罪悪感が浮かんだ。今ならナルトと約束しても何の問題もなかった。だが、イルカはカカシのことが気になった。カカシと何か約束をしているわけではない。でも誕生日は恋人と、と言ったナルトの言葉が引っかかった。彼女は居ないが、カカシがいる。付き合いだして初めて迎える誕生日にイルカは戸惑った。
イルカはどちらかと言えば誕生日とかクリスマスとかそういったものが苦手だった。特に誕生日はおめでたい日というよりは普段気にしないでいるような孤独を特に感じる日、一人である事を痛感する日だった。下忍になってからは任務に紛れて忘れてる事の方が多くなったが、それまでは『おめでとう』と言ってくれた両親がいなくて随分寂しい思いをした。でも今年は違う。今年はカカシがいる。
「カカシさんは俺の誕生日なんて知ってるんだろうか?俺言った事ないしな・・・。」
ポツリと呟けば胸を占めるのは僅かな期待と不安だった。
自分でも忘れていたぐらいだ。カカシさんが知っているとは思えない。言ってみようか・・・でも女じゃあるまいし。とてもじゃないが『誕生日なんで一緒に居てください』なんて言い出せそうにない。
ずっと一人でいたからこんな時どうしていいのか分からなかった。
家に帰り夕飯の支度をしながらカカシの帰りを待った。いつ言おうか、どのタイミングで言おう、どんな反応が返ってくるだろう、そればかりを考え米を研ぐ手がしばし止まった。
人は考えすぎるとたわいない事でも行動に移せなくなることがある。今のイルカはまさにその状態に陥りそうになっていた。ただ、誕生日なんです、と一言言う事がとんでもなく難しい。いっそのこと言わなくてもいいかという考えも浮かんでくる。
何で俺ってこんなだろう。
だんだん自分でもどうしたいのか分からなくなってきてはぁっと溜め息を吐くとカチャっと玄関の開く音がして、どくんと心臓が跳ねた。
「お帰りなさい」
玄関を覗いてみるとカカシが屈んで脚絆を脱いでいるところだった。心なしか背中がいつもより曲がっていて覇気がない。
とりあえず、居間に入って座ったら言ってみようと心に決める。
「ただいまー」
振り向いたカカシはどこかむっとしてきて機嫌が悪いようだった。
「どうかしたんですか?」
「・・・オレ今から任務に行く事になりました。予定では一週間ほどなんですけど、もしかしたら長引くかもしれません」
「・・・そうですか」
なんだ・・・。
それはつまり誕生日の日にはカカシは里に居ないということだ。カカシほどの忍ならそういったことも有り得たのにイルカはすっかり失念していた。あれこれ考えた事の中にカカシの不在というのはなかったのだ。
言えないな・・・。
「急に火影様に呼ばれて、別にオレでなくてもよさそうなのに」
ぼさぼさの頭を掻きながらふてくされた様に言う。
「あー、行きたくないなぁ」
「またそんなこと言って。駄目ですよ」
カカシを嗜めながらどこかほっとしているのをイルカは感じた。言わなくて良い理由が出来た事に。
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「どうかしました?」
夕飯を食べていく時間があったのでイルカと食事を取りながら、何処と無く元気の無いイルカに聞いてみた。
「なんでもないですよ?」
ニコッと笑って言うが頬が強張っている様に感じる。
何かあったんだろうか・・・。
強く探りを入れてみたいがイルカは言わないと決めた事はなかなか言ってくれない。イルカも大人だし悩みや問題があっても自分で解決していく事は分かってはいるがカカシにはそれが寂しく思えてならない。お互い好きになって一緒に暮らすようになったとはいってもまだどこか打ち解けていない、壁があるように感じられる。イルカの心の奥深くには踏み込めないでいるようでそれがたまらなく寂しい。もちろん誰しもそういう部分があることは理解している。理解してはいるがイルカのこととなると別だ。カカシはイルカを煩わせるすべてのものからイルカを守ってやりたい。でもそれをするのは同じ男としてイルカの矜持を傷つけるのが目に見えているのでやりたくても出来ない。もっと頼ってくれればいいのに。なんでも言ってくれればいいのに。イルカが一言言ってくれさえすればどんな事でも叶えて見せるのに。
「あーぁ。やっぱり行きたくない」
こんなイルカを一人にしておくのは不安だった。
「またそんな。貴方までナルトみたいなこと言って」
ぎゅうっと眉間に皺を寄せて睨みつけてくる。いつもの仕草だがそれが演技に思えてならない。
「ナルトに会ったの?」
そういえば昼間急に呼ばれてその場で解散したんだったと思い返して聞いてみれば僅かにイルカの体が強張った。ええ、まぁと言葉を濁す。いつもならナルトがらみのこととなると楽しげに話すのに。ナルトのことで何かあったんだろうか?
「あいつ、なんて?」
「え・・・急にカカシ先生がいなくなったって」
「それから?なんで任務の話になったの?」
なにかあるけど分からない。それがもどかしくてついつい尋問するように聞けば、イルカは目が泳ごうとするのを隠そうとするように味噌汁の椀を手に取るとずずっと汁を啜った。そのあまりな誤魔化し方にカカシの思考は一瞬止まった。
そんなことでは誤魔化されません。アンタはウソ吐くの下手なんだから。
イルカのこういうところを忍としてどうかと思うが、カカシにとっては愛しく思える一面でもあった。
しかし、椀を置いたイルカに目を向けると汁を飲み込んだことで落ち着いたのか真っ直ぐ見返してきた。期を失したことを知って苦々しく思う。
「なんでって。一楽に連れてけって言うから俺はまだ残業があるって言ったんですよ。そしたらそんなの明日でもいいだろって言うからちょっと説教しただけですよ」
「ふーん」
ありえそうな話だ。出来る事ならナルトの家まで行って確かめたいところだがそこまで時間は無かった。
「そうですか」
これ以上この話をしても意味が無いだろう。哀しいのを通り越してちょっとムカついた。イルカはウソ吐くのは下手だが狡猾だったりする。そういうとこも嫌いではないが、時々やり込められて反論できなくなったり、頭が上がらなくなったりする。それが悔しかったりするのだ。
さっと湯を浴びて着替えを済ませると身支度をして玄関に向かった。後ろから着いて来るイルカに駄目元で言ってみた。
「イルカセンセ、俺になんか言う事無いですか?」
振り向けばきょとんとしたイルカと目が合った。
「えっと、ご武運を?」
「・・・もういいです」
八つ当たりでつい声が尖ってしまった。さっと脚絆を履くとノブに手を伸ばす。
「カカシさん!!」
ぎゅうっと袖を掴まれ泣きそうなイルカと目があった。
「なにか怒ってるんですか?俺・・・」
みるみる瞳に膜が張って目の淵に溜まって揺らめいた。
ああ、何やってんだ、オレ。イルカ先生にこんな顔させて。
「違うんです。やっぱり行きたくなくて・・・つい当たってしまいました。ごめんなさい」
ってオレは子供か。ほんと情けない。八つ当たりする前にオレがもっと頼れる人間になればいいだけのことなのに。オレってほんと器が小さい。
ぺろっと目を舐めると口の中に塩味が広がった。自分のせいで溢れそうになった涙を飲み込むと胸が締め付けられた。
思いのまま唇を重ねるとイルカは大人しく受け止めた。いいか、やっちゃえと唇を割って舌を滑り込ませると深く絡めイルカの舌を吸い上げた。何度も角度を変え貪ると狭い玄関に水音が響いた。いつもならここまですると背中を叩かれたり、引き剥がされたりするのに今日は縋るように背中に手を回し口吻けに答えた。
何がここまでイルカを不安にさせているのだろう。分かってやれないのが哀しくて悔しい。
名残惜しかったがちゅっと音をさせて唇を離した。潤んだ目からポロッっと雫が零れ落ち、指で拭うと恥ずかしそうに俯いた。
どうせ泣かれるのならこっちの方がいいな。
にっこり笑いかけるとイルカもはにかんだ様な笑顔を見せた。
「いってきます」
「気をつけて」
「ん。なるべく早く帰るから」
最後にもう一度ちゅっと口吻けるとカカシはドアをくぐった。
ほんとに早く帰って来てやると心に決めて。