やさしい手 20
四つんばいになったイルカ先生のお尻に目が釘付けになった。
「カカシ先生は上がいいですか?それとも下がいいですか?」
「う、うぇ?・・げふげふっ」
声が上ずってしまったのは慌てて咳をして誤魔化した。突然咳き込んだオレにイルカ先生が振り返る。それになんでもないと手を振るとにこっとイルカ先生が笑った。
「じゃあカカシ先生は俺ので申し訳ないんですけどベッド使ってくださいね」
「あっ、いえ、布団でいいですよ」
「そうですか?」
「はい・・」
頷くと、またえっちらおっちらお尻を動かしてイルカ先生が布団を整えた。
分かっている。イルカ先生がどっちが上か下かなんて聞くわけないってことは。
それはともかく、――本音を言うと一緒に寝たい。だけどとてもじゃないがそんなこと言い出せる雰囲気じゃなかった。
アイスを買った後、外で食べるものなんだからと再び部屋に戻ってきた。そこでアイスを食べ、話してるうちに時間が過ぎて、このまま帰りたくないなーなんて思っていたらイルカ先生が言った。「もう遅いですし、今日は泊まっていきませんか」と。一も二も無く頷いた。もしかして誘われてるのかと期待したけど、イルカ先生はただ純粋に寝床を提供してくれてるだけだった。
真っ暗な部屋にコチコチと時計の秒針の音が響いた。
(眠れない・・、眠れない・・、・・・眠れるか!!)
もんもんと下からベッドを見上げた。こんもり盛り上がった布団の中にはイルカ先生が居る。そう思うと目はギンギンに冴え、耳は僅かな音も拾おうとして緊張しっぱなしになった。
だって仕方ない。好きな人がすぐ傍で寝てるのだから。気になら無い訳がない。
イルカ先生はもう寝ただろうか?寝たら少しだけ寝顔を覗いてみよう。そうして自分を慰めて一夜を明かそう。
ひたすらイルカ先生の寝息を待つ。そうすると、
「カカシ先生・・、もう寝ましたが?」
もそりと布団が動いたから心臓が止まりそうになった。
「お、起きてますよ・・、どうしたの?眠れない?」
・・・オレが居るから。
イルカ先生が寝ずらかったんじゃないかと気にしていると、寝返りを打ったイルカ先生が布団の端っこからちょこっと顔を出した。イルカ先生も全然眠っていなかったことが窺がえたけど、その表情はどこか楽しげだった。
「カカシ先生、まだお話してもいいですか?」
可愛い申し出に口元が綻ぶ。
「いーよ」
甘い気持ちでとろりと返事するとイルカ先生の顔が綻んだ。下ろした髪が一筋頬に掛かっている。手を伸ばしてその髪をかき上げる想像をした。
「あの、子供の頃のカカシ先生ってどんなでした?」
「子供の頃ですか・・?そうですねぇ・・」
思い返せば、オレにだって子供らしかった頃がある。
思い出すのは見上げた広くて大きな背中。後ろを付いて行ける自分が誇らしくて嬉しかった。・・・もちろんそれだけじゃなかったけど。
イルカ先生には当たり障りない楽しかった思い出だけを話した。目を細めて楽しそうに聞いているイルカ先生を見ていたらそれでいいと思えた。
「イルカ先生は?」
「俺はすごいやんちゃでしたよ。じっとしてることが出来なくて、目が覚めたらご飯食べて、いっつも外に遊びに行ってました。自分よりも大きなお兄ちゃんについていくのが楽しくて・・」
そこで話の途切れ、イルカ先生がふふっと思い出し笑いした。
「なあに?」
「いえね、俺、子供の頃ずっと父のことをどっかから来たおじさんだと思ってて・・。その頃父は長期の里外任務に就いていたので長い間会ってなかったんです。で、会わないうちに顔を忘れてしまって・・。気付いたら知らないおじちゃんが家に住んでたんです。この人がとうちゃんだって言われても最初は懐けなくて・・。それで遠くから様子を窺がってたら、ある日縁側に座ってたとうちゃんが急に消えたんです。ぱって・・。今にして思えば瞬身なんですけど、当事は四歳の子供でしたからそれが不思議で不思議で。どこいったんだろうって探してたら「こっちだよ」って木の上から手を振ってたんです。それがすっごくかっこよく見えて。一緒に遊んでくれたお兄ちゃん達の中でそんな高いところに登れる人がいなかったから、その瞬間からとうちゃんは俺のヒーローです。家に居る時はいっつも後ろにくっついて・・、とうちゃんがすること何でも真似てみたくて『教えてくれ教えてくれ』って煩くして・・」
「ウン、分かる。オレにも覚えがあるよ」
胸に満ちた暖かな想いがオレにそう言わせた。不思議だった。こんな風におやじのことを思い出すなんて。
(・・イルカ先生といるから?)
見上げると、笑っていると思ったイルカ先生はどこか遠くを見ていた。懐かしむように、手の届かないもの眺めるように。
そして、静かに瞼を閉じた。
「カカシ先生は・・・」
ゆっくり瞼を開いたイルカ先生がオレを見た。夜の湖面のような瞳で。
「不安に思ったりすることはありませんか・・。誰も居なくて・・、・・・・独りで・・」
知っていると思った。今、イルカ先生の中にある想いを。
突然後ろ盾を失う恐怖、孤独。いつだって崖っぷちに立たされている。病気をしても誰も居ない。怪我をしたら?任務を受けれなくなったら?不安はいつだってそばにある。考えてもどうにもならない。ただ、もう誰も居なくなった。誰も――。
その想いは冷たく心に沈み、ひっそりと、だけど消えることなく胸の奥を凍らせ続ける。
「・・・すいません」
オレの沈黙をどう受け取ったのか、イルカ先生がすっぽり頭から布団を被って隠れてしまった。
「イルカセンセ・・?」
起き上がれば、布団の中で身を硬くする気配がする。
「・・変なこと言ってごめんなさい。もう寝ます」
構うなということだろうか。だけどこんなイルカ先生を見て、オレが放っておけるはずが無い。
「センセ」
布団の上からぎゅっと縮こまった体を抱きしめた。逃さず聞いて、知って欲しい。
「イルカ先生は独りじゃなーいよ。オレがいます。イルカ先生の傍にはオレがいるよ」
言葉で胸の奥を触れることが出来ればいいのに。
伝えたくて、抱きしめる腕に力を込めた。布団に顔を押し付けると、中からずっ、と鼻を啜る音が聞こえる。ますます腕を強くすると、遠慮がちに出てきた手が服の裾を掴んだ。放さない、とでも言うようにぎゅっと硬く握り締めている。その手に愛しさと喜びが溢れた。イルカ先生が可愛くて、大切でたまらなくなる。
もっと傍に近寄りたくて、服を掴んだ手はそのままに、布団ごとぐーっとイルカ先生の体を押した。ぐいぐい押してもう一人分のスペースを空ける。
「オレもこっちに入れてください。下は嫌です。やっぱり上がいいです」
「・・え?えっ」
返事も待たずにイルカ先生の被る布団の中に潜り込むと、その体を腕の中に閉じ込めた。布団の中はイルカ先生の体温で驚くほど熱くなっている。だけどその熱さが心地よかった。
「カカシ、せんせ・・」
「・・もう寝まーすよ」
髪に唇を付けて言えば、イルカ先生が小さく頷いた。小さくずっ、と鼻を啜る音が聞こえる。それに気付かないフリして目を閉じると、――やがてイルカ先生から寝息が聞こえ出した。すぷー、すぷーと詰まった鼻を鳴らしている。
腕を緩めてそっと顔を覗きこむと頬に涙の跡があった。かさかさになった頬と腫れた瞼に明日のイルカ先生を思い浮かべる。きっと恥ずかしがって顔を見せてくれなくなるに違いない。
(その時は、またマッサージしてあげよう・・)
腕の中にイルカ先生を抱えなおすと目を閉じた。相変わらずイルカ先生の鼻はすぷすぷ鳴っている。その音を子守唄代わりに、いつしかオレもあたたかな眠りに引き込まれていった。