事件です! -雀編- 




 葉っぱに虫の影が映っていた。右に左に首を曲げて葉っぱの裏を覗こうとした。だけど枝は細く不安定で、葉っぱも風に揺れるから上手く覗けない。
 いっそのこと落ちてくれないかと、葉を上から突いていると、ちちっ、と呼ばれた。
「カカシさん!」
 ぱたぱた飛んでカカシさんの元へ行くと、カカシさんの足下に米があった。
「米!」
 ちゅんちゅん鳴いて感激していると、カカシさんが米を啄みクチバシを向けた。あーんと口を開けて、カカシさんから米を受け取る。クチバシを綴じると、もっちもっちと米を噛んだ。
 もっちもっちと舌の上に甘さが広がり、幸福に包まれる。
「うっめぇ〜!」
 ちよちち!
 ぴょんぴょん跳ねて喜ぶと、カカシさんがまたクチバシを向けた。もっちもっち、もっちもっち米を食べる。
「…カカシさんは、食べないんですか?」
 さっきから一粒も米を口にしないのに聞いた。
「オレはいいから、イルカが食べな」
「でもカカシさん、美味しいですよ」
 なら俺がカカシさんに米を食べさせてあげようと足下を見ると、俺が全部食べて無くなっていた。
「あ…、もうない…」
「待ってな」
 申し訳なく思っているとカカシさんが飛び立って、人間の足下に下りた。大人の男で髪を一つにひっつめている。
 男は体が大きく、カカシさんに危険が無いかドキドキした。でも男はカカシさんを見ると、優しく微笑んで米を投げてくれた。
 その米をカカシさんが咥えて戻って来る。男を見ると目が合って、ちょっぴり怖くなった。
(でも、ここは高いから大丈夫)
 それにカカシさんがいるから平気だ。
 人間を気にしながらも、米を向けられるとそっちに夢中になって、いつしか警戒心が薄れていった。
(…はっ!)
「カカシさんも、食べて」
「ウン。オレは後でね」
 またしても米が無くなっていた。
(俺のバカバカ!)
 自己嫌悪に陥っていると、カカシさんがまた米を取りに行った。でも今度は投げてくれた米が多すぎて、カカシさんが苦労していた。
(チャンスだ!)
 そう思って俺は枝から離れると、カカシさんの傍に降りた。ハッと俺を見たカカシさんの首筋を突いて米を啄む。そのクチバシをカカシさんに向けると、ようやくカカシさんが米を食べた。
「美味しいでしょう?」
「……ウン」
 食べてくれたのが嬉しくて、次々拾ってカカシさんにあげた。
「イルカも食べな」
「うんっ」
 一緒にぱくぱく米を啄む。人間はそんな俺達にたくさん米を投げてくれた。
(…いい人なのかも)
 時々人間は俺たちを追い回して驚かせたりするけど、そうじゃない人もいる。
(あの人はきっといい人だ)
 そう安心して米を食べていたら突然煙が上がって、中から人間が現れた。
 ちよ!?
 びっくりしたけど現れた人間は俺たちに関心がないらしく、先にいた男の隣に座るとご飯を食べだした。
(…あの人も、いい人の仲間だからいい人かも)
 かも、と言いながら、俺の中ではいい人に位置づけられていた。だって髪が銀色で、光を浴びた雲の色をしていた。俺の大好きな色だ。
 だから安心して米を食べていたら、突然俺の体は人間の手のひらに包まれていた。ものすごく近くに人間の顔がある。
 ち? ヂヂヂヂヂヂッ!!
 パニックになって鳴き叫んだ。
(カカシさんっ!)
 胸の中に冷たい氷が押し寄せて、絶望でいっぱいになった。カカシさんが俺を助けようと人間に向かっていた。
「いやだ! はなして! カカシさんっ!カカシさんっ!」
 するとふいに拘束が緩んで、ぽてんと地面に落ちた。なにが起こっているのか分からなくて呆然としていると、カカシさんが隣に来て俺の体を押した。
「飛べ、イルカ!」
 その声にはっと我に返って飛び立つ。それでも巧く羽を動かせなくて、近くの枝に留まった。もっと遠くまで逃げなければと思うのに、体が震えて止まらない。
 カカシさんが俺を守るように羽で包んだ。カカシさんの体も震えていた。でも俺と違って、カカシさんは戦闘に興奮して震えていた。俺はただ怯えただけだ。
「カ、カカシさ…も、だいじょぶ…」
「ウン、じゃあもう少し離れよう」
「うん」
 俺が飛び立つのを待って、カカシさんが羽ばたいた。人間が見えない所まで来るとガクリと力が抜けた。
「イルカ!」
 すぐにカカシさんが傍に来て寄り添ってくれた。
「どこかケガをした? イルカ、大丈夫?」
「ん…、ひっく…、大丈夫…どこも痛くない…ひぃっく…」
 声に変な音が混じる。どうしたんだろう? と思っていると、視界が滲んで涙が溢れた。
「ひ…ひっく…え…ん、えーん…うわーんっ」
 一度泣き出すと止まらなかった。涙は次々と溢れ、怖さが押し寄せる。
「わーん、わぁーん」
「イルカ…」
 そんな俺にカカシさんは呆れもせずに傍にいてくれた。
 日が暮れて、ようやく俺が泣き止んだ頃、カカシさんがポツリと「ゴメン」と言った。
「どうして…? どうしてカカシさんが謝るんですか?」
「オレのせいだ。油断していた。イルカを守れなかった」
 そう言ったカカシさんが深く打ちひしがれていて驚いた。
「カ、カカシさんは、悪くないです。それに俺を守ってくれました」
 未だ流れ続ける涙もそのままに、必死にカカシさんに言った。
「油断していたのは俺も同じです」
 カカシさんは悪くない。そう伝えたいのに、カカシさんの耳には届いていない様だった。
「カカシさん…、カカシさん、俺の話を聞いて?」
 カカシさんは俯いたままだったけど続けた。
「さっき、すごく怖かった。一瞬だったけど、このまま人間に捕まるのかとか、死んじゃうのかもって思って悲しくなった。でも一番悲しかったのは、もうカカシさんに会えなくなるかもって思った時だった。カカシさんの、傍にいれなくなるのは、死ぬより怖い…!」
 胸一杯に広がった冷たさを思い出して、また涙がこぼれた。
「ずっとカカシさんの傍にいたいです…!」
 涙を堪えて精一杯の想いを伝えると、カカシさんの目から涙が落ちた。
「カカシさん!?」
 びっくりして、カカシさんの傍をぴょんぴょん跳ねまくった。
「泣いたらヤダっ、泣いたらやだぁ…」
 カカシさんが泣くと俺まで悲しくなる。だけどカカシさんは小さく笑うと、「違うよ」と言った。
「…嬉しくて…」
「…俺が無事だったから?」
「それもあるけど…」
 それ以上カカシさんは何も言わなかったけど、いつもの自分を取り戻して、俺を巣へと誘った。

 後日、事件の事などすっかり忘れて木々の間を飛び回っていた。カカシさんとかくれんぼだ。鬼はカカシさんだ。俺が鬼になると、いっこうにカカシさんが捕まえられないから、鬼の役割はいつもカカシさんがした。
 ちゅんっ! ちゅんっ!
 楽しくてつい鳴いてしまったが、はしっとクチバシを閉じて隠れる場所を探した。
「もーいーかーい?」
「まだぁ!」
 急げ、急げと飛び回る。すると木の下に、あの人間を見つけた。髪が銀色の俺を捕まえた人。上を見ながら、何かを探す仕草をしていた。
 怖くなり、木陰に隠れてじっとしていると、男が俺に気づいた。じっとこっちを見ている。
(で、でも大丈夫だ。スズメなんてたくさんいるし、俺があの時のスズメだなんて気づけない…)
 筈だったのに、男は一瞬俺の視界から消えると、次の瞬間には隣にいた。
(なんで分かるの!?)
 怖くて仕方ないのに、体が強ばって動けない。
(…カカシさんっ!)
 名前を呼びたくても、声すら出せなかった。
「この前はゴメンね。そんなに怯えないで…。今日はお詫びを持って来たの」
 男は何か言って、俺の前に米と苺を差し出した。
「これで許してくれる?」
 首を傾げて俺を見る。
(く、くれるのかな…?)
 言葉が分からなくて俺も首を傾げると、男はにっこり笑った。目の前の食べ物と見比べる。米も苺もつやつやとして旨そうだった。
 ……ち、ちよ?
 食べていいの? と聞いてみた。すると男は俺の言葉が分かるのか、こくりと頷いた。
(でも、カカシさんに聞いてから…)
 そう思っていると、黒い物が近づいてきた。カカシさんだった。オオスズメバチのように飛んでくる。
「うわっ! 来た!」
 男は叫ぶと一瞬でどこにもいなくなった。空振りしたカカシさんがUターンで戻って来る。
「イルカ! 大丈夫!?」
「はい、へーきです。それよりカカシさん、あの人間がくれました」
 米と苺を見せるとカカシさんが訝しげな顔をした。
「あの人間、何しに来たんだ?」
「さぁ? ……あっ、仲直りかも!」
 そんな気がした。だって、悪い匂いがぜんぜんしなかった。そう言えば、捕まえられた時だって悪い感じはしなかったのだ。だから俺もカカシさんも気づけなかった。
 あの時はただ、俺に触りたかっただけなのかもしれない。そんな風に思えてならなかった。
「イルカ、人間に気を許したらダメだよ。人間はオレ達を食べることもあるからね」
「う、うん…」
「ま、あの人間はそんな感じじゃなかったけど…」
「そうでしょう! だって、こんな大きな苺をくれたんだもの……」
 言ってる内に声が小さくなった。カカシさんがじとっと俺を見ていた。俺があの人間を信用したのは決して苺と米をくれたからじゃない。だけど、カカシさんはそう思ってないみたいだった。
 じっと見られて俯いた。そうしてる間にも、苺の甘酸っぱい香りが鼻腔に届いて唾液が溢れ出した。
(食べたいな、苺…)
 クチバシの先からヨダレがトローリと溢れ出る。
「…はぁ、食べていーよ」
「えっ! 本当!?」
「でもオレが居ない時に、あの人間と二人きりになったらダメだよ。って…イルカ、聞いてるの?」
「きひてまふ…」
 クチバシを苺の柔らかい実の中に突っ込んだまま返事すると、カカシさんが呆れたような溜め息を吐いた。
 そんなカカシさんに苺を啄むとクチバシを向けてみた。しばらくはそっぽ向いてたカカシさんだけど、俺のクチバシがくっつくと、首を傾けて苺を受け取ってくれた。
 甘酸っぱい味が俺の口からカカシさんの口の中へ移る。
「ね、美味しいでしょ?」
「…………ウン」
 ちよちち!
 嬉しくなって囀ると、冷たい風が木の葉を揺らした。冷えた体をカカシさんにくっつけて温める。
 米もモチモチで旨かった。



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