すこしだけ 69



 目を開けると白い肌が見えた。カカシさんの胸が穏やかな呼吸を繰り返してゆったり上下している。くふーっと音を立てて吐き出された寝息が、俺の乱れた髪を揺らして擽ったかった。
 いつの間にか眠ったらしく、それが行為の最中だったのか終わった後だったのか思い出せない。
 腕の中に抱き込まれたまま顔を上げると、カカシさんが眠っているのを確認して、額をそっと胸に押し付けた。温かな肌が心地良い。それからそうっと手の平をカカシさんの胸に押し付けた。すぅっと引き寄せられる感覚に喜びが溢れ出る。
(繋がってる……)
「くくく…っ」
 カカシさんの胸が小さく揺らいで、ハッと手を離した。
「イルカせんせい、くすぐったい」
「お、起きてたんですか?」
「ウン、イルカ先生が起きたのと同時に。……イルカ先生、オレの胸に顔を擦りつけたりして可愛いかった」
「わあっ」
 内緒に出来ると思ったからこそやった事を暴露されて顔から火を噴いた。腕の中から逃げようとするが、腕の輪が小さくなって動けない。閉じた瞼の向こうに視線を感じて、目を開けられないでいると、くすくす笑ったカカシさんが俺の額に口吻けた。
「イルカ先生、もっとオレに甘えてもいーんだヨ?それに胸にももっと触れて。オレもイルカ先生と繋がってるのカンジたい」
 甘い声で囁くと鼻筋に唇を滑らせながら、俺の手を自分の胸に導いた。上から押さえつけられて、手の平にトクトクと熱い鼓動が伝わる。
「いいコト教えてあげるから目を開けて?」
「……いいコト?」
「ウン」
 うっすら目蓋を開くと、カカシさんが俺の鼻先で微笑んでいた。少しでも顔を上げると唇がくっつきそうな距離に照れ臭くなるが、カカシさんは甘い表情を浮かべて俺を見ていた。
「あのね、手の平にチャクラ集めてみて」
「…こうですか?」
「ウン」
 ぼわんと淡く手の平にチャクラを集めると、カカシさんが満足そうに頷いた。
「オレと繋がっているの感じるデショ?それを意識しながら手を離して」
 言いながら、カカシさんが俺の手を掴んで徐々に離した。
「ネ。手を離しても、オレと繋がってるの感じるデショ。範囲はイルカ先生のチャクラ量にも因るけど、これで離れててもオレがどこにいるか分かるよ。次からはこうやって探してネ」
「え…?」
「さっきのイルカ先生可愛かった。オレのこと、必死で探して」
 カッと頬を火照らせると、カカシさんが俺の足を持ち上げながらのし掛かってきた。
「あっ」
 何度も交わって甘い倦怠感に満ちた体は抵抗を知らず、ぬかるんだ後口に熱を押し当てられると難なくソレを飲み込んだ。
「あぁっ…アッ…」
 ぬぬぬと後ろをいっぱいにされて甘い声が漏れた。
「や…んっ…アッ…はぁっ…あっ…」
 最奥まで熱を運ぶと、カカシさんはいきなり激しくしたりせずに、ぬっくぬっくと腰を動かし穏やかな抽送を繰り返した。すぐに蜜のような快楽が押し寄せて腹の奥がうねった。
 はぁはぁと熱い息を零してカカシさんを見上げると、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「ねぇ、オレがいない間も寂しかった…?」
 問い掛けは、そうでしょうと確認する為のものであって、俺の答えを求めていない。舌を絡める口吻けに、背中に腕を回して応えると抽送が早くなった。
「んっ…ふぅっ…あ、…はぁっ…あぁっ…」
 俺が感極まってくると、カカシさんは胸や中心に触れて俺を高めた。
「あぁッ…ンぅっ…ヒッ…イク…っ、イク…っ!」
「ウン、イって」
 最後は長いストロークでガツガツ奥を突かれて前を弾けさせた。
「あぁっ…、あぁーっ、あぁっっ」
 くっと短い息遣いが耳に届く。最奥で弾けるカカシさんの熱を感じて、もう一度波が襲ってきた。絶頂は長く深い。
 ようやく波が去って体を弛緩させると、ぬるりとカカシさんが抜け落ちた。
「あ」とカカシさんが声を零す。「まだシたかったのに」
「もう無理!もうお腹いっぱいです。それに…」
 ぐぅと鳴いた腹の虫にカカシさんが笑いを噛み殺した。
「お腹いっぱいじゃ無かったの?」
「それは別腹!お昼食べてないんだから仕方ないじゃないですか」
 唇を尖らせると、笑いながら額を寄せた。
「ウン、ゴメン。オレが晩ご飯作るから、イルカ先生寝てていーよ」
「ホントですか」
 喜んだものの、台所から音が聞こえてくると傍に行きたくなる。結局布団から抜けだすとシーツを体に巻き付けただけで台所に立った。

 玄関のドアがいつの時点で閉まったのか気になったのは、随分時間が経ってからだった。


 俺達が家でゆっくり出来たのは退院した日だけで、その晩には任務を告げる式鳥が窓を叩いた。
 翌朝、空はこれ以上ないほど晴れ渡り、羊雲が空高くに群れをなして移動していた。
「イルカ先生、元気出して」
 沈む俺の手をカカシさんが強く握った。
 クラスの担任を外されてしまった。俺が休んでいた間に就いた代理先生がそのままクラスを引き継ぐことになった。
 当然の結果だ。子供達の面倒を最後まで見られなかったのは残念だったが、教員免許まで剥奪されなかったことに感謝した。
 しばらくは受付所のみの任務となった。仕事があるだけ有り難かったが、賭と言え里抜けしたことには変わりなく、そんな俺を周囲が受け入れてくれるか不安だった。何があっても、今は信頼の回復に努めるしかないのだが。
 ぎゅ、ぎゅと手を握って気遣わしげに俺を見るカカシさんに微笑みかけた。俺が落ち込むと、カカシさんが自分を責める。
 里抜けは俺が決めたことだから、カカシさんを責めるつもりは毛頭なかった。むしろ感謝している。カカシさんが俺を想い続けてくれたから、今の俺達がある。


 受付所に入って長らくの不在を詫びると、皆一様に余所余所しかった。仲の良かったタツミでさえ、軽く俺から視線を逸らしている。
「それじゃあ、イルカは資料室の整理をしてくれるか?」
「え…?」
「戻って来たばっかりだし、まだ体調も万全じゃないだろ?ゆっくりしてくれたらいいからさ」
 そうそう、とこっちを見ないで頷く同僚達に俯いた。資料室なんて棚に巻物が並んだだけのガランとした部屋だ。何もすることない。
(…カカシさん)
 心配そうに見送っていた顔を思い出して、顔を上げた。
「…わかった。なにか用事あったら言ってくれよな!」
 気を取り直して笑顔を見せると、「あはは」と愛想笑いで返された。
「いや、ホントゆっくりやってくれたらいいから……」
 頷いて資料室に向かう。そしてドアを開けて、俺は目を疑った。
(どこだ?ここ……)
 数歩下がってドアのプレートを確かめた。
『資料室』
 間違い無い。なのに山積みにされた書類と紐の解けた巻物が転がっている。もう一度同僚達に視線を向けると、今度は完全に逸らされた。
「なぁ、この部屋って――」
「違うんだ、イルカ。それには深い訳があって……」
「忙しかったんだよ。ちょっと書類が溜まって後で片付けようって思ったら、また次が溜まって、それを片付けるには先のを片付けないといけないから後回しになって……」
「それが繰り返されて、気付いたらあんなことに……」
「散らかると大変だから、みんなで小まめに片付けようなって決めたじゃないか!」
 口々にいい訳を始めた同僚達に大声を上げると、皆が首を竦めた。
「すまん!イルカ……!」
「で、でも、片付けはお前が適任だし。頼むよ、なんとかしてくれ!」
 拝むように両手を合わされて、クスリと笑った。俺が笑うと同僚達が窺うように視線を上げて、隣同士で目配せし合う。小さな笑いがさざ波の様に広がり、みんなが悪戯がバレた子供みたいな顔で笑った。
「受付が一人足りなかったんだから仕方ないだろ」
 タツミが小さく呟いて、俺もすまんと頭を下げた。
「ま、後で受付が空いたら誰か回すから」
 笑顔で見送られて俺は資料室に籠もった。部屋がホコリっぽくて、少しばかり目が痛かった。


 季節が変わって雪がちらつく様になった頃、カカシさんに誘われて鉄板焼を食べに行った。美味しいカニが入ったと、大将から連絡があったらしい。
「カニって鍋も美味しいけど、バターで焼いても美味しいんだよ〜」
 ニコニコ話すカカシさんに、口の中にヨダレが溜まる。とても新鮮だから刺身でも食べさせてくれると言う。甘い身を想像して頬が緩んだ。
 久しぶりにお店に行けることも嬉しくて、カカシさんの手を引くと弾む様に歩いた。
「…らっしゃいっ!」
「いらっしゃいませー!」
 暖簾を潜ると威勢の良い声が掛かった。一人は大将で、もう一人はアルバイトの女の子だった。
「ご無沙汰してます」
 カカシさんに次いでペコリと頭を下げると席を勧められた。目の前の鉄板では相変わらず美味しそうなレバニラ炒めが湯気を上げていた。
「とりあえず生二つ」
 カカシさんがメニューを広げながら言うと、「はーい」と明るい声が応えた。アルバイトの女の子が冷えたジョッキを取り出し、サーバーの注ぎ口に傾ける。ジョッキの中で白い泡が上っているのを見ていたら、カカシさんが袖を引いた。
「イルカ先生、何食べる?カニのバター炒めとレバニラ炒めも食べるよね?…あ!木の葉牛のたたきもあるよ?カニ刺しはお酒の時でいいよね?カニの甲羅焼きも食べよ?お酒入れて焼くと美味しいよ?」
 必死に聞いてくるカカシさんの目が拗ねていた。俺の浮気を心配している目だ。違う。俺が気になっているのは別の事だ。
「あのね、カカシさん。もしかしたら……」
「おまたせしましたー!」
 誤解を解こうと口を開きかけたところでビールが運ばれてきた。伝票を手に注文を待つ彼女に、カカシさんがあっと言う顔をする。
「お腹大きい…、おめでた?」
 カカシさんが聞くと、女の子から笑顔が溢れた。
「そうなんです。わかりますか?まだそんなに目立たないと思ってたんですけど」
 幸せそうにお腹に手を上げる姿は慈愛に満ちて、そこにいるのは女の子じゃなくて母親だった。
「おめでとうございます」
「おめでとう〜」
「ありがとうございます」
 二人で声を掛けると嬉しそうに礼を言った。
「男の子なんですよ。この子の父親のように、逞しくて優しい子に育ってくれると良いんですけど」
「へぇ、旦那さんって何してる人?」
 ちらりと彼女の視線が動いて、忙しく切り盛りしている大将を見た。
「「えっ!?」」
 俺達が揃えて驚くと、大将が「あっはっはっ」と勝ち誇った笑い声を上げた。周りの客からは「犯罪だ!」などとブーイングが上がる。
「でも親子ほど年が離れてるんじゃないの!?」
「馬鹿言え!コイツが若く見えるんだ。本当はもっといってんだぞ」
 声を潜めて言う大将に「あなた!」と叱責が飛ぶ。大きな体を小さくして、ぺこぺこと謝る大将に、「もう尻に敷かれてる」とカカシさんが笑った。
「ネ、イルカ先生。…イルカ先生?」
「は、はい。…あの、何でもないです」
 膝の上で手を握りしめた。何か言いたげに見つめられるが、この場で言うべき事じゃない気がして黙り込むと、カカシさんが俺の手を握った。
「料理がきたよ。食べよ?」
 俺を包み込むような視線に頷き返した。話は外に出てからだ。

「ありがとうございました」の声に見送られて外に出ると、酒に火照った頬をキンと冷たい風が撫ぜた。
「お腹いっぱいになった?」
 するっと指を絡めて歩き出したカカシさんに頷いた。とぼとぼついて行くと、カカシさんは河原への道を歩き出した。川の近くまで来るとカカシさんは必ず河原を通って帰る。
 すぐに聞かれるのかと思ったけど、カカシさんは黙って俺の手を引いた。黙って胸の中で秘密を抱えていると、罪悪感に襲われた。
(…俺に見えなきゃ良かったんだ)
 やがてカラコロと川の音が聞こえてくると、カカシさんが歩みを止めた。
「イルカ先生、星が綺麗だーよ」
 はっと顔を上げると、カカシさんが優しい目で俺を見ていた。
「糸が見えたの?」
「た、大将の糸は切れてて、女の子のは別の人に繋がってました」
 やっと聞いても貰えて、俺は勢い良く言った。一人で抱えるには重すぎる。胸が痛かった。
「あの場にいた人?」
 ぶんぶんと首を横に振った。でも女の子にとって大将は運命の相手ではなかった。そして大将の運命の人はもうこの世に居ない。
「女の子にはいずか運命の人が現れます。それなのに大将と結婚して、子供まで出来て…。俺、どうしたら良かったんでしょう?教えてあげた方が良かったんでしょうか?でもあんなに幸せそうだったのに、俺、言えません……」
「落ち着いて、イルカ先生。大丈夫だから」
 ぎゅっとカカシさんの腕の中に閉じ込められた。
(どうしてそんな風に言えるんだろう?先の事なんて分からないのに……)
 そう思っても、カカシさんの腕の中にいると気持ちが落ち着いていく。すべてカカシさんの言うとおりになる気がして、ほっと体の力を抜いた。
「大将にはね、奥さんが居たんだよ。もう随分前に亡くなったけど。おしどり夫婦って言われるぐらい仲良かったんだよ」
「そうだったんですか……」
 大将の切れた赤い糸を思い出して哀しくなった。喪った際はどれほど辛かっただろう。
「オレさ、思うんだけど…、イルカ先生、聞いてくれる?」
 頷くとカカシさんが話し出した。
「オレにも運命の相手いたじゃない?あっ、違うよ。気になってるとか、そんなんじゃないからね?スキなのはイルカ先生だけだーよ」
 体を強ばらせると、カカシさんが抱き締める腕を強くした。よしよしと背中を撫でられて、カカシさんの背に手を回した。首筋に顔を埋めると頭を撫でられた。
「…あのね、例えばあの時、オレがあの女と結婚しても幸せにならなかったと思う。だって、あの女のせいでイルカ先生と別れることになる訳だし、そんなの憎悪の対象にしかならないよ。憎んで憎んで、絶対子供なんて作らない。そうやって一生傍にいるかもしれないけど、それは幸せって言わないデショ。それと同じことだと思うよ」
「同じ?」
「ウン。大将は若い嫁さん貰って間違い無く幸せでしょう?見た?鼻の下伸ばしてデレデレしてさー。あんな顔、初めて見たよ。それからあの子も幸せそうだったデショウ。今この瞬間、間違い無くあの二人は幸せなんだーよ」
「……でも、いつかあの子に運命の人が現れます……」
「ウン。でもそれがいつかなんて分からないデショウ?すぐかもしれないし、もっとずっと後かも。その時は、大将は逝っちゃってるかもしれないしね」
「カカシさん!」
 不謹慎なことを言うカカシさんを叱りつけると、ふふっと笑い声を上げた。それから体を離して俺を見つめると、冷たくなった頬を撫でた。
「だからね、オレが言いたいのは、未来にはいろんな可能性があるってこと。イルカ先生の求める答えにはならないかもしれないけど、…少なくともオレは今、幸せだーよ。イルカ先生が傍にいてくれて幸せ。ずっと傍にいてくれたら、もっと幸せ」
 じっと見つめられて、俺も何か返さなくてはいけない気がしてきた。
「俺も幸せです!カカシさんが傍に居てくれて幸せです。ずっと傍に居てくれたら……ずっと?ずっとって、どのぐらいですか?」
「んー?ずっとはずーっとだよ。オレがおじいちゃんになるぐらい」
「お、おじいちゃんになるんですか?」
 聞き返しながら、何故か泣けてきた。そんな先の未来まで想像していいんだろうか?
「なるヨ。オレ、長生きしたいもん。イルカ先生は?」
「お、俺もおじいちゃんになります」
 それまでずっとカカシさんの傍にいる。ぽろ、ぽろと零れてきた涙に顔を歪めると、カカシさんが笑った。
「イルカ先生は泣き虫だなぁ」
 優しく言ったカカシさんの手が頬を包んだ。その手は大きく温かい。
 俺は想像してみた。
 共に白髪になって背を丸め、縁側でお茶を飲みながら寄り添う姿を。
 その想像はぽかぽかと暖かく、瞬く星空の下で俺の心を温めた。

end
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