はなつ光 8
それを聞かされたのは熱を分かち合った後、火照った体を冷ましながら枕を並べている時だった。裸で抱き合ったまま、眠りに落ちるまでの瞬間、重たくなった瞼をうつらうつらさせながらイルカ先生が話し始めた。
「あの日、俺一人でご飯食べに行ったんです。仕事が遅くなって帰ってご飯作るの面倒だったから・・。丁度混む時間帯で、行ってみると実際どこも混んでて、3軒目でやっと一つだけカウンターの席が空いてるところがあって。でもそこも凄く狭くて俺が入ると邪魔になりそうだったから帰ろうとしたら、横に座ってた人が「いーよ」って席をずらしてくれたんです。振り返ったその人額宛と口布で顔がぜんぜん見えなくてちょっと怖いなって思ったんですけど、「ありがとうございます」って隣に座ったら、唯一見えてた右目がにこって。それっきり口聞かなかったんですけど、なんか良い人だなって・・」
「それだけ?オレもっと愛想良かったりしなかったの?」
「ええ。カカシさんすっごく無口で。話しかけたかったけど邪魔かなって思うと声掛けられなくて。それで頼んだビールもくもくと飲んで料理が来るの待ってたんです。そしたらカウンター越しにサンマの塩焼きがやってきて俺のだって手を伸ばしたら、隣から「あ」って。見たらカカシさんがサンマ凝視してました。それですごい焦って、一緒の頼んだんならカカシさんの方が先だって思って、『ごめんなさい、どうぞ』って差し出したら、あの、俺、お腹が鳴っちゃって・・。隣のカカシさんまで聞こえるほどグーって大きな音がして。そしたらカカシさんが吹き出して。「アナタそれ潜入中だったら敵に発見されるよ」って言うから俺もう返す言葉もないし、すっごい恥ずかしくて恥ずかしくて・・。でもカカシさん、笑った後に「先に食べていーよ」ってサンマ譲ってくれたんです。その時また右目がにこって・・・。嬉しかったです。この人いーなって。・・ってカカシさん!そんなに笑わないでくださいよ!だからイヤだったんです、この話するの・・」
「ゴメン。怒らないで」
「・・んっ!・・・・怒ってないです、うん、怒ってません。怒ってないって・・っ!」
剥れて尖ったイルカ先生の唇に口吻けた。機嫌を直して欲しくて何度も啄ばむ。ついでに全身で慰めようとすると拒否されてしまった。それでも暴れたせいで少し目が覚めたのか、先程まで眠たげだった目をぱちくりさせると仰向けに寝転がったオレの胸に乗っかってきた。体に腕を回すと胸に頬をつける。そんな甘えた仕草に胸をドキドキさせながらイルカ先生の髪を梳くと気持ち良さそうに目を細めた。
「・・それからどうなったの?」
「・・・それでね、サンマ食べてたら次に来たの俺が頼んだ筑前煮で、サンマ先に食べちゃったお詫びにカカシさん食べないかなって勧めたら「ありがとう」って――」
そこでイルカ先生が急にかぁっと赤くなった。
「どうしたの?」
「いえ・・、その時初めてカカシさんが口布とったんですけど、あんまり男前な顔が出てくるから、俺ぶったまげて・・」
「見蕩れた?」
「見蕩れました」
冗談で聞いたのに真面目に答えられて照れた。
ふーん、そっか。この顔はイルカ先生の好みなのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嬉しい。
有頂天になってにやけようとする顔を抑えるのに苦労した。
「それからちょっとずつ話するようになったんです。カカシさん、その店初めてって言うからあれが美味しいとかこれが美味しいとかそんな話。・・好き嫌いの話もその時したんです。カカシさんはサンマとナスが好きで天ぷらは嫌いって。それから甘いものも駄目。でも和菓子は好きって・・」
「うん」
「俺も食べたことのないメニューは一緒に頼んで半分こしたんです。気付いたらカウンターの上、お皿でいっぱいで。・・お酒も飲みましたよ。カカシさん、お酒に詳しくていろんなこと教えてくれました。カカシさんの話し聞くの楽しくて・・。カカシさん、初めて会った人だったのに、全然そんな感じじゃなくて。・・きっと気が合ったんでしょうね。ずっと一緒にいる人みたいだったのに・・、お店の人が来てもう閉店だって・・。お勘定して、外に出て、楽しかったねって・・。俺帰るの嫌だなーって。もう一軒行きたかったけど、時間遅くて開いてる店ないし。ずっと店の外で立ち尽くしてたら、カカシさんの息が白くて・・。両手ポケットに突っ込んで背中丸めてるカカシさん見てたら『寒いんだろうなー』『俺が帰らないから帰れないんだろうなー』って、分かってたんですけどどうしても足が動かなくて。気付いたら誘ってました。『俺の家で飲みなおしませんか』って。カカシさんが「うん」って言ってくれた時、すっごい嬉しかったです。・・それからコンビニ寄っておつまみとお酒買って俺んちに行ったんです。お互い休みだから朝まで飲んでも大丈夫だねって話しながら。家でもずっと話をしましたよ。カカシさんの話、面白くて全然飽きなくて、俺もっと聞きたくていろんな話をせがみました。カカシさんが行ったことのある国の話とかそこで美味しかったものとか・・。それから変わった術の話とか・・、カカシさん印を組んで見せてくれて、それがあんまりにも早いから俺びっくりして・・」
火照り始めた頬をイルカ先生に気付かれないうちに隠したくなった。
イルカ先生に気に入られようと頑張ってる自分の姿が目に浮かぶ。表情をよく変え、嬉しそうに笑うイルカ先生に好かれたくて、きっとオレは必死に頑張ったと筈だ。話が尽きないように。帰らなくていいように。
「そうやってずーっと飲んで話してたんです。それで・・、えっと・・、お・・温泉の話してて・・その時に・・」
(ん?)
急に滑舌の悪くなったイルカ先生に視線を落とした。俯いて旋毛しか見えなかったけど、髪からから覗いた耳が真っ赤でどきっとした。鼓動が自然と早くなる。この先はアノ話だ。イルカ先生がオレに抱かれた時の話。
オレはイルカ先生と一体どうやってそんなにスムーズにコトに至ったんだろう?
「ピーナッツ、食べてたんですけど・・、いつの間にか薄皮が髪に付いたみたいで・・耳の辺りでかさかさ言うから取ろうとしたけど取れなくて、カカシさんが取ってくれるって手が伸びて・・、そしたらカカシさんの手が耳に触れて・・・。くすぐったくて過剰な反応してしまって・・、それが恥ずかしくてまともにカカシさんのこと見れなくなって。でもそしたら、カカシさんがちゅって。キスしたんです」
その時のことを思い出したのか自分の唇に触れるイルカ先生に心臓がどきどきした。
「びっくりしたけど、なんか磁石みたいっていうか・・、くっついたら離れられなくなって・・。そうするのがとても自然に思えて、夢中でキスしてました。それから後は必死に服脱がしあってベッドにどーんです。早く繋がらないと。早く早くって。でも途中で怖くなって。俺、男と経験無かったし、なによりこんなこと初めて会った人としていいのかって・・。・・そしたらカカシさんが好きだって、俺のこと好きだって言ってくれたから、あ、そっかって。カカシさんのこといーなって思ったのも離れたくなかったのも全部、カカシさんのこと好きになってたからなんだって分かって・・。だからいいんだって。で、シて、寝て、朝に至る、と」
最後はあっけらかんと言って、にこっと顔を上げた。
「普通でしょ?」
「・・うん」
至って普通だ。
話の中のオレは普段と変わらない。特別カッコいいところもなければ美化されてもいない。拍子抜けしてしまうほどに。
イルカ先生とコトに至れたのはその場の流れと勢いといったところだろうか・・?いまひとつしっくり来ないような気もするけど・・。
なんにせよ、ほっとした。
「・・イルカセンセ、なんで話してくれる気になったの?今まで全然教えてくれなかったのに・・」
「・・ずっと、忘れないといけないのかなって。俺だけ覚えてても仕方ないし無かったことにしようって」
「イルカセンセ・・」
「でも最近、覚えてても忘れてもどっちでもいいように思えて・・。今の方が幸せだから」
さらりとすごいこと言うからちょっと泣きそうになった。そんなオレに構わず、話し終えて満足したのかイルカ先生がくわわっと大きな欠伸をして胸から降りると眠る体勢に入る。
「もう寝るの・・?」
言葉無く、うんうん頷く体をそっと引き寄せ抱きしめた。大事に大事に囲って同じように目を閉じる。
ありがとう、なんでもないオレを好きになってくれて。
・・っと、待て。
危うく聞き逃しそうになったことに気付いて慌てて目を開けた。
「イルカセンセ、イルカセンセッ」
肩を揺すって寝かかってるイルカ先生を無理矢理起こす。
「・・なんですか、もう・・」
「変わった術ってなに?オレ、印を組んだの!?」
寝入りばなに起こされて不機嫌なイルカ先生に問い質す。
「あ・・、でも途中までですよ?発動したら駄目だからって・・」
「それ覚えてる?どんな印結んだか覚えてる?口で言って」
「えと、戌、巳、辰、卯、寅、それからこういうのと――・・」
イルカ先生の賢いお頭に感謝した。40以上ある印の流れを正確に覚えていた。その流れから導き出される術の結び目を体の中に探す。
――あった。
残り三個の印だけ残して中途半端に掛かってしまった記憶操作の術の名残が。
バカか、オレは。
後悔は後回しにして術を解除した。
その瞬間、頭の中に光が満ちて映像が溢れ出した。忘れていた記憶が鮮明に蘇る。イルカ先生が話したことも話さなかったことも。同時にあの時感じた胸の中が荒れ狂うような愛しさや自分の体の一部のように思える相手に出会えた歓びが溢れ出して、衝動の赴くままイルカ先生に抱きついた。