"ある場合" 1





裏庭のベンチに座ると買ってきたばかりのコンビニの袋を漁った。
プシッ!と茶色い小瓶のキャップを外すと中身を一気に飲み干した。
喉を弾ける炭酸に、いつもならそれだけで元気になれた気がするのに、――今日は効かない。
コンビニの袋からもう一本栄養ドリンクを探し出すと蓋を開けた。
細いストローを挿していつものより高いそれをちうーっと吸い上げると溜息を吐いた。

‥疲れた。

まだ昼間だと言うのに目がしょぼしょぼする。
降り注ぐ木漏れ日がぽかぽかと心地よい。
この時間ここを訪れる人はあまりいないから、少しだけ昼寝をしようかと買ってきたお弁当を脇へ寄せてベンチへ横になろうとすると影が差した。

「どうした、イルカ」

おわっ!たっ!

気配も無く突然掛かった声に斜めになりかけていた体を引き戻す。
奇声を上げなかった自分を褒めて上げたかった。

「いえ、なんにも。お昼食べようと思って‥」

にこりと取り繕った笑顔を見せると、ぷかりと煙を吐き出した口元が歪む。

「隣いいか?」
「はい、どうぞ」

こうなっては昼寝どころじゃない。
諦めて弁当を膝の上に乗せると蓋を開いた。

「アスマさんもおにぎり食べます?」
「いいや」

おやつ用に買っておいたおにぎりを差し出すと首を横に振る。
吸っていたタバコを携帯灰皿に落すとポケットに仕舞った。
風が最後に吐き出した煙を霧散させる。

「こないだは悪かったな」

最後にアスマさんに会った時のことを思い出して、「いえ」と呟いてから玉子焼きを口に運んだ。
アスマさんの言う『こないだ』と言うのは、カカシ先生に連れられて外食した日のことだ。
行った先で上忍の方々と一緒になった。
アスマさんと紅先生とたつなみ上忍とその彼女。
その席で、俺は酒の肴にされた。

「紅達は店を出てから叱っておいたからな。‥あの後カカシとはなんとも無かったか?」
「はぁ‥、まあ、なんとか‥」

あるにはあったが‥。

アスマさんに言えることではなかったので言葉を濁した。
膝の上の弁当をパクついていると横顔に視線を感じる。
物言わず、じっと見守る視線に覚えがあった。

相談しようかな‥。

そこにはアスマさんではなく、幼い頃から俺を知っているアス兄がいた。
アス兄は「面倒くせぇ」ってよく言うけど、本当は心配性だ。
観察眼があるから、隠し事をするとすぐ見つかった。
あの時も、酒の席でからかわれて消え入りたくなっていたのを助けてくれたのはアス兄だ。
きっと今もこうして隣にいてくれるのも、俺のことを心配してくれてるからに違いなかった。
ここで「なんでもない」と言ってもアス兄には通じない。

「‥‥」
「どうした?」

絶妙のタイミングで問われて心が揺らいだ。
あの日から、ずっと悩まされている事がある。

「あの、アスマさん‥」
「ん?」

優しい返答に背中を押される。
アス兄になら相談しても大丈夫だ。
カカシ先生とも付き合い長いし、良いアドバイスを貰えるかもしれない。

「カカシ先生って、どうしてあんなに繊細なんですかね?」
「ぶほっ!‥ごっほっ!」

突然噎せたアス兄に吃驚して背中を摩ってやった。

「大丈夫ですか?」
「ぐほっ‥、大、丈夫だ‥。イルカ、繊細ってのは神経が細いって意味の繊細か?」
「??そうですよ?それ以外になにがあるんです?」
「‥‥いや」

胸を押さえて息を整えるアス兄を横目に、初めて出会った頃のカカシ先生を思い浮かべた。

「俺ね、初めてカカシ先生に会った時、怖いなって思ったんです。なんて言うか‥ドーベルマンとかシェパードみたいに、いるだけで迫力があるって言うか‥」
「ああ。無駄に威圧的だからな」
「まあ見た目があんなだから誤解されやすいんでしょうけど」
「‥‥」
「その後カカシ先生を知って、ドーベルマンよりシベリアンハスキーみたいだなって思ってたんです」

狼みたいなカッコイイ見た目に反して、撫ぜると案外人懐っこい。

「でも今は‥、こんなこと言うとカカシ先生に怒られそうなんですけど、なんかチワワみたいだなって‥」

あの、俺を見上げるうるうると潤んだ目を思い出して、胸がきゅんとした。
隣ではまたアス兄が噎せている。

「‥アスマさん、もしかして花粉症ですか?」
「い、いや‥、そうじゃなくて‥。イルカ、まず順を追って話せ。なにがどうなってカカシがチワワなんだ?」
「あ、そうですね。あの‥、この前の飲み会の後なんですけど、実はカカシ先生とケンカって言うか、俺が一方的に怒ってしまって‥」
「ああ。そうじゃねぇかと思ったぜ。お前随分堪えてたからな」
「‥へへ」

やっぱりバレていたのかと頬を掻いた。
内心の不機嫌さなんて表に出してなかったつもりなのに、アス兄の視線は誤魔化せない。

「お前ぇは何でもねぇ顔して腹ん中に溜め込むからな。それでいきなり爆発して周囲を吃驚させてたなぁ」
「もぉ、そんなの昔の事じゃないですか」
「昔のことかぁ?」

からかいを含んだ視線に顔が熱くなった。
たった今、カカシ先生相手にキレたと白状したばかりだ。
いい大人なのに、子供の時から成長していないみたいで恥ずかしかった。
羞恥に身を小さくするが、そんな心情を察したアス兄がぽんぽんと頭を撫ぜてくれる。

「悪かった。それで、カカシはどうしたんだ?」
「‥‥カカシ先生は謝ってくれたんですけど、許せなくて」

しつこく怒ってしまった。

「‥俺、本当はカカシ先生に可愛いって言われるの嫌いじゃないんです。それどころかむしろ嬉しくて‥。俺ってガタイもデカい方だし、むっさいし、可愛いところなんてどこにも無いのに、カカシ先生は俺のこと可愛い可愛いって言ってくれて‥。そう言われると、好きって言われてる気がして、こんな俺でもカカシ先生が気に入ってくれてるところがあるのかなって自信が持てたんです。でもそれを外でも言われると恥ずかしくて。だって可愛いなんて俺みたいなのに使う言葉じゃないのに‥。たつなみ上忍の彼女や紅先生みたいな人に使う言葉なのに‥」

コンプレックスを刺激されて、はぁっと溜息を吐いた。

「それに家での俺は俺じゃないって言うか、外の俺と違うから‥」
「あぁ、まあ、知られたくねぇこともあるわなぁ」
「そうなんですよ!なのにカカシ先生、おかまいなしで‥」

でもそれはカカシ先生が悪いんじゃなかった。
内と外で顔を使い分けている俺が悪い。
それにバレたのは言い当てられたからで、カカシ先生がバラしたんじゃない。
でも外では先生と呼ばれて偉そうな顔してる俺の、家での甘えきった顔を知られて死ぬほど恥ずかしかった。
その羞恥心が怒りとなってカカシ先生に向かってしまった。

「カカシ先生謝ってくれたのに、俺が凄い剣幕で怒ったから、それで――」

その時の事を思い出すとカカーッと顔が火照った。
凄いことをされたのだ。
外で立ったままフェラチオをされた。
犯されるのかと思ってたのに、カカシ先生は俺だけイカせて身なりを整えてくれた。
跪いたカカシ先生に許してくれと懇願されて参った。
あれで怒りを持続されろと言われても無理だ。
カカシ先生が俺に見せたのは絶対の忠誠心だった。
同じ男なのに、俺のを無償で奉仕してみせた。
まるで命を差し出すような目で見つめられて弱り果てた。
こんな人、ほっとけるワケないじゃないか!!

「何だ?カカシに逆ギレでもされたか?」
「いえ、すぐに仲直りしまいた。したんですけど‥」

仲直りに至るまでのことはいくらアス兄でも話せない。

「怒りすぎたみたいで、それからカカシ先生ビクビクするようになってしまって‥‥」
「ハハハッ!いいじゃねぇか、扱い易くて」
「笑い事じゃあないですよ!仮にもカカシ先生上忍なのに‥。あともう怒らなくてもいいように、可愛いって言うなって言ったんです。家でも外でも禁止って。そしたらまたおかしくなって‥」
「どうおかしいんだ?」

アス兄がにやにやしながら聞いた。
駄目だ。
すっかり笑い話になっている。
そりゃ、カカシ先生ほどの上忍がおかしくなれば、興味も沸くだろうが。
俺には死活問題だった。
なんせ身の上のことだ。
命が掛かっている。
笑い事じゃないんだけど、おおっぴらに人に話せることでもなくて悩んだ。
慎重に言葉を選ぶ。

「えーと、なんていうか‥、どうも可愛いって言えない事がストレスになってるみたいで、‥俺にあたるんです」
「暴力か?」
「いえ!違います!カカシ先生は俺を殴ったりしません!ただ‥、ちくっと言われるというか‥なんというか‥」
「まあ、反動で遣り返される訳だ?」
「ええ、まあ‥そんなところです」

本当のところはちくっどころでは無かったのだが。



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