輪っか 18
カカシさんに連れられるまま、木造の階段を2階へと上がり、両脇に格子の障子の並ぶ廊下を進んだ。
喧騒が遠のき、どこに行くんだろうと思ってるうちに、カカシさんが立ち止まって障子を開いた。
畳の部屋に廊下の光が差し込み、敷かれた布団にぎょっと足を止めた。
「あっ、違うんです。酔い潰れて帰れなくなる者も出てくるだろうから最初から部屋を幾つか借りてて、ここもその一つです」
「・・・・・」
それは当事者の言葉だった。
カカシさんはこの結婚式を計画し、実行した者達の一人だ。
同僚達から聞いていたが、――面白くなかった。
「・・・・・・・」
カカシさんの手を離れて布団へと進むとぱたりとうつ伏せに転がった。
カカシさんに背を向けて、視界も閉ざす。
「イルカセンセ・・、酔っちゃった?水持ってこようか・・?」
足音が離れ、カタとガラスの合わさる音と水を注ぐ音が静かな部屋に響く。
再び足音が近づき、カカシさんの手が肩に触れた。
「イルカセンセ、お水・・」
揺さぶられても、頑なに背を向けた。
「イルカ先生、怒ってるの・・?」
「・・・・・仲間外れ」
「え?」
「俺だけ仲間外れにした」
むすっと膨れると背を丸めた。
こんなことをしてはいけない。
カカシさんの気持ちに水を注すようなことをしている。
すべては俺の為にしてくれたことなのに・・。
頭では分かっているのに、曲がった臍を元に戻せなかった。
俺って最悪・・。
こんな態度を取る自分が嫌になる。
せっかく幸せだったのに。
一生の内で一番いい日だったのに。
ぎゅっと眉間に皺と寄せると、
「・・・ゴメン」
覆い被さるようにカカシさんに抱きしめられた。
「イルカ先生、ゴメン。勝手なことして・・」
背中に押し付けられる言葉にカッとして大声を上げた。
「違います!そんなこと言ってるんじゃありません!俺が言いたいのは、俺も手伝いたかったってことです!五代目へのお願いだって、そんな大事なこと一人でして・・!二人のことなのに、俺だって一緒に行って頭下げたかったです!どうしてカカシさん一人でやっちゃうんですか!!」
怒ってじたばた暴れると、抱きしめるカカシさんの腕が強くなった。
身動きできないほど強く締まる。
「い・・痛いっ!離せ・・っ」
「だって!!」
「・・!」
「・・だって、イルカ先生、駄目って言われたら傷つくデショ。五代目にオレ達の結婚認めないって言われたら・・、立会いもイヤだって言われたら・・、イルカ先生、傷つくデショ。・・オレは、オレとの結婚でイルカ先生に嫌な思いをしてほしくないんです。オレと結婚することで皆が出来ることが出来なかったりするのがイヤなんです。イルカ先生には誰からも祝福されて、里からも認められる、――そんな結婚をして欲しいんです」
「・・・・・・・」
カカシさんの言い分に口を尖らせた。
そんなこと、端から期待していないのに。
「・・俺のことを勝手に決め付けないでください。どうして俺が傷つくって決め付けるんですか。俺は里が同姓婚が認めてない事は知っていたし、五代目や誰からも認められなくったって構わない。俺はカカシさんと一緒に居るって決めたんです。反対されても、祝福されなくても、カカシさんが傍に居てくれたらそれでいいんです」
腕の中をぐるっと回って、カカシさんに向かい合うと胸に顔を埋めた。
「大体カカシさんは過保護過ぎます!言ったでしょう?俺はされてばかりは嫌なんです。俺だってカカシさんの為にしたい。今度俺たちの事で何かしたくなったら、俺も連れて行ってください。仲間外れは嫌です。
・・だけど、カカシさん。今日のことは凄く嬉しかったです。あんな風に祝って貰ってすごく幸せでした。ありがとうございます。生まれてきて今日が一番いい日でした。一生忘れません」
背中に手を回してぎゅっと抱きつくと、カカシさんの手が俺の背中をゆっくり撫ぜた。
「・・イルカセンセ」
その力が次第に強くなっていく。
引き寄せられて顔を上げると唇が強く重なった。
激しいキスに応えたくて背中を掴み、足を絡める。
それでも足りなくて、カカシさんの上に乗っかると、ぐるんと回って圧し掛かられた。
カカシさんの重みに息を吐き出す。
唇で、手で、足で、体で、すべてでカカシさんを感じ取って満たされた。
俺はなんて優しい人に出会えたんだろう。
これほど俺のことを大事に考えてくれる人は他にいない。
そんな人と俺は式を挙げた。
これから先、ずっと一緒に居れる。
今更ながらカカシさんとの結婚を実感して、信じられないほどの幸せが込み上げた。
同僚とカカシさんが計画してくれなかったら、こんな気持ち味わえなかった。
カカシさんがこの気持ちをくれた。
「・・カカシさん、愛してる」
思わず口を吐いて出た言葉に、はっとなった。
愛してるなんて初めて言った。
きっと、間違いなく、カカシさんへの気持ちを言葉にするとこれなんだが、――その言葉の持つ重さに気後れしていると、ぽたぽたと水滴が頬を叩いた。
「・・カカシさん?」
カカシさんの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「カカシさん、どうして泣くんですか?」
おろおろと手を目元に伸ばすと、手に顔を擦り付けるようにして目を閉じた。
その表情が蕾が開くようにふわっと綻ぶ。
「幸せで・・。イルカ先生、幸せが過ぎても涙がでてくるんですね。どうしよう・・、止まらないよ」
カカシさんの髪が頬に掛かり、首筋に温かい息を感じた。
頤で抱くようにカカシさんの肩に顎を乗せると、その首筋に擦り寄る。
そうしてるだけで言いようもなく幸せだった。
いつまでもこうしていたい。
だけど温かな体温が意識を眠りへと誘った。
瞼がとろりと落ちて、まだ眠りたくないと目を擦るとカカシさんが手を取った。
「疲れたデショ。眠っていーよ。ずっと抱いてるから・・」
柔らかな声が鼓膜を震わし、唇が頬を撫ぜた。
気持ちいい。
カカシさんの唇はずるい。
そんな風にされると他の事がどうでもよくなってしまう。
この唇のせいで、さっきも抵抗出来なかった。
公衆の面前でキスしたことを思い出して頬が火照る。
「・・人前で・・キスなんて・・したら駄目です」
眠気でふにゃふにゃ叱るとカカシさんが言った。
「一回だけでいいんです。もうしません」
どういう理屈だと思ったが、抱きしめられると心地よくて意識はどんどん眠りへと落ちて行った。
目が覚めた時はまだ薄暗く、窓の外が白く見えた。
起き上がろうとして腕が阻む。
「カカシさん、トイレ行きたい」
囁くと、どういう仕組みかよく眠っているカカシさんの腕が緩んだ。
そうっと腕を抜け出し外に出る。
暗い廊下を進んでトイレに向かうと両脇の障子越しに地響きのようなイビキが聞こえてきた。
・・凄まじい。
やはり何人かが泊まったようだ。
同僚達とカカシさんの機転に感心しつつ、トイレを済ませると部屋に戻った。
もう一度布団に入り直そうとすると、自分が寝ていたところに紙くずが落ちている。
ゴミかなと拾い上げるが、確認の為に広げるとそれは婚姻届だった。
欄が二つあって、片方にはカカシさんの名前が書いてある。
そう言えば言うの忘れてたなと、いつの間にか脱がされていたベストからペンを取り出すと隣に自分の名前を書き込んだ。
きっと同僚達が式の打ち合わせの時にカカシさんに教えてくれたのだろう。
結婚が認められるようになったから、提出するのも養子縁組じゃなくて婚姻届けになったのか。
帰りにカカシさんと一緒に役所へ行って出そうと、血判を押すとペンをしまって布団に潜り込んだ。
すぐにカカシさんの腕が絡んで温かくなる。
ごそごそと寝心地のいい所を探して、もう一眠りと目を閉じた。
次に目が覚めた時は既に日が昇って明るかった。
部屋の外も行き交う人で賑やかだ。
もぞっと動くとカカシさんの瞼が開いた。
「おはよ、イルカセンセ」
「おはようございます」
いつに無く優しく見つめられてなんだか酷く擽ったい。
頬を撫ぜられて、布団の中で足を絡めた。
「イルカセンセ」
胸に引き寄せられてうっとりする。
ずっとこうしていたかったが、カカシさんがいきなり飛び起きた。
「ない・・!」
ザッと顔が青ざめ、ズボンのポケットを探る。
「どうしたんですか・・?」
「あ・・いえ、その・・」
あまりの様子に起き上がると、カカシさんが言葉を濁した。
もう一度ポケットを探り、布団を除ける。
あれかな?と、「婚姻届なら向こうにありますよ」と言うと、弾ける様に布団から出たカカシさんが婚姻届に手を伸ばした。
「・・書いてある」
「ええ、帰りに役所に寄りましょうね」
何気なく言ったがカカシさんの返事がない。
「カカシさん?」
もう一度呼ぶと、婚姻届を胸にカカシさんが振り返って、俺は息を止めた。
その時のカカシさんをなんと言ったらいいんだろう。
あまりに綺麗に笑うから、俺の胸に深く焼き付いて、一生忘れないと思った。