この手の中に 4





 殴られる!
 咄嗟に腕を上げてガードしたが何時まで経ってもその衝撃はこなかった。そっと腕をどけカカシさんを伺えば、呆然と自分の手を見ている。その目が揺れてどこか怯えたように俺を見、すぐにその視線は逸らされた。
 なぜ――。
 頭の片隅に一瞬浮かんで消えた。無体を働かれた体は疲れ果て、考える事を拒否した。
 何も・・・考えたくない。
 過ぎてしまった現実を受け入れることを拒否した。今更のようにずきずきと心が痛みだす。
 内からカカシさんが出て行く感触がして、その痛みにも似た感覚に呻いていると、カカシさんは俺に背を向けベッドを降りようとした。
「やっ!」
 咄嗟に起き上がってカカシさんの腰にしがみ付いた。考えるより先に体が動いていた。無理やりされるのは辛かったが、置いていかれるのはもっと辛い。このまま出て行ったらもう二度と戻って来ないような気がした。カカシさんの体は力無く、振り解かれないのをいいことに、背中に顔を埋めた。
 どうしていいのか解らない。何を言えばいいのか解らない。ただ心が痛かった。じきにこの手の中からすり抜けて行ってしまうだろうこの温もりを思うと裂ける様に痛かった。

 一度は出て行こうとしたカカシさんはベッドの端に座ったまま俯いている。暫くの間、お互い何も言わず時が止まったようにじっとしていた。しがみ付いた背中は温かく、こんな状況だというのにその温もりに酷く安心した。
 「どうして・・・?」
 ずっと聞きたかったことを口にした。しかしカカシさんは背を向けたまま何も言わない。
「何とか言ってください。言ってくれないとわからないです」
 もう口を利くのも嫌なのかな・・・・・・。
 そう思うと、胸の真ん中に穴が開いてどんどん真っ黒く心の中を埋め尽くす。
「何とか言って ――」
「・・・・だめなの?」
 掠れた小さな声が聞こえた。
「え・・?」
 藁にも縋る思いで聞き返す。
「ガイじゃないとだめなの?」
 また、ガイ先生。
 眼の奥がじんと熱くなる。ここで何か言わないとさっきの繰り返しになると解っているのに・・・・。
「あっ」
 カカシさんに手首を掴まれ喉の奥から小さく悲鳴が漏れた。
 振り解かれる。・・・・いやだ。
「いや」
「ごめんネ」
「いやですっ・・・いやだ!」
 形振りなんて構ってられなかった。ぼろぼろと目から出てくるモノもそのままに振り解かれまいと必死になって腕をカカシさんの胸に回そうとした。なのに強い力で手首を掴まれ引き剥がすように上へと引っ張り上げられる。
「いやだっ!!」
「ごめんネ、イルカ先生。でもオレ、アンタがどんなに嫌がっても離すことなんて出来ないヨ」
「ぇ・・・・・?」
 いま・・・なんて・・・・
「別れないよ」
 別れ・・・・ない?
 てっきり嫌われて捨てられるものだと思っていたので訳が分からなくなった。混乱していると握り締めた指の上に柔らかいモノが触れたかと思えば、ぎりっと歯を立てられた。
「痛っ!」
 反射的に手を引けば、その弾みで落ちたであろうモノが手から肘へと滑り落ちていく。
「え・・・?」
 なに・・・?
 吃驚してカカシさんを覗き込むと、 ―――泣いていた。声を押し殺してポロポロと涙を零して。初めて目にするカカシさんの涙。
「・・・なんで、泣いてんですか?」
 吃驚しすぎて俺の涙は引っ込んだ。
「・・・イルカセンセ、ガイのこと好きになったの?」
「はい?」
 何言ってんだ?ガイ先生を好き・・・?
「なんでそうなるんですか?」
「・・・だって、ガイと48手って・・・」
「48手・・・・?」
  ――――48手、腕相撲?・・・ん?48手・・・・どこかで聞いたことのある響き・・・・・なんだっけ? ――――・・・・あっ!あぁ!・・・はいはい・・・・
 ようやく俺はカカシさんが怒っていた原因を理解した。
 浮気もしくは心変わりしたと思われてたんだ。なーんだ勘違いか・・・・・・・・・・。
 ――――――勘違い。
 放課後からの出来事が走馬灯の様に頭の中を駆け抜けた。安堵したのも束の間で沸々と怒りが湧いてくる。それも火山が噴火するごとく。
 掴まれた手を渾身の力で振り解くとベッドの上に立ち上がり、さっきまでしがみ付いていた背中を思いっきり蹴りつけた。
 避けると思ったのにそれはあっさり決まってカカシさんが床に転がった。その事がまた腹立たしい。
「いつまでも泣くなっ!うっとおしい!!」
 怒鳴りつけるとビクッと震えた。
 なんなんだこの人。いつもの余裕は何処行っちゃったんだよ。勝手に勘違いして、勝手に暴走して。
「ガイ先生と話してたのは腕相撲の48手です。SEXじゃありません!」
 言い切ればきょとんとカカシさんが顔を上げた。
「・・・・そうなの?」
「『そうなの?』じゃない!」
 とりあえず蹴りを入れてすっきりすると体の力が抜けてベッドから転げ落ちそうになった。すると、さっき俺に蹴られて転がったのがウソのようにさっと起き上がって体を支えられ、ベッドに労わるように座らされた。
「ごめんなさいっ、オレ・・・」
 何か言いかけたカカシさんを片手で制した。
 これだけは言っておかないと気がすまない。
「カカシさん、ちょっと座ってください」
 ベッドの上を指差せば、カカシさんは何故かズルズルと後退してベッドから降りると床に正座した。
 や、そこまでしなくても。・・・・・ま、いっか。
「カカシさん、俺は中忍です」
「ハイ・・・・」
「あんな風に力で来られたら俺はアンタに太刀打ちする事は出来ません。それともそういう関係をお望みでしたら ――――」
「ごめんなさい!オレはっ――」
「人の話は最後まで聞く!!」
 一喝するとしゅんと項垂れた。未だに涙を零しながら。耐えるように口をへの字に曲げて、殊勝に聞く態度をとっている。
「俺が言いたいのは・・・・・・その・・・」
 くっそー、ずるいなぁ。そんな顔されたら・・・・・・・怒れないじゃないか。
 散々好き勝手されて、力の差を思い知らされて、結構惨めな気分にさせられたのに。
「無理やりなんて二度としたら駄目ですよ」
「ハイ・・・」
 強く言えばしょんぼりと頷いた。
 それにしても嫉妬して怒って泣いて、なんて明け透けに感情をぶつけてくるんだろう。・・・ちょっとは考えてから行動して欲しいけど。
「俺の嫌がることもしないでください」
「・・・・・ハイ」
「するな」
「ハイ」
 けど。嫌いにはなれなかった。どんなことをされても。嫌いどころかひっくひっくとしゃくりあげているのを見ていると胸に込み上げてくるモノがある。
「・・・・もう泣かんで下さい」
 カカシさんに泣かれると俺は弱い。初めて知る事実だった。簡単に許すのもどうかと思ったが、怒りよりも安堵の気持ちの方が強かった。それに悪気があったわけじゃないし・・・。
「イルカセンセ・・・・っ」
 両腕を広げれば待ち構えたようにカカシさんが飛び込んできた。勢い余って後ろに転がり、ぎゅうぎゅうしがみ付かれて重たかったが構わず抱きしめた。
「ごめんねっ・・・ごめんね」
「二度目はないですよ」
 悔し紛れに釘を刺せばびくっと震えて、ますますぎゅっとしがみ付いてきた。
 しょうがないヒト。
「イルカ先生、オレのこと好きですよね?」
 確かめるように聞いてくるのにどっと顔が火照った。
 なに言ってんだ。今更。聞くか普通。
 からかってるのかと思えば覗き込んでくる瞳は真剣そのもので。
 ほんと、しょうがないヒト。
「あたりまえでしょう、そんなの ――・・・・」
 恥ずかしくて小さく呟けば、もどかしそうに揺れる目に観念して。
「好きですよ ――――」
 たまらなく、と付け足せば、てっきり破顔すると思ったのに泣き出しそうな顔をするから。
 溢れ出しそうになるものに目を閉じた。
 



end