いまさら(W.D編) 7
淡い光を瞼浴びて意識がまどろむ。
外の空気は冷たくて布団を引っ張り上げると頭まで被った。ぬくぬくと体温を吸った布団は温かく、疲弊して今にも沈みそうな体を柔らかく包み込んだ。
あと、もう少しだけ・・・。
目覚ましが鳴ってないのをいいことに意識を沈ませる。
もう少しだけこのままでいたい。
手を広げてシーツを探る。さわさわとシーツを撫ぜながら腕を伸ばしきった時、はっと目を開けた。
(いない・・・!)
肘を突いて隣を見るともぬけの空。いつの間にかカカシ先生がいなくなってる。
「う・・そ・・・」
帰ったんだろうか?
家の中を確かめたくて手を突いて体を起こすと――支えきれず体が傾いだ。
「ぇ・・っ!」
目の前に迫る畳に咄嗟に腕を付くが肘がカクンと折れて、どしんと重たい音を立てて肩から落ちた。
上半身だけベッドから垂れ下がる。元の位置に戻ろうとも下に下りようとも、どうにも腰に力が入らなくて身動きが取れない。
(どうして!?)
こんなこと初めてだ。
これはあれだろうか。いわゆる腰が抜けたというやつ。
垂れ下がったまま考える。
そうかもしれない。
昨日は加減なく励んでしまった。まるで覚えたてのガキみたいに。
でも覚えたてのガキよりなまじカカシ先生に手管がある分、加減しないととんでもないことになる――理解した瞬間だった。
「イルカセンセっ」
あっと視線を向けるとカカシ先生が目を見開いて立っている。
(うわっ、いたんだ)
この情けない格好を隠したくてじたばたもがいていると、みしみし畳を踏みしめて大股にカカシ先生が近づいてくる。慌てて布団を引っ張ろうとするが、手が届かない。そうこうしてる内にカカシ先生がさっと体の上に布団を被せると力の入らない体を持ち上げてくれた。
「す、すいません・・・」
「イルカ先生、大丈夫?」
そうっとベッドの上に下ろすと乱れた髪を整えてくれる。屈み込む様にして「痛くない?」と聞かれて、
「大丈夫、・・・大丈夫です」
かろうじてそれだけ言うと枕に顔を半分埋めた。
思い返すと昨夜は泣いたり、甘えたり、縋ったり、いろいろ恥ずかしいことをした。今もかっこ悪いところを見られてまともに顔を見ることが出来ない。
カカシ先生は何も言わずただ髪を撫でてくれる。手の平全体で撫ぜたり、指先で髪を梳いたり。
その穏やかさに次第に羞恥は薄れた。
時折頬を掠める冷たい指先が心地いい。
カカシ先生から伝染するように穏やかな気持ちになって僅かに顔を上げれば、カカシ先生の手が止まった。
「イルカ先生、今日はアカデミーお休みしますか?」
「え・・・?」
「体、辛いでしょう?連絡出しておきますよ」
しばらく考えて、頷いた。今日は立てそうもない。
「お願いします」
「ハイ」
目の前でカカシ先生がしなやかな指がすばやく印を切る。その動きが止まった時、カカシ先生の手の中から鳥が生まれた。紅い目と白い翼を持つ小さな小鳥が。
「かわいい」
手を伸ばすと指先にとまった。ちょうんちょんと2回ばかり跳ねて、ぴぃと囀る。カカシ先生が窓を開けると指先を離れた。小さな羽根で一生懸命羽ばたいて空へと消えていく。
「いっちゃった」
休む理由が理由だけに良心がちくりと痛む。
「ごめんね、無理させちゃって」
窓を閉めたカカシ先生がしょぼんと項垂れた。
(・・・気にしてる・・・。)
俺も共犯なのに。カカシ先生のせいばかりじゃない。すがって離さなかったのは俺の方だ・・・とは口に出しにくいけど。
「カカシ先生、寒くないですか?」
「え?」
「その・・・さむく・・・」
ああ、と目を細めると布団の端を捲って体をすべり込ませた。当然のように頭の下に腕が通ってもう片方の手で引き寄せられる。すっぽりカカシ先生の腕の中に収まってほうっと息を吐いた。
あったかくて気持ちいい。
「イルカセンセ、もうちょっと眠てていいですよ」
「勿体無いから嫌です」
「ん?」
「せっかく今日一日一緒にいられるのに」
寝て過ごすなんて勿体無いことしたくない。
「イルカセンセイ」
「はい――うわっ」
えっと思う間もなく俺を抱きこんだままカカシ先生が仰向きになった。俺の下敷きになったカカシ先生に慌てて退こうとすると許してくれない。
「カカシ先生っ、重くないですか?」
「全然。ちょうどいい・・・」
悪戯に目を細めて笑う。
動くと余計体重をかけてしまいそうで――諦めて体の力を抜いた。ぺたっと耳をつけるように胸に頭を置くとすぐにカカシ先生の手が髪を撫ぜてくれた。
トクトクと耳の下からカカシ先生の心臓の音がする。
トクトクと優しい子守唄のような音。
いつまでもこうしていたい。
カカシ先生といると離れたくなくなって困る。
寝ないと言ったものの、あまりの心地よさにうとうとしかけていると、ふいにカカシ先生が呟いた。
「イルカ先生のご飯食べ損ねちゃった」
「え?」
「ほんとは昨日、用意してくれてたんデショ?」
ドキッとした。突然思いがけないことを言われて返す言葉が見つからない。告げるつもりなかったのに。
「冷蔵庫いっぱいになってたから・・・違うの?」
「ち、がわなくないですけど・・・俺が勝手にやったことだし・・・カカシ先生が気にすることなんて――」
「ううん。違うんです。嬉しくて。イルカ先生がホワイトデーの用意しててくれたのかと思うと嬉しくって」
弾むようなカカシ先生の声に心苦しくなる。
でも俺、料理下手なんだよな。
昨日の店を思い出して、重い気持ちがぶり返してきた。
美味しかった料理。カカシ先生の好きな味。
覚えようと思ったけど何が入ってるのかすら分からなかった。
あんなの作れない・・・。
「いつも作ってもらってばかりだったから、偶には外の方がいいかなって思ったんだけど・・・ごめんね」
「いえ・・いいんです。おいしかったし」
「だったらいいんですけど・・・オレはイルカ先生のご飯の方が良かったな。イルカ先生のご飯の方が美味しいし」
「・・・」
返事を返しづらくて口を閉ざした。
そう言ってくれるのは嬉しいけれど・・・。
何も言えないでいると、カカシ先生が「オレね」と静かに続けた。
「オレね、もともと食べることって興味なかったんですよ。口に入るものなら・・・栄養さえ取れれば何でも良くて。でもね、イルカ先生が作ったのも初めて食べた時、すごく美味しくて・・・食べ物ってこんなに味があったのかと思ったんです。昨日行ったとこもね、美味しいって評判だから行くようになったんですけど、よく分からなくて。イルカ先生のご飯が美味しかったから、美味しく感じるかなと思ったんですけど・・・そうでもなくて。イルカ先生が作ってくれたものだけ味を感じる。イルカ先生の作ってくれるご飯だけがおいしい。だから昨日はイルカ先生のご飯食べ損ねて一食分損したなって。」
最後は笑って、ぽんと頭に手を置いた。
「イルカセンセ・・・?」
その手が顔を上げるように促してくるが、出来ない。
嬉しくて。
そんな風に思ってくれてたなんて。
嬉しくて嬉しくて、勝手に瞼が熱くなってくる。
カカシ先生の胸に顔を押し付けるとこっそり鼻を啜った。
「イルカ先生、これからもオレにご飯作ってね」
「はい」
カカシ先生の胸に頷いた。思いの丈を込めて頷いた。
「ねぇ、イルカセンセ?」
「はい?」
「こっち向いてよ」
「はぁ・・・」
「ねぇって」
向きたいけれど、鼻とか目とか赤くなってそうで照れくさい。
もうちょっと、このままで――。
と思ったら、あっという間に上下を返された。体のことを思ってか決して体重をかけずに圧し掛かってくる。
上から見下ろすカカシ先生の顔がすごく近い。
銀色の髪や睫が日の光に透けている。色違いの瞳にじっと見つめられて、胸が高鳴る。額に当たるカカシ先生の髪がくすぐったい。
近いよ、近い、と思ったら、ちゅっと唇が重なった。
「眠ってる時のね、イルカ先生、かわいかった」
「眠ってる、俺?」
いつのことだろう?と思いを巡らす。
「うん。なにしても起きないんだもん」
楽しそうに笑うと、そうっと頬を撫ぜる。
そこに違和感が。
(そういえば。なんか俺・・さっぱりしてない?)
いつもはあんなに気にする匂いも感じない。
「勿体無いなぁと思ったんですけどさすがにイルカ先生気持ち悪いかなと思って綺麗にしときました」
「ふぁ、なんですか・・・綺麗にって」
他にも勿体無いって。さすがにって。
「聞きたい?」
「い・・いえ・・いいです」
なんか途轍もなく恥ずかしい事を聞かされそうな気がする。
あれもこれも曝け出して全部知られてるのにカカシ先生の前だといっこうに慣れることがない。終わった後のぐちゃぐちゃな体を晒したのかと思うと居た堪れない。
「ごめんね、気にしてるなんて思わなくて」
「・・・いえ」
「いままでも綺麗にしてあげようかなって思ったことあったんだけど、イルカ先生からオレの匂いしてるの嬉しくって、ついそのままに――」
「うわーっ、うわーっ」
(なに言い出すんだよっ!)
予想を遥かに上回る恥ずかしいことを聞かされて耳を塞いだ。
カカシ先生はその間も啄ばむようなキスを繰りかえす。ぎゅうっと目を閉じると、くすくす笑いながら瞼の上にもキスを落とす。
ものすごく上機嫌だ。
次第にカカシ先生のキスが強請るようなものに変わる。目が合うと伺うように覗き込んできた。
「だ・・だめですよ。今日はそのせいで仕事休んでるんですから。明日は仕事行くんですから」
「ん、わかった。キスだけ」
「ん・・・」
小さなキスを繰り返してカカシ先生が嬉しそうに笑う。
「断られちゃった」
「え?」
「初めて、イルカ先生が、ダメって」
「そう、ですか・・・?」
「うん。イルカセンセ、あんまりオレの言うこと聞きすぎないで。でないと不安になります」
「あ・・・」
昨夜のカカシ先生の言葉や辛そうな顔が蘇る。
「カカシ先生、俺、知らなくて・・・。浮かれてて、全然気づけなくて・・・」
「いいんです。オレと過ごした一ヶ月がイルカ先生にとって幸せなものだったら」
カカシ先生は優しい。
たとえもし最初が無理やりだったとしても、きっと俺はカカシ先生のこと好きになってた。そう思えるぐらいカカシ先生と過ごした一ヶ月は幸せと優しさに満ちていた。大切にされてた。
だから――。
決意のような熱いものが胸の奥から込み上げる。
「カカシ先生、これからは俺がカカシ先生のこと大事にしますね」
宣言するとカカシ先生は吃驚した顔して、それから嬉しさに溶けそうな顔で笑った。