いまさら(V.D編)





 ずっと伝えられない気持ちがあった。



 誰も居なくなった教室で次の受付任務までの時間を過ごす。
 窓際に寄って陽を浴びれば冬と言えど温かい。
 放課後の教室の寂さと懐かさが混じったような静けさは、気持ちが落ち着くような気がして好きだった。
 カバンから生徒から貰った板チョコを取り出して齧りついた。
『あげる』
 はにかみながら差し出された手はちっこくてもちゃんと女の子だった。
「今頃あの人は――・・」
 無意識に漏れた呟きに口を閉ざした。



「イルカ先生チョコくださいね」

 カカシ先生に催促されたのは1週間前。
 報告書を受け取りながら、周りにたくさんの人が居る中で。
 順番を待ちながら、丁度バレンタインの話で盛り上がっていたから冗談でも言っているのだろうと笑って聞き流した。
 もちろん本気だとは思っていない。
 思えるわけがない。
 俺みたいなの相手に。
 それにわざわざ俺が用意しなくても、あの人ならいくらでも貰える。

 それこそ本命からでも。

 不意に自嘲が込み上げる。
 冗談で言われたことをいつまでも気にする自分がおかしかった。
「こんな日なければいいのに・・・」
 胸に閉じ込めるのは苦しくて、誰も居ないのをいいことに小さく吐き出した。



  ***



「あー、イルカ先生。こんな所にいた」

 少しうとうとしていたらしい。
 呼ばれて顔を上げれば、カカシ先生が立っていた。
(会いたくなかったのに。)
 視線を逸らしながら挨拶してカバンを手にした。
「今から仕事ですか?」
「ええ」
「じゃあよかった。今会えて」
「はい」と向けられる手のひら。
「――なんですか?この手・・・」
「ちょーだい。チョコ」
「・・・んなもん、ありませんよ」
「えぇー、ちゃんと頂戴って言っておいたのに」
 拗ねるように口を尖らせる。
(残酷だ。)
 知らないこととは言え、どこまでからかえば気が済むのか。
「・・別に俺からでなくても貰えたでしょう」
「うん」
(ほらな。)
 あっけらかんと答えるのに屋根に積もった雪の塊がまとめて落ちてきたような心地を味わう。
 分かっていても苦しい。
「だったらいいじゃないですか」
「でもそれサクラからだもん。本命からはまだ」
「それなら――」
(さっさと行け。)
 喉から出掛かった言葉を飲み込んで笑った。
「すいません。受付任務の時間なんで」
 早く立ち去りたくて、ドアの脇に立つカカシ先生の横をすり抜けようとして、
「えっ、ほんとにないの?」
 擦れ違いざま腕を捕んで教室に引き戻された。
 扉がさっと閉められ、背中に固いドアが当たる。
「ちょっと!離し・・・」
「楽しみにしてたのに」
 責めるように言われて言葉もでない。
「そのくせイルカ先生はチョコ貰ったんだ」
「え?」
「付いてますよ。口の周り」
「!」
 慌てて口を拭おうとして、手首を捕られた。
 その手もドアに押し付けられ、両腕をドアに磔にされて身動きの取れなくなった俺を見てカカシ先生が薄く笑った。
「誰から?」
「そんなの誰からだっていいじゃないですか」
 生徒からと白状しないのはせめてもの意地だった。
「もういいでしょう。離してください」
 振り解こうともがいたところで頬に柔らかい髪を感じて動けなくなった。
「なに・・」
「ちょっとだけ。今だけ・・・こうさせて」
 カカシ先生は俺の肩に軽く額を押し付けると静かに息を吐いた。

 カカシ先生に捕まれた腕が熱い。
 こんなに近くに寄ったのは初めてだった。
 ずっと硬そうだと思ってた髪は意外なほど柔らかくふわふわと首筋を擽る。同じくらいかと思っていたのに肩の位置はカカシ先生のほうが高い。冷たそうだと思っていた手は温かい。その温もりが布を通して感じられるほど――。

「未練がましいデショ・・・オレ・・・」
 カカシ先生が乾いた笑いを零した。
「オレね、決めてたんです。今日イルカ先生からチョコ貰う事が出来たらもう絶対に離さないって」
 苦し気に笑うカカシ先生からはウソも冗談も感じられなくて――。
「な・・に言って・・・」
(なに言ってんだ。今更。)
 冗談みたいに言ったくせに。
 あれが本気だったなんて。
 本当は用意してた。
 冗談には冗談で返せばいいと、そんな形でなら渡せそうだと。
 買い物ついでに、それでも一生懸命選んだ。
 でもよくよく考えてみればなんて滑稽な。
 渡せる筈がない。
 俺がいったいどんな顔して。
 笑われるのがオチだと、昨夜包みを開けた。
 区切られた小箱の中にコロコロと小さなチョコが4つ。
 初めて口にする形のチョコは、鼻が詰って味なんかちっとも分からなかった。

 ずっと好きだった。

 あの時もっとちゃんと言ってくれれば――・・。

 カカシ先生が掴んでいた手を離した。
 先ほどまであった熱が逃げていくのに何ともいえない寂しさを感じる。
「ありがとう。逃げないでいてくれて。」
 にこっとカカシ先生が笑った。
 何もかも諦めてしまったように。
 閉めたドアを開け、「ごめんね」と囁くように呟くと開いた隙間から身を滑らせる。

 行ってしまう。

 さっきまであんなに近くにいたカカシ先生が離れていく。
 心が――離れていく。

 いやだ、いやだ、いやだ。

 行かないで。

「まって・・・」
 出て行こうとするカカシ先生のベストの裾を捕まえた。
 

 ちゃんと言うから。
 チョコはもうないけど、ちゃんと気持ちを伝えるから――。

 そう思って口を開くのに、喉が干上がって声が出ない。

 怖い。
 カカシ先生の想いを聞いてですら。
 「離さない」というのは「好き」とは違うかもしれない。
 俺がカカシ先生を想う「好き」とは違うかもしれない。

「イルカセンセ?」
 カカシ先生が不思議そうに振り返る。パクパクと口を開く俺を思案するように見ると、もう一度中に入ってドアを閉めた。

「実はね、もういっこ決めてたことがあるんです。」
 慎重に、言葉を選ぶようにカカシ先生が口を開いた。
「え・・・?」
「イルカ先生からチョコ貰えなかったら・・・誰のでもいい、イルカ先生が持ってるの奪って無理やり貰った事にしようって。それでもうイルカ先生オレのにしちゃおうって。」

 そんなこと言われたって。
 唯一貰ったチョコはさっき食べてしまった。
 だからもう持ってない。
 なのに。

「ねぇ・・・貰っていい?」

 懇願するように聞いてくる。
 切なく見つめられて言葉を無くす。
(どうやって・・・?)
 と思ったらカカシ先生がちょっと屈んで口布を下ろして――ぺろっと口の端を舐めた。
「!」
 これには吃驚したがカカシ先生の方がもっと吃驚していた。
「・・避けないの?」
「・・・どうして?」
 カカシ先生が探るように目を覗き込んでくるから、負けじと見つめ返す。
 ずるいのは分かっていたが、言葉に出来ない気持ちを読み取ってほしかった。
 カカシ先生がゆっくりと顔を近づけてきた。徐々に閉じられていく瞼につられるように瞼を下ろすと、唇が重なった。
 バクバクと心臓が煩いほど高鳴る。
 カカシ先生の唇が軽く触れては離れる。それを繰り返し、俺が逃げないと分かると、カカシ先生の手が背中にまわり、ぐっと引き寄せられた。
 苦しいぐらいに抱きしめられて酷く安心する。
 あまりの心地よさに体から力を抜くと、いっそう強く抱きしめられた。
 隙間を無くすみたいに。
 その間もキスは止まなくて、角度を変えて重ねられるうち下唇を舐められ、体を走った震えに、「あ」と声を上げると、その隙間から舌が差し込まれた。
「ん!んぅ」
 深く舌を絡められて頭がぼーっとしていく。
「あまい」
 口吻けの合間に囁かれた言葉に、目を閉じたままカカシ先生の唇が笑いの形を取ったような気がして、カッと頬が熱くなった。
(こういうことか。)
 なんて恥しい。
 そう思っても止められない。
 だってキモチイイ。
 カカシ先生とのキスはとんでもなく気持ちよかった。

 ちゅっと音を立ててカカシ先生の唇が離れてく。止めて欲しくなくて背伸びすると、ちゅっと優しく啄ばむようなキスをくれた。
「イルカセンセ」
 呼ばれて目を開けると、熱に浮かされたようなカカシ先生と目が合い、ズキンと心臓に痛んだ。

 この人が好き。
 すごく好き。

 急に感情が高ぶって、するすると目から涙が溢れた。零れ落ちる涙をカカシ先生が唇で拭ってくれる。

「イルカセンセ。アナタはもうオレのものだからね」

 そっと抱きしめてくるのに、

 はい。

 と思いの丈を込めて抱きしめ返した。



 だから俺はこの時カカシ先生の表情を見ていなかった。



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