どれくらいの間泣いていただろうか。カカシは顔を上げて涙を拭った。泣いても慰めて欲しい人が声を掛けてくれることはない。
「イルカ…」
 カカシはイルカの背中と膝裏に腕を通して眠る体を抱き上げた。大事に浴室へ運んで猫足の付いたバスタブの中へ横たえた。シャワーを出してイルカの体に浴びせる。
 湯気が上がるとイルカが微笑んだ気がした。イルカは本当にお風呂が好きだった。一緒にお風呂に入った時のことを思い出して、じわりと目が潤んだ。あの時イルカは嬉しそうに笑っていた。カカシが髪を洗うとくすぐったそうに首を竦めた。可愛くて可愛くて堪らなかった。
 でも今は目を閉じて横たわるだけだ。
 ポロッと涙の粒が頬を流れたが、海綿に石けんを擦りつけると泡立てた。それでイルカの体を擦る。
 寒く無いようにシャワーは出しっぱなしにした。爪の先から指の間、腕、肩、脇と洗い残しが無いように丁寧に擦った。
「イルカ、気持ち良ーい?」
「……」
 聞いても答えてくれない。ツキリと痛む胸を無視してカカシは洗い続けた。
 胸やイルカの大事な所も。握ってもイルカは反応を返さなかった。前にこの場所でイルカの性器を握った時、イルカはカカシの上に乗って可愛く啼いた。下からの突き上げに耐えきれないとばかりに涙を零しながらも快楽に身を委ねていた。
 イルカの淫らな姿を思い出して、ポロリと涙の粒が頬を伝った。そこかしこに残るイルカとの思い出がカカシを寂しくさせた。ぐずぐずと鼻を啜りながら寂しさに耐えた。十年経ったら起きてくれるのだからと自分に言い聞かせて。
「イルカ、髪も洗うネ」
 返事が無いと分かっていても問いかけずにはいられなかった。なにかしらイルカと繋がりを持っていたかった。例えそれが一方的なものでも。話しかける事で一人の寂しさが軽減される気がした。
 断りを入れてからイルカの髪を濡らした。シャンプーを泡立てて髪に擦りつけると頭皮に指を滑らせた。
「痒いとこなーい?」
 シャクシャクと指を動かすとイルカの頭が小さく揺れて笑ってるように見えた。イルカの笑顔を思い出す。心にぽっと灯が灯った。
「あのね、これから毎日イルカをお風呂に入れることにしたよ。一緒にお風呂に入ろーネ」
 毎日一緒に、なんて言って良かっただろうか? イルカは恥ずかしがり屋だった。イルカが一緒にお風呂に入ってくれたのはエッチをした時だけだった。イイ雰囲気になった時だけ一緒に入ることを許した。普段は照れて嫌がった。
 むむむ〜と考えて、カカシは良いことにした。だってそうしないとイルカのお世話が出来ない。この際イルカがそれを望んでいるかどうかは棚に上げた。
(イルカだって綺麗な方が嬉しいに決まってる)
「いーよね?」
 反論しないイルカにヨシとした。綺麗になったイルカはどことなく嬉しそうだ。
「あ、そうだ。お湯を張ってあげよう」
 イルカはお湯に浸かるのも好きだった。蛇口をめいっぱい捻ってお湯を出した。バスタブの脇にしゃがんでお湯が一杯になるのを待つ。腰の辺りまでお湯が堪ると、手で掬ってイルカの肩に掛けた。イルカが喜んでいる気がして頬が緩んだ。
 バスタブいっぱいお湯が溜まるとイルカの頬が赤く染まった。濡れた手でイルカの頬を撫でた。顔に掛かった髪を後に撫で付ける。引き寄せて、バスタブの縁に置いた腕にイルカの頭を載せた。力の抜けたイルカの頭がコテンとカカシの首筋に凭れ掛かった。
「イルカ…」
 こうしているとうたた寝してるみたいだった。イルカの髪に頬を押し付けた。
「イルカ…」
 やはり寂しい。いつかこの寂しさに慣れる日が来るのだろうか。
 喧嘩していた百年の時を想った。あの時はまだ幸せだった。怒りや嫌悪であれ、イルカはカカシに感情を見せてくれた。
「…あの頃が幸せに想えるなんて…ね」
 当時は十分寂しかった。イルカに嫌われているのは辛かった。
 イルカ、イルカ、イルカ。
 イルカとの思い出で胸がいっぱいになる。
 だが考え方を変えてみれば、今も幸せだ。
 イルカに触れることが出来る。イルカは待っていることを許してくれた。イルカとの約束もある。それにキスだって出来た。
 ちゅっと音を立ててイルカの肩先に口吻けた。それから頬や目元にもキスをした。最後に唇に口吻けて、カカシは寂しさにフタをする決心をした。すぐに開いてしまいそうだったけど、少しでも前に進みたい。
「そろそろ上がろうか?」
 イルカに声を掛けて立ち上がった。タオルを持って来てなかったことに気付いて、「ちょっと待っててネ」と言い置いて部屋に取りに行った。
 タンスの中から新しいタオルを取り出して浴室に戻る。するとイルカの姿が見えなくなっていた。
「えっ!イルカ? ぎゃーっっ、イルカ!!!」
 慌ててバスタブを覗くとイルカが底に沈んでいた。泣きそうになりながらイルカを引き上げて水を吐かせた。心なしかイルカの顔色が悪い。
 決心も虚しく、カカシはまためそめそ泣いた。


 膝を抱えて棺桶の傍に座った。こんなにも自分が役立たずだと思ったことはない。
「ゴメン…イルカ…」
 起きていれば、どれほど文句を言われただろう。己の手際の悪さに嫌気が差した。
 イルカを浴槽に沈めたばかりか、上がってからもモタモタしてイルカに寒い思いをさせてしまった。眠る人に服を着せるのは想像以上に難しかった。きっと痛い思いをしたに違いない。
 ぐす…っ…ぐすっ…。
 イルカの前では完璧でありたかった。イルカに頼られる男になりたい。不甲斐ない自分は嫌いだ。
 イルカを守りたかった。泣いてばかりでは駄目だと分かっている。
 でも寂しくて、カカシの心はすぐに折れた。イルカが見ていてくれないと頑張れない。どんなに強く決心しても、心はすぐに寂しさに舞い戻った。この寂しさに慣れる日が来るとは思えない。
 行き場のない寂しさに心がのたうち回った。
 カカシのすべてはイルカの為にあった。嫌われていた時は血を分け与えるのが喜びだった。想いが通じ合ってからはイルカの側にあるだけで嬉しかった。イルカがカカシを見て笑ってくれる。それだけで幸福で胸が張り裂けそうになった。
 だが今はどれもない。
「イルカ…」
 そうっと棺桶の蓋を開けてイルカを見た。イルカは目を閉じ、カカシが横たえた姿のままピクリとも動かないでいた。そんな姿を見ると哀しみが増したが見ずにいられない。
「イルカ…、寂しいよ…」
 涙を零してイルカの胸に顔を埋めた。


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