※血と暴力的な表現があるので、苦手な方は気を付けてください。でも、お好きな方が期待するほどはありません。





プロローグ


 暗い路地裏にカッカッカッと靴音が響いた。その足音を追うように複数の入り乱れた靴音が続く。
「逃がすな、追え!」
 はぁはぁと息を切らしながら、カカシは薄汚いビルの隙間に滑り込んだ。背中を壁に擦りながら素早く通り抜けると、左右に追っ手が居ない事を確認して向かいの路地に飛び込んだ。
 可能な限り音を立てないようにして狭い道をすり抜ける。途中、ネズミの死骸を踏みつけて顔を顰めた。まるで、自分の行く末を暗示するようだ。
 ヤツ等に掴まれば、間違い無く同じ運命を辿るだろう。銃弾を撃ち込まれて、この汚い路地裏に打ち捨てられるだけ。腐敗臭が漂うまで、誰もカカシを気にすることはない。
 ここは、そういう街だ。
 カカシは緊張の糸を引き絞って耳を澄ました。近くに足音はない。でも安心するのはまだ早い。相手はマフィアだ。彼らのシマを荒らして、武器の密売を行っていたカカシを決して許しはしないだろう。そうでなくともカカシが売った武器が元で、アジトを襲撃されて死傷者が出たばかりだ。
 奴等にとっては、消しても消し足りない存在になっていると、カカシは自覚していた。
 傍に人の気配が無い事を確認して、カカシは駆け出した。気付かれていない内に出来るだけ奴等から離れたい。ところがゴミ溜めの角を曲がったところで足を取られた。ポリバケツを巻き込みながら転倒して派手な音を立てた。
「こっちだ!」
 カカシを追う声にチッと舌打ちしたところで、ギクリと固まった。
 誰か居る。
 暗がりに蹲る人影に、追っ手かとヒヤリとするが人影は手足を放り出したまま、だらんと壁に凭れてピクリとも動かなかった。黒く長い髪に隠れて顔は見えないが、服装と体格からして男だろう。
(…死体か?)
 だったら都合が良い。
 自分の上着を着せて、転がしておこうと思った。髪の色が違うが、ゴミの中に頭を突っ込んでおけばいい。奴等がコレを見つけたら、ありったけの弾をぶち込むだけで、ゴミの中を引き摺り出してまで顔を確認しようと思わないだろう。最悪したとしても、その間逃げる時間を稼げる。
 近づいて来る足音に耳を澄ませながら、カカシは手早く男の体を引き起こした。反動で項垂れていた男の頭がぐるんと回って顔を露わにした。まだ若い。鼻筋の上に大きな傷跡があった。年は二十歳ぐらいだろうか。
 てっきり年老いた浮浪者だろうと思っていたから、少なからずカカシを驚かせた。
(世も末だーね)
 自分のしようとしていることを棚に上げて思った。年々続く不況で若者達は働く場所を失い、貧困に喘いでいた。この青年も、その内の一人だろう。憐憫の情が湧かないでもないが、所詮この世は強い者だけが生き残る。
 さっさと情を捨て去ると、青年の上着を剥ごうとした。
「う…」
 その時、死んでいるとばかり思っていた青年が呻いた。
(まだ、生きているのか)
 チッと舌打ちしたくなる気持ちを堪えて、青年の首筋に指先を当てた。低い体温と、トク、トクと間隔を開けて僅かな脈が感じられる。
「チッ」
 今度ばかりは本当に舌打ちして青年から手を離した。
(さて、どうするか)
 迷いは一瞬。
(どうせ死に掛けているのだから、構わないだろう)
「いたか?」
「左に回れ!」
 急がなければ、カカシを追う者達の足音が近づいて来ていた。
 カカシは自分の上着を脱ぐと青年に被せた。着せている時間はもう無い。
「悪いケド、オレの身代わりになってね」
 最後に人の役に立てれば、彼も本望だろう。
 勝手に決めつけると、ゴミ溜めまで運ぶために青年の脇に手を入れた。また、ぐらんと大きく青年の頭が傾く。
「…………」
 何かを言うように青年の口許が動いた。言葉は発しなかったが、その口の中にカカシの目は釘付けになった。本来なら有り得ないモノが見えた。何の冗談だろうと、青年の上唇を持ち上げた。
 そこにあったのは二本の牙。まるで、ドラキュラの仮装をしたような牙が生えていた。
 切羽詰まった状態なのに可笑しくなる。この青年は仮装大会の途中にでも死に掛けそうになったのだろうか?
 だとしたら、なんとも間抜けな死に様だ。外してやろうかと親切心が沸いて、青年の歯を掴んだ。それはちょっと揺するだけで、すぐ外れる筈だった。だが、歯を揺すると青年の頭も揺れる。
(…アレ?)
 どういう仕組みだろう?
 良く見ると、歯茎がなんともリアルだ。プラスティックの繋ぎ目が無く――とても紛い物には見えない。
「……」
 カカシはちょっと考えると青年を背中に担いだ。
 こんな状態でお荷物が増えるのは生死に関わるが、新たな可能性の予感に、このまま放っておく気にはなれなかった。


text top
top