駆けつけた時は、すべてが終わった後だった。
きな臭い匂いとまだ周囲に立ち込める煙。
群がる野次馬たちを押し退けてイルカ先生を探した。




home sweet home 後



聞いたのは夕方。
子供たちと任務を終えて報告を出しに行けば、居るはずのイルカ先生がいない。
オレを見つけて青ざめたイルカ先生の同僚に聞けば、イルカ先生のアパートから火が出た、と。
その後のことは覚えていない。
イルカ先生の無事を確かめたくて、ただ顔が見たくて走った。


「イルカセンセ!!」
漸く、人ごみの向こうにイルカ先生を見つけたときは足から力が抜けそうになった。 声を上げて呼ぶが、遠くて届かない。
アパートの近く、立ち入り禁止のロープが張られたすぐ傍にイルカ先生は居た。
「イルカちゃん、ごめんねぇ・・・」
泣き崩れるおばちゃんを支えながら一生懸命慰めてるのが見て取れる。
すぐ下に住んでる人だ。
「大丈夫だから、おばちゃんにケガが無くて良かった」
こんな時にまで笑って。
でも、それがイルカ先生。
「イルカ先生!!」
今度は声が届いたのかはっと顔を上げた。
オレを見つけて首を振る。
来るな、と。
その仕草にいらっとしながらも待った。
イルカ先生の言いたいことも解るけど。
イルカ先生がおばちゃんの傍にいた女の人に何か言って、頭を下げながら離れた。
イルカ先生がこっちにやってくる。
疲れた顔には煤を拭った後がある。
「カカシさん・・・・」
「ケガは!?どこにも怪我してない?」
「俺は大丈夫なんですけど、火元が下のおばちゃんで・・。ひどく落ち込んじゃって・・・。頑張ったんですけど・・火も回りが速くて――」
「そんなことどうでもいいよっ!」
放っておくといつまでも火事の状況をしゃべってそうなイルカ先生を一括して勝手に体を調べた。
顔に付いた擦り傷やところどころ焦げてる忍服。
何故かイルカ先生は全身びしょ濡れで。
「アンタなにしてたの?」
うつろなイルカ先生の眼を覗き込んだ。
そこは空に立ち込める煙のように曇って。
「煙がすごくて――・・・。でも写真とウッキー君は大丈夫です。それと、これ・・」
ポケットから何かを掴むとオレの手に押し付けた。
「ごめんなさい。1個しか持って出れませんでした」
手の中にあるものを見て、一瞬目の前がぶれそうになるほど頭に血が上った。
怒ってやろうと思ったのに、うつろだった目に涙をいっぱい溜めたイルカ先生に声が出なくなった。
「イルカセンセ・・・」
「また・・・家がなくなっちゃった」
ぼろっと一筋、煤で黒くなった頬に涙が零れて、拭おうと手を伸ばすとイルカ先生が糸が切れたように崩れ落ちた。
「イルカセンセっ!」
抱きとめて頬を軽く叩くが目を開けない。
沸騰寸前だった血が一気に冷えた。

イルカ先生を抱き上げると病院へと走った。



**



安物のパイプ椅子に腰掛けてイルカ先生が目を覚ますのを待った。
揺らしながら座ると、ぎっ、ぎっ、と嫌な音を立てるが、じっとしていることが出来ない。
どこもかしこも白い病室はいつも健康そうなイルカ先生をも白く見せて落ち着かない。
まあ、実際白いんだが。
頬に張られたガーゼや頭、それから両手にも巻かれた包帯。
外見は痛々しいことこの上ないが、どれも軽症ですんだ。
今、イルカ先生が眠っているのはチャクラ切れの為。
気を失ってから丸一日眠ったまま。
後で消防隊忍に聞いたところ、イルカ先生は中にいた人たちを助け出した後で、これでもかというくらい水遁をかましたらしい。
立派だよ。
立派だけど、アンタちょっとでもオレのこと考えてくれた?
何処からコレだけの量の、と消防隊忍に思わせるほどの水を引き寄せ、それでも消えないと解ると周りが止めるのも聞かず中に入ったそうだ。
きっとコレを取りに。
チョコエッグのフィギュア。
あの時、イルカ先生がオレの手に押し付けたもの。
手の中に握り締めたそれを見るたびに腸が煮えくり返る。
溶けかけたカブトムシ。
こんなものが溶けるなんて、あの部屋がどれほどの高温になったのか。
火元はイルカ先生のすぐ下の部屋。
そこに立ち入るのがどれだけ危ないことなのか分からない筈ないのに。
イルカ先生の包帯を巻かれた両手が、こんなものが原因かと思うと体中を切り刻まれるように痛くなって、怒っていいのか哀しんだ方がいいのか分からなくなる。
「イルカセンセ・・・」
なんでもいいから早く目を覚ましてよ。
そしてオレのこと安心させて――。

「カ・・カシ、さん・・・?」
弱々しい、イルカ先生の声。
「イルカ先生!」
立ち上がった拍子にパイプ椅子が倒れて耳障りな音を立てたが、構わずイルカ先生の顔を覗きこんだ。
薄っすらと開けた瞼を瞬いて、その奥の瞳がふらっと彷徨って、こっちを見た。
「痛いとこない?気分悪くない?」
もぞっと確かめるように体を動かすイルカ先生の返事をじっと待つ。
「はい・・大丈夫です」
「はぁー・・よかった。ほんとに良かった」
体から力が抜けて覆いかぶさるようにイルカ先生の首筋に顔を埋めた。
イルカ先生からは消毒薬の匂いがして胸が詰まる。
イルカ先生の手が頭の後ろに添えられて撫ぜるように動いた。
――いつもだったら髪を梳いてくれるのに。
余計な怪我して。

「喉・・渇きました」
起き上がろうとするイルカ先生を手伝って上半身を起こさせると、水差しからコップに水を注いだ。
こくこくと喉を鳴らしながら水を飲み干し、おかわりをするイルカ先生に、ほっと胸を撫ぜ降ろす。
が、同時にふつふつと怒りが沸いてきて、コップを受け取ると、何の前置きもなしに、パンッとガーゼの無い方の頬を張った。
そんなに強く叩いたつもりは無かったが、病み上がりのイルカ先生はあっけなく布団に逆戻りして、呆然と叩かれた頬を押さえている。
「イルカ先生、なんで叩かれたか解ってますか?」
聞けば横を向いて、ぎゅっと唇を噛み締める。
「イルカ先生」
ともすればこっちの声がみっともなく震えそうで歯を食いしばった。
イルカ先生を叩いたのなんて初めてだ。
喧嘩して殴られたことはあったけど一度も手は上げなかった。
でもこれだけは言っておかないと気が済まない。
頬を押さえた手を引き剥がしてこっちに顔を向けさせようとすると、イルカ先生が嫌がって暴れた。
思っていたより元気があってほっとする。
と、同時にこんなに聞かん坊みたいになったイルカ先生を目にするのは初めてだと、心のどこかで悠長に思える自分がいた。
いつも言うことを聞かないのはオレの方だったから・・・。
あ、と思った。
だったらこんな時の扱い方知ってる。
それに後押しされるように声を上げた。
「イルカ先生っ!」
「や、だっ!カカシさんなんか・・・!なんで怒られないといけないんですか!俺っ、悪いことなんて――」
「してませんか?消防隊忍の連中から聞きましたよ?水遁までは立派です。でもどうして中に入ったんですか。止められたでしょう?危ないの分かってたでしょう?」
「だってっ・・フィギュアが・・・大事にしてたのに――」
「オレが喜ぶとでも思った?アンタ、馬鹿じゃないですか。あんなもの、燃えても良かったのに」
言い捨てればイルカ先生の顔が悲しげに歪んだ。
双眸から涙をぽろぽろ零して、ひっ、ひっ、としゃくり上げる。
「カカシさんが・・っ、大事じゃなくたって・・俺には大事だ・・・たっ・・か・・ら・・」

知ってるよ。
大事にしてくれてたの。
一度もあの上に埃なんか被ったことなかったもの。

ちゃんと知ってるよ。

「大事だったよ。大事だったけど、そうじゃないでしょ?あれはまた買えば済むんです。また集めればいくらでも代えは利くんです。でも、アタナはそうじゃないでしょ?溶けたこれを渡されたオレがどんな気持ちになるか考えてくれた?こんなもののためにアナタを失ってたかもって――そう考えた時、オレがどんなに辛かったか分かる?」
泣いてるイルカ先生にも分かるようにゆっくり言った。
ちゃんと伝わるように。
もう二度と間違えないように。
じっとイルカ先生の瞳を見据えると新たな涙が盛り上がり、それが滝のように流れた。
「あ・・・ひっ、ごっ、めんなさっ、・・・・家が燃えてるの見たら・・・んぐっ・・・思い出が燃えてしまうと思ったら・・・居てもたってもいられなくて・・抑え切れなくて・・・ごめん、なさい・・」
ごめんなさい、と何度も繰り返すイルカ先生を抱き起こして、とんとんと背中を叩いた。
「分かってくれたんなら・・いいです。イルカ先生、忘れないでね。思い出はこれからだって作れるんです。アナタはオレの帰る場所なんだから――勝手に危ないことしていなくなったりしないで」
「ひぅ・・んっ・・ごめ、・・ごめっ・・」
「あーもうっ、わかったから!もう泣き止んで?叩いたりしてごめんね」
「んがっ!俺がっ、・・ひぐっ」
盛大に涙を流すイルカ先生の頬を拭いながら、悪いとは思ったが笑ってしまった。
言いたいことを言って気が緩んだのもあったし、いつもと役割が逆転してるのも可笑しかった。
ぷっと吹き出すと止まらなくなって腹を抱えて笑ってしまった。
いつもだったら絶対、何で笑うんですか!と怒るだろうイルカ先生もこのときばかりは、あーんと泣いてオレを困らせた。
だってかわいくって。
素直に泣き顔を曝すイルカ先生がかわいくて、いろんな汁がついた唇にキスを落とした。
しょっぱいはずのキスはどこか甘くて、オレを幸せな気持ちにさせた。



**



手を繋いで門をくぐった。
オレとしてはイルカ先生をお姫様だっこしてはいっても良かったぐらいだが、それはさすがにイルカ先生が嫌がって(恥ずかしがって?)却下された。

目の前に二人の新しい家。

里の外れに小さな家を買った。
小さいけど、庭もあって二人で住むには十分な広さがある。

まだ何にもない居間(になる予定の部屋)にカブトムシを置いた。
それを見るとイルカ先生が気不味げな顔になったり、泣いたことを思い出すのか恥ずかしげになってあまり見たがらないが、オレにとっては一番の宝物。
イルカ先生がオレを想う、想いの結晶。
それにイルカ先生がまた間違えたりしないように教訓として。

これからまたこの家でフィギュアは増えていくのだろう。
新たな二人の思い出として。

イルカ先生と共に。

そこが、オレの帰る場所。


end
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