言わせたい 1


Prologue


 早くから入って空いていた居酒屋の席がいっぱいになってきた。注文を告げる声や乾杯の声で店内が賑わう。
 オレの目の前では、イルカが欠食児のように食べていた。空になった皿がいくつも並ぶ。イルカは育ち盛りだ。どれだけ食べても足りないのだろう。
「美味し?」
「ふんっ」
 イルカは大きな肉を頬張り、閉じられない口から不明瞭な声を発した。ぐっと噛み締めた口の端から肉汁が滴って、慌てて口許を押さえる。
「慌てなくていーよ。今日は時間がたくさんあるから」
「うん。でも外で演習したから、お腹が空いてるんだ」
「そう。いっぱい食べてね」
 おしぼりを渡しながら言うと、イルカはハムスターみたいに膨らんだ口許を拭った。
(可愛いなぁ…)
 里に帰った時、イルカに食べさせるのはオレの楽しみの一つだ。
 メニューを広げて刺身を追加すると、イルカの目が輝いた。
それから酒も注文すると、イルカの目に好奇心が宿る。
「なぁ、酒って美味しいのか」
「ん? まあね。イルカはまだダメだよ。未成年なんだから」
「ちぇ、聞いただけだろ」
 生意気を言うイルカに口許を緩めた。最近オレが親みたいな事を言うのを嫌う。
(大人になった証拠かな…)
 僅かに酒の残った盃を傾けながらイルカを窺うと、唇を尖らせていた。まだまだ子供の仕草だ。
(イルカ、早く大人になって)
 オレはイルカを恋人にしたかった。イルカ以外にオレの恋人は有り得ない。
 だけどイルカは子供だから、オレの気持ちに気付かない。もしかしたら、自分の気持ちにも気付いてないのかもしれない。
 イルカはきっとオレをスキだと思う。
 イルカにモーションをかけ続けて四年。普通、これだけ長い時間好意を示されれば、イヤでも気付くはずだ。
 でもオレ達の特殊な関係が、それを気付き難くしたかもしれない。オレはイルカの後見人だった。両親を喪ったイルカの親代わりであり、幼い頃から一緒に過ごして兄のような存在でもある。
 イルカはオレの愛情を肉親の情と受け止めているかもしれない。
(これでも努力してるんだけどねぇ…)
 一向に振り向かないイルカにヤキモキした。…いや、もう慣らされたと言った方が良いかもしれない。イルカには肩透かしを食らい続けていた。
 だが誰にもイルカを譲るつもりがない。オレは揺さぶりを掛けながら、イルカが堕ちて来るのを待っていた。オレの腕の中に、イルカを抱き留めたい。
 腹がいっぱいになると、イルカは先に店を出て行った。オレは慌てて金を払いながら、薄情な仕打ちに眉間に皺を寄せた。
 店を出て、歩いて行くイルカを追い掛けて尻に蹴りを入れる。
「アンタね、人に奢らせといて先に行くとは、どう言う了見よ」
「だって、寒いもん」
 きゅっと首を竦める可愛い仕草を見せられて、ころっと機嫌が直った。いつだって、オレがイルカを怒れた例がない。イルカになら、何をされても許せた。
 でも親代わりだから、一応注意をしておいた。決してエラソぶりたかったんじゃない。
「忍者がそんなに寒がりでどうするの」
「忍者だって寒いものは寒いんだよ」
「はぁー、情けない」
 オレが首を横に振ると、イルカがぷいっと顔を背けた。可愛い。また嫌がってる。
(それって、オレとはもう親子でいたく無いってことなの?)
 イルカに聞きたい。
 オレのことを、特別な感情でスキじゃないのかと。
 イルカがはぁ〜と自分の手に息を吹きかける。
「なぁに、そんなに寒いの?」
 温めるフリでイルカの手を掴んだ。
「冷たい!」
 すぐに振り払われてしまい、自分の手を見つめた。体温の上がらない手が忌々しい。
「なによ、もぉ。温めようと思ったのに…」
「俺の手より冷たいじゃないか!」
「そんなことなーいよ。繋いでたら温かくなるって」
「なるか!」
(なるよ)
 二人で居たら温かくなる。未来永劫、幸せでいられるだろう。
(イルカがオレの手を取りさえすれば)
「イルカ、ホラ」
 イルカに向かって手を差し出した。イルカが傍にいてくれるなら、オレは何をしてでもイルカを幸せにする。
 だけど、やっぱりお子ちゃまなイルカは、オレの気持ちに気付かない。
「嫌だよ」
「そんなこと言わずに」
 ぷいっとそっぽ向くイルカに、今はこちらの方が良いかとじゃれて、イルカのしていたマフラーの下に冷たい手を突っ込んだ。
「ぎゃーっ!」
 夜だと言うのに、イルカが大きな声を上げて可笑しくなる。イルカは嫌がったが、オレにはイルカの体温が移って温かかった。
 子供の頃とは違う体温。
 逃げようとするイルカを腕の中に閉じ込めて、ぎゅっと抱き締めた。
(イルカ、オレにスキって言って)
 この気持ちが届けと、抱き締める力を強くする。すると、イルカの手がおずおずと背中に回った。
 手の持って行き場がなかったのだろうか?
(それともオレに触れたかった?)
 どうか後者でいて欲しいと願う。オレと同じ気持ちでイルカにいて欲しい。
 澄んだ星空を見上げて願った。
 大人しくなったイルカから体を離して、顔を覗き込む。紅潮した頬と潤んだ瞳に、ドッと心臓が高鳴った。
「カカシ…」
「ウン?」
 何か言いたそうなイルカに首を傾げて見せた。
(言って、イルカ…)
 オレの事をスキだと。イルカがそう言ってくれれば、オレはすぐにでもイルカを恋人にした。
(言って…)
 だけどイルカは諦めるように瞼を伏せた。
(イルカ…)
 ああ、今日もまたダメだったかと落胆した。冷えたイルカの頬を指先で撫でた。
 愛しい、愛しい存在。
(オレはいつまでだって待てるよ)
 だからいつか言ってね、と心の中で囁いた。





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