「え…」
 イルカの表情が暗く沈んだ。また食べさせられると思って怯えている。
「でも俺…」
「いいの。オレが食べるの」
「…でもカカシさん、甘いのきらい……」
「いいから買って来て」
 くっついていた体をぐいっと離すとイルカ先生が泣きそうな顔をした。
「行って」
 肩を落としたイルカがしょぼしょぼ部屋を出て行く。
「……センパイ、何する気ですか?」
「黙って。口出さないで」
 戻ってきたイルカは箱に入ったチョコを持っていた。受け取って薄いセロファンを剥くと、匂いだけでもダメなのか、顔色を青くして数歩下がった。その手を取って強く引き寄せる。油断していたイルカはあっさりベッドの上に倒れ込んだ。
「あっ」
 驚いて開いた口にチョコを放り込む。うぐっと喉が鳴って吐き出そうとするのを、口を塞いで押さえた。
「うぅっ、んーっ、んーっ」
 苦しそうなイルカの瞳からぽろぽろ涙が零れ出す。拒絶に痩せた体が痙攣した。
(こんなに細くなって……)
 ぽろっと目から零れ落ちた水が頬を伝った。
「イルカ、食べて。でないとイルカが死んじゃう…」
 涙が堰を切ったように溢れ出す。自分でも抑えられなかった。ただ食べさせようと思っただけだ。このまま食べないと、イルカがオレのことを忘れさせられるから。だけど痩せたイルカはそのこと以上にオレに衝撃を与えた。いずれ死ぬんじゃないかと、不安で涙が止まらなくなる。
「……もう、オレのことを忘れてもいい。イルカ、食べて」
 大きく目を見開いたイルカがぐっと眉間にシワを寄せ、ぎゅうっと目を閉じて喉を動かした。こくんと嚥下するのに押さえつけていた手を緩めると、イルカが体を起こしてオレに抱きついた。
「……ごめんなさい!ごめんなさい!ちゃんと食べるから、捨てたらやだぁ…!」
 ヤダ、ヤダと繰り返していたイルカがうわーんと泣き出した。オレに捨てられると思って縋り泣いている。こんな時までバカだなぁと思う。謝らないといけないのはオレの方なのに。元はと言えば、オレがイルカに心配を掛けたのが発端だ。オレがケガさえしなければ良かったのだ。
「イルカ、約束する。もう二度とケガしない。意識を失って、イルカの顔が見られないようなことは無くすから」
 イルカの濡れた頬を拭って瞳を見つめた。これは誓いだ。だけどイルカはまだ不満なのか涙を溢れさせた。
「………って…」
「ん?」
「お…、俺、……てって…、俺…おれを…おい…ないで」
 ――俺を連れて行って、俺を置いていかないで。
「それはダメ。イルカには生きてて欲しいもん」
「うぅ…っ」
 即答するとボタボタと涙を溢れさせたイルカが哀しげに瞳を歪めた。言葉も発せないほど泣きじゃくる。その顔を見ながら、困ったなと思いつつも優越感みたいなのが溢れて来るのを抑えられなかった。云いようの無いほど嬉しい。
「…ねぇ、イルカ。これからは任務に行く時は、イルカの元へ帰ることを考えて戦うよ。オレはどんな時でも最後の最後まで戦いを諦めない。でも、それでもダメな時は、どうしてもダメな時は、イルカを連れて行っていいの?……イルカを、殺してもいいの?」
 僅かな殺気を見せると、怯むかと思ったイルカは強く見つめ返してきた。
「カカシさんが、危険な時は、俺を…呼んで、ください。俺を、遠ざけないで。一人で生き残るのは、嫌だ」
 喉を詰まらせて、しゃくり上げながらイルカは言った。瞳の奥に底の見えないような哀しみがある。
「……わかった。イルカはオレが連れて行く」
「……カカシさん」
 ぽろんと涙を落としたのを最後に、イルカの瞳がふわっと弧を描いた。初めて笑顔を浮かべたようにあどけない、安心しきった笑顔だった。笑う顔は良く見たけれど、こんな笑顔は初めてだ。
 いつの間にかイルカの震えは止んでいて、オレはベッドに散らばったチョコを拾い上げるとイルカの口元に運んだ。
「イルカ」
 オレを見上げたイルカが薄く口を開いた。その中にチョコを押しやると、閉じた唇がもぐと動いた。嘔吐かずに食べる様子に、何度も頬を撫でる。
「おいし?……ならオレにも食べさせて」
 僅かに顎を引いたイルカに強請ると、イルカが瞳を滲ませた。そんなにも心配させたのだなと思うと胸が痛むと同時に愛しさが込み上げる。
 チョコを拾い上げたイルカが、恐る恐るそれをオレの口元へ運んだ。口の中にそうっとチョコが押し込まれ、イルカが確かめるようにじっと口元を見ている。
 イルカの手によって食べさせられたチョコレートは、甘かったけど今まで食べた中で一番美味しかった。


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