恋色
「これも持って行きますか?」
「ああ、うん・・・」
チラリと向けられる視線は本当に見たのか怪しいものだが、了承とみて袋に詰めた。内心、気の無い返事にがっかりする。偶にしか合わない休みの日に、何時まで経っても服を取りに行かないカカシ先生を連れてカカシ先生の部屋を訪れたというのに。
久しぶりに訪れたカカシ先生の家は、相変わらず閑散としていて床に薄っすら埃が積もっていていた。ベッドと箪笥と机しかない部屋。俺の部屋に住むようになってから、自分の家に帰ってないとは聞いていたが。
窓を開けて寒いと愚痴るカカシ先生をベッドの上に追いやると、さっと床を掃いて綺麗にし、それから箪笥を開けた。
最初は二人で物色していたのだが、服の間から出てきた巻物を、何だろうと紐解いたのをきっかけに、カカシ先生の気はそっちに行ってしまった。
(別に、いいけど)
心持ち面白くない。
(なんだよ。せっかく一緒に・・・・・・)
ほんとはこれっぽっちも面白くない。カカシ先生がもっと早くに服を取りに行ってくれたら、違う休日の過ごし方が出来たのに。
(これじゃ、一人の休みの時と変わらないよ)
何時まで経っても巻物を見ているカカシ先生に、もう聞かなくてもいいかと、目の前の服をがしがし紙袋に詰めた。
次の抽斗も勝手に開けて何があるのか見てみる。何枚か上にあるのを捲っていると柔らかい生地が手に触れた。そっと引っ張り出してみる。
(あ、これ)
懐かしい服を見つけて、口元が綻んだ。広げて膝の上に置くと手のひらで撫ぜる。
水色のセーター。
俺はこのセーターがとても好きだった。
俺がこのセーターを始めて見たのは去年の冬の日のことだった。
その日、カカシ先生と初めて外で待ち合わせをした。珍しく重なった二人の休みに映画を見に行くことになったのだ。
この頃俺は、カカシ先生の告白を受けて付き合うようになったとは言え、今一歩踏み出せないでいた。二人の階級差や、同性だということ、他にもいろいろな事を負い目に感じて、このままカカシ先生の好意を受け入れていいのか迷っていた。こんな気持ちのまま付き合うのも心苦しく、何の覚悟も無く返事をしたことに後悔しはじめていた。だから当然公園に向かう足取りは重く、だが遅刻する訳にも行かないので早めに家を出た。
のろのろと公園の入り口をくぐり中を見渡せば、葉を落とし裸になった木々が寒そうに連なっている。春、夏の、森のように生い茂る公園を知っているだけに余計寒々しく見えた。空も晴れているものの薄く煙を刷いたような雲が覆い、自分の心情を表しているようで、一段と足取りが重くなった。それでもカカシ先生は?と視線を彷徨わせて、―――見つけた瞬間、時が止まった。
本に夢中なのかまだこちらには気付いていない。すぐに見つからないよう木々に隠れてまわり道しながら、カカシ先生に魅入った。私服姿のカカシ先生を見るのは初めてだった。淡い水色のセータを着ていて、その色は、色の白いカカシ先生にとてもよく似合っていた。枯れた木々の間にあるベンチに座り、口元に笑みを湛えて少し俯き加減に本を読むその姿は、いつもカカシ先生の雰囲気とは全然違っていた。普段の忍服姿のカカシ先生はどんなにぼーっとした風を装っていても、やはり隙がなく、どこか人を寄せ付けない雰囲気があった。そんなカカシ先生は俺にとってどんなに親しくされても、やはり上忍の人だった。
だけどその日、カカシ先生は、口布も額当てもなく、自然のままの銀色の髪は太陽を浴びて輝き、キラキラと光を反射していた。淡い水色がカカシ先生の周りだけ陽だまりみたいに温かそうに見せて、『そばに行きたい』、そんな思いがふと心に浮かんだ。でも、その色は今にも冬の空気に溶け込んで消えてしまいそうなほど、カカシ先生を儚げにも見せて。
―――捕まえないと。
そう思った瞬間、頭の中で何かが弾けた。そばに、すぐそばに行きたくなった。カサカサと足元が乾いた落ち葉を踏んで音を立ててるにも拘わらず、離れてる距離をもどかしくて走った。音を立てる自分を『みっともない』と僅かな理性が警告するがすぐに霧散した。押さえ切れなかった。同性だとか、階級だとかそんなことはどうでもいい。ただ、そばに行きたかった。本当はもうずっと前から好きだった。どうしようもなくカカシ先生に恋をしていた。叶わないと思っていたから告白されたときは涙が出そうなほど嬉しかった。でも、一緒にいる時間が増えれば増えるほど、カカシ先生にはつり合わないことを自覚して、一緒にいるのが苦しくて悲しかった。
俺を見つけたカカシ先生が片手を上げて立ち上がり微笑むのに、体当たりしそうな勢いで胸元を掴むと、「好きです。カカシ先生が好きです」とバカみたいに繰り返した。言ってるうちに涙が出てきて鼻も詰って困った。凄くみっともない顔になってると思ったが止まらなかった。呆気に取られたようなカカシ先生の視線が痛くて俯いた。俯くと余計にだらだら涙が零れて、ハンカチを探してポケットを漁っていたら、―――舐められた。
そんな事されたのは初めてだったので、びっくりしてカカシ先生を見上げたら、切なげに眉を寄せている。
「はじめて」
「え?」
「はじめてイルカ先生の気持ち聞けた」
「そんな事、・・・っ、・・・ないです」
だってずっと好きだったのに。
そう言えばもう片方の頬も舐められた。
「ふふ、しょっぱい」
「そんなの、当たり前でしょう」
泣いた事や舐められてることが恥ずかしくなってきてぶっきら棒に言えば、カカシ先生の手が頬に添えられた。
(あ、キスされる)
思ったときには重なっていた。キスはしょっぱく涙の味がしたが滑り込んできたカカシ先生の舌はとても甘く、繰り返し角度を変えて口付けていると止められなくなって、気が付けば、映画を見に行く筈がカカシ先生の家にいた。
その日、俺はカカシ先生の全てを受け入れ、俺の全てを差し出した。
(今、思えばあの時の衝動はなんだったんだろう)
思い出すだけで照れてしまう。でもあの衝動があったから今がある。カカシ先生と過ごした日々が。あの時俺は別にカカシ先生の外見に惹かれたんじゃない。だた、予感がした。この人のそばにいたら俺は寒くならない。そんな予感が。
(またこのセーターを着たカカシ先生が見たいな)
そんな事を思いながら柔らかい毛並みを撫ぜていると、
「―――・・ンセ?イルカセンセ!」
はっとすると同時に背中に圧し掛かれ、ぐっと喉が鳴った。いつの間にか巻物を読み終えたカカシ先生が肩越しに手元を覗き込んでいる。
「なーに考えてるの?」
「いえ・・・・なんにも・・・」
なんとなく思い出していた事が恥ずかしくなって誤魔化した。そう?と言ったカカシ先生は拗ねてるみたいだった。
(俺のことほったらかしたくせに)
ちょっと可笑しかったが子供みたいでかわいい。
「終わりました?」
「まだ、です」
肩から伸ばされた長く白い指がセーターに触れる。
「・・・・これ好きなの?」
不思議そうに聞かれた瞬間、何故かぶわっと顔が火照った。うろたえて止せばいいのに赤くなってるであろう顔を擦ってしまい、ますますカカシ先生は不思議に覗き込んだ。
「イルカセンセ?」
「何でも・・・・ないです」
ドキドキしてきて広げたセーターを手早くたたむと紙袋に詰めようとすると、その手をカカシ先生に止められる。
「これ、気に入ったんならイルカ先生にあげるよ」
「えっ」
そう言われた瞬間、激しく落胆した。オレが貰ってしまってはカカシ先生が着ているところを見ることがないかもしれない。それは嫌だった。
「いいです」
「あれ?イルカ先生この色好きじゃない?」
「俺は別に・・・・」
好きだけと俺が着たいわけじゃない。
「そう?選んでくれたトレーナーもこんな色だったからオレてっきり・・・。じゃ、コレは置いていこ」
ぽいっと箪笥の中に投げてしまった。
「えっ!」
「えって・・・なに?」
「・・・別に」
酷くがっかりした。膝の上で拳を握り締め、襲ってきた訳の分からない痛みに耐える。
「別にって・・・何か怒ってる?」
「別に。怒ってません」
カカシ先生が困ってるのを感じた。ほんとに怒ってる訳じゃない。でもがっかりしすぎて自分の機嫌がどんどん下がっていくのを抑えることが出来なかった。
(これじゃあ欲しい物が手に入らなくて拗ねてる駄々っ子みたいだ)
分かっていても押さえられない。
「ねぇ、ちゃんと言ってよ」
甘えるようにカカシ先生が背中に体重を掛けてきた。言えば聞いてくれるだろう。でも―――。
(なんで分かってくれない)
そんな身勝手な思いが募る。
「どうして欲しいの?」
(どうして欲しいかって?そんなの・・・)
今、この瞬間、頭の中に浮んだのは。
「―――・・・して」
「え?」
「キスしてください」
カカシ先生が息を飲むのが分かった。
(なに言ってんだ、俺っ)
はっと我に返り、自分の発した言葉の内容にどっと羞恥心が沸きあがる。が、それも一瞬の事で、頤に触れた手に顔を上げさせられるとそのまま噛み付くようにカカシ先生に口付けられた。呼吸すらも許さない口付けに身を引こうとすればそれを許さず、角度を変えて何度も口付けられた。カカシ先生の手が頬を撫ぜ、髪を撫ぜ、耳朶を撫ぜた。触れられたところからジンジンと熱が上がる。気が付けば床に押し倒され、それでもキスは止まず、次第にカカシ先生の唇は唇から外れ、頬を噛み、首筋を噛んだ。それから丸いセーターの襟元を押し下げるようにして鎖骨を噛んだ。更に下がろうとするが、それには限界があって、焦れたカカシ先生が裾に手を掛けると一気に脱がされた。冷えた空気に鳥肌が立つと同時にカカシ先生が覆い被さってきた。始まりを感じてカカシ先生の性急さに怯えそうになるが、でもそれ位が丁度良かった。手が煽るように内腿を擦るがそんな必要なかった。体の中の熱が一気に駆け上がる。カカシ先生が欲しかった。そして同じように求めて欲しかった。
(もっと。もっと感じたい)
服を着たままのカカシ先生の体温を直接感じる事が出来ないのがもどかしく、背中に手を回して引っ張り上げるようにして上着を脱がせた。直に合わさったカカシ先生の肌は熱く、その重みが心地よくて―――眦を閉じた。
***
目が醒めれば、日の傾いた薄明るい部屋の中、ベッドにひとり寝かされていた。
―――あ・・・おれ・・・・・・?
音にしたつもりの声がただ空気を振るわせる。酷く喉が痛んで熱を持ていた。
部屋の中には誰の気配もなく、斜に入り込んだ光がゆるりと舞う塵を浮かび上がらせて、カカシ先生が去ってから随分時が経っているのを知らしめた。
(あんまりだ。何も言わず置いていくなんて)
激しかったような気がする。始まってからの記憶が曖昧でよく覚えていない。でも、体に―――細胞の一つ一つ、そのすべてをカカシ先生に満たされたような感覚が残っている。
急な任務は入ったのかもしれない。そういう事もある。頭では解っているが、いつもは耐えれる事が耐えられない。
カカシ先生がいない。そのことが体を引き裂くような痛みを感じさせる。
口角が下がっていくのを押さえきれず、痛む体をずらして更に上まで布団を被った、その時、外に気配を感じた。ほんの僅かな気配を自分の体が惹き合うように感知する。
カカシ先生が足早に近づくと玄関を開ける。
「イルカ先生、起きちゃいました?」
暢気な声に、勝手に落ち込んでいたことが恥ずかしくなって、目深に布団を被って隠れようかとした時、部屋の中に入ってきたカカシ先生に目を奪われた。水色のセーターを着ている。
(うわぁ・・・)
嬉しくて嬉しくて何とも言えない気持ちが心の奥から湧いてくる。
「一人にしてごめんね。目が醒めたときお腹空いてるかと思って。肉まん買って来ました」
ほら、と手にしたビニール袋を捧げた。
「イルカセンセ?」
布団から眦だけを出して何も言えないでいると、袋を机に置くと慌てたように近づいてきた。
「どっか痛い?気分悪い?」
おろおろと聞くカカシ先生が可笑しくて声も無く笑うとほっとした表情になった。その表情がとても優しい。
「あの、触ってイイ?」
(いつも勝手に触るくせに)
わざわざ聞いてくるのを不思議に思いつつも頷けば、ゆっくりと伸ばされた指先が頬に触れてきた瞬間、
「・・・っ、ん!」
「あ!ごめん!」
慌ててカカシ先生が指を引いた。
(なにこれ!?なにこれ!?なにこれ!?)
むき出しの神経を触られたような刺激が全身に駆け抜けた。じわっと瞳が勝手に潤んでくる。
(どうしちゃったんだ?俺)
「あ〜、まだ早かったか」
カカシ先生がひどく嬉しそうに呟いて一人で納得している。
(早いって、何が?まさか・・・)
薬とか術とかを懸念して、じとっと睨んでいると、視線に気付いたカカシ先生が慌てたように手を振った。
「オレ何にもしてないよ」
「・・・・・(疑わしい)」
「いや、ほんとに。イルカ先生カンジ過ぎちゃって神経が過敏になってるだけ―――・・・・」
ぼんっと頭が破裂するかと思った。そのぐらいの勢いで顔に血が集まる。あまりの恥ずかしさに顔を隠せば、ポンポンとカカシ先生がベッドを叩いた。
「イルカセンセ、顔見せてよ」
「(やだ)・・・・・・・」
「恥ずかしいことじゃなーいよ。カンジ過ぎたのはオレもいーっしょ」
「・・・・・・・」
「ねぇ、今、オレ、アナタに触れられないんだから。おねがい」
困ったように懇願されて、しぶしぶ眦だけ出した。そこにすごく優しく、甘く笑うカカシ先生がいた。その表情にしばし見惚れる。
いつものように伸ばされた手が宙を彷徨って、戸惑ったようにシーツの上に下ろされた。
「イルカセンセ。大好き」
真っ直ぐ見つめて告げられて、聞きなれたはずの言葉が心臓を突き刺した。
いつもは照れてあまり言えなかった言葉が体の中から溢れ出す。
―――俺も。俺もカカシ先生が好き。
そう言いたいのに。何度も繰り返すが唇からは空気が漏れるばかりで、伝えられない事がもどかしい。
「あ〜、もう、イルカ先生には敵わないな〜」
「・・・?」
カカシ先生が頬を赤くしてバリバリと頭を掻くと立ち上がり、「喉、痛いデショ?水持ってきます」とこちらに背を向けてビニール袋を探っている。
その後ろ姿をじっと眺めた。
(やっぱり水色はカカシ先生に似合ってる)
思うと同時に胸がきゅっと痛くなった。
(この痛みは―――恋)
周りが見えなくなって押さえ切れない衝動に突き動かされる。
これから先もカカシ先生があの水色のセーターを着るたびに胸が痛くなるのだろう。
そうやって素直にカカシ先生に恋出来ることが嬉しい。
水色は俺にとって恋の色。カカシ先生に恋した色。