はじめまして



 大木の幹に寄りかかって昼寝をしていると、子供達の笑い声が聞こえてきた。薄目を開けて木の足下を見れば、重なり合った木の葉の隙間から、子供が一人、二人と走って行くのが見えた。遅れて、子供達に囲まれた若い男がやって来た。
 中忍以上に支給される忍服に身を包み、笑顔を浮かべていた。通り過ぎていく光景に目を閉じると、やがて静かになった。
 それから、ふとした瞬間に彼の顔が思い浮かぶようになった。それは疲れている時だったり、寝ようとしている時だったり。思い出す瞬間に決まりは無かった。あの時見た笑顔がふっと浮かんでは消えていく。
 もう忘れただろうと思った頃、夢に彼が出てきた。何をするでもない。ただ隣で彼が笑っていた。季節は春なのか空気が暖かかった。そよそよと風の吹く丘の上で、木の幹に凭れて並んで座っていた。彼は何か話していたが声は届かなかった。
 目が覚めた時、夢の余韻で胸が温かかった。しばらく感じた事のない、人らしい温かさだった。


 彼に会いに行こうと思った。理由が知りたかった。何故あんな夢を見たのか。隣に居たのが何故彼なのか。
 会うと云っても、こちらは人前に出られる身では無かったから、あの日のように、こっそりと見るつもりで、誰とも知らない彼を探しに行った。顔に特徴的な傷があったから、すぐに分かると思った。それに子供達に囲まれていた。
 まずはアカデミーを見に行った。使われていない校庭に、教室の窓を一つ一つ覗いていくと、彼が居た。見やすいように近くの木に移って確かめる。
 間違い無い。彼だった。鼻筋を横切る大きな傷。
 だけど表情が違った。厳しい顔で黒板になにやら書き込んでいる。果たしてオレが見たのは彼だっただろうか?
 木の幹にどっかり胡座を掻いて見ていると、チャイムが鳴った。子供達が笑顔で立ち上がり、教室を飛び出していく。彼はどうだろうと見てみると、――そこで時間が止まった気がした。彼が笑っていた。男相手にこの表現は変かもしれないが、まるでひまわりの花が咲いたような笑顔だった。胸がおかしなカンジにきゅんとなって、笑う彼を可愛いと思った。

 男なのに、可愛い。

 心臓がどきどきした。自分に起こった変化に戸惑って、オレはアカデミーから立ち去った。だけど動悸は容易には収まらず、その日からオレの胸は変になった。何か小さな生き物が住み着いたみたいに、ほこっと温かい。でも温かいだけじゃなくて、時々きゅうと捻るような痛みももたらしたから、そんな時は彼を見に行った。
 「イルカ先生」と呼ばれていた。名前を知って、口の中でイルカと繰り返す。

(イルカ、イルカ先生、イルカ……)

 オレもイルカ先生と呼ぼうと決めた。
 そしたら、オレにもあんな風に笑ってくれるだろうか?
 いつかただの忍びになったら、イルカ先生に会いに行こう。それとなく食事に誘って同じ時を過ごそう。もし、彼に触れることが出来るなら、大事に大事にしよう。真綿で包むように、そっと彼を愛そう。すべてから彼を守り、決して傷付けたりしない。





 きっと、そんな日は来ないのだろうけど……。





* * * 





 夜の森を歩いてた。
 ヤなトコ刺すなぁと思った。脇腹刺さったクナイから、血が流れて止まらなかった。即死には至らないが致命傷。ここに医療班が居てくれればなんとかなるが、そんな有り難い状況ではなかった。
 油断したつもりは無いから相手が強かったのだろう。先に事切れた敵忍から巻物を奪って里に向かった。
 もう飛べなかったから地面を歩いた。血が流れ尽きるのとオレが里に着くのではどちらが先だろう。頭の中ではイルカ先生を思い浮かべていた。にこっと笑う顔を思い出すと、力が湧いてくる気がした。

(イルカ先生、イルカ先生……)

 一歩足を踏み出す毎に思った。

(どうしてこんなにスキになってしまったのだろう?)

 ハッとした。
 そうだ、この感情は『スキ』だ。
 今ようやく気が付いて、目の前が拓ける気がした。オレはあの時、――木の葉の隙間からイルカ先生を見た時から、彼をスキになっていた。これが一目惚れってやつだろうか?
 そう思うと可笑しくなって肩が揺れた。まさかオレがそんな風に人をスキになるなんて。オレの人生は忍びとして嘘とはったりで塗り固められていた。だけど、そんなものが届かないところで、オレは恋をした。
 悪くない。彼の思い出は胸を温める。この想い一つでオレは人間らしくなった。
 やがて、あうんの門が見えて来たが、助かったと云う思いは湧いてこなかった。



(あの森へ行こう……)


 彼を初めて見た森へ。あの木の下で少し休もう。
 いつか見た夢を思い起こした。隣に笑う彼が居て幸せだった。それだけで世界が満たされていた。

 一歩足を門の内側へ踏み入れると膝が崩れた。

(アレ…、嘘デショ……)

 だってまだ辿り着いてない。休むには早すぎた。震える膝に力を入れる。

「大丈夫ですか!」

 その時聞こえた声に耳を疑った。

(どうしてこんなところに居るの?)

 想い続けたイルカ先生が門番の詰め所から駆け寄ってくる。脇に刺さったクナイを検分すると、脇の下に肩が入り、体を背負われた。

「すぐに病院へ運びますから」

 都合の良い夢を見ているのかと思った。遠くで見ていた彼が目の前にいる。背中の温かさが伝わってきた。顔を伏せると首筋から彼の匂いがした。お日様みたいな良い匂いだった。

(ねぇ、知ってる?オレ、アンタのことスキなんだよ。スキでスキで堪らないんだよ……)



 目が覚めたら、暗部専用の病棟にいた。がっかりした。きっと彼はオレの顔を知らなければ、誰とも知らないだろう。見舞いに来てくれることもない。
 ……でも、それで良かった。彼には彼の人生がある。彼は光の中が似合う。
 だが数ヶ月後、オレの覚悟を裏切る幸運が舞い降りた。上忍師の任務だった。
 これって青天の霹靂ってやつ?


 下忍選抜試験を終えてアカデミーへ向かうと、彼が見えて来た。飛び付くナルトを受け止めて、こっちに顔を向けた。

(ねぇ、知らないだろうけど、オレはアンタに命を救われたんだよ。だからオレの命をあげるネ。オレのすべてをアンタにあげる)


「はじめまして、はたけ上忍」

 イルカ先生が緊張した面持ちで握手の手を差し出した。


「はじめまして、イルカ先生」



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