なにしてるの?
(やっと帰って来た)
イルカ先生の気配がして、驚かしてやろうと部屋の電気と気配を消すと玄関に佇んだ。
カンカンと鉄を踏む音にわくわくして笑いが込み上げる。最近のイルカ先生は忙しくてかまってくれないのでこのぐらいしないとモノ足りないのだ。
今日も大晦日だというのに、アカデミーの先生方と忘年会だと出かけてしまった。「何もそんな日にしなくてもいいじゃないか」と不平を言えば「毎年恒例なんです」と返ってきた。本来ならそのまま初詣に行ってしまうというから帰ってくるだけでもヨシとするしかない。
テクテクと足音が響き玄関前で止まる。今か今かと玄関が空くのを待って襲いかかる準備をする。が、いつまで経ってもドアが開かない。気付かれて警戒でもされてるのかと思えばそうでもない。ドア越しにぶつぶつ言うのとあれーと言うのが聞こえてくる。その声も正面より下の方から聞こえるようになって。
「なにしてるの?」
いい加減痺れを切らして、玄関を開けてギョッとする。
額当てを廊下に落とし髪はぼさぼさ、ベストのジッパーは下りて脱げ掛かっている。ズボンのポケットの裏地が見え、脚絆は解けて真っ赤な顔で座り込んでいる。
(なんでこんなに飲んでるのよ・・・)
イルカ先生の腕に触れると、それまで俯いていた顔を上げて、ぺかーと笑った。それはもう大層可愛らしく。会えて嬉しいと言わんばかりに。
「あー、カカシせんせーだぁ」
「は?えっ?」
酔って舌足らずな口調で瞳を潤ませて、よかったぁと足もとに擦り寄る。
「カギ見つからなくって」
えへっと笑って四つん這いのまま俺の脇をすり抜けると中に入っていった。
(・・・おいおい。一体どれだけ飲んだんだ?)
サンダルと履いたまま上がろうとするのに踵を掴んで脱がせる。ドアを閉めようと振り向けば、廊下には額当てはおろかハンカチやらボールペンやらカバンが散乱している。それらを拾い集め、念のため階段まで見て部屋に戻れば、居間の影が上下に揺れている。何かと思えば、暗闇の中、布団から漏れるコタツの明かりがついたり消えたり、またついたり。酔っ払いの行動はよく判らない。オレ自身酒は強いから飲まれたりしない。
(イルカ先生もそんなに弱くなかったはずなのに)
今年最後ということで、ハメを外したのか。
「・・・なにしてーるの?」
コタツの温度コントローラーをクリクリ回すイルカ先生に尋ねれば無視される。
(この酔っ払いめ)
「そんなにしたら壊れますよ」
コントローラーを取り上げようとするとぺちっと手を払われ、
「やめてください!」
真剣に怒られた。
「・・・これくらいなんです」
一人で納得していつもより低い温度にコタツを設定すると、布団を肩まで引き上げる。
「え・・・イルカ先生寝ちゃうの?」
(約束は?蕎麦作ってくれるって言ったのに)
抗議しようにも心地よさそうな寝息が聞こえてくる。
『一緒にお蕎麦食べながら年、越しましょうね』
朝の言葉はなんだったのか。
ふてくされながら起きるのを待った。
(あと、40分で新年だ。)
すっかり寝入ってしまったイルカ先生に肌蹴てしまった布団を掛けなおすと立ち上がる。
(そば、買って来よう。)
(お湯を入れるやつ。)
(出来たらイルカ先生を起こそう。)
玄関を開ければ息が白く煙り、頬を刺すような夜の空気が全身を覆う。
「うゎ、さっぶー」
雪が降っている。うっすらと屋根の上に積もり白く里を覆う。
速攻で帰ってこようと心に決めて屋根に飛んだ。
「なんで?」
玄関にガサッと音を立ててコンビニの袋が手から落ちた。
イルカ先生が居ない。気配が無い。サンダルもない。
「どこいったんだ!?」
新年まであと30分だというのに!
慌てて外を見れば屋根の上に点々と。恐らくイルカ先生の足跡が。
「なにやってんだよ!」
すごく腹立たしい。
大晦日にほったらかされて、挙句の果てに消えるなんて。
休みをもぎ取ったオレは何なんだ!
(こうなったら意地でも一緒に蕎麦食ってやる。)
連れ戻すために追いかけた。
されど、中忍。
途中で足跡が消えている。任務じゃないんだから足跡ぐらい残しておけと悪態でも付きたくなるが―――。
(こっちの方角って・・・)
まさかと思って来てみれば、居た。玄関の前でしゃがみこんで地面に何か書いている。
(・・・そんな顔して)
怒れないじゃないか。
「なーにしてるの?」
日が暮れてから何度も口にした言葉を投げかければ、ぱっと顔を上げて、
「迎えにきましたっ!もうすぐ新しい年になるからカカシ先生を迎えに来ました!」
ぺかーっと笑った。
「迎えにきたのはオレだ」とか「飲みすぎなんだよ」とか、今だ酒臭いイルカ先生に言ってやりたいことはいっぱいあるけど。
真っ赤なくせに冷たいほっぺとか青ざめて震える唇を見ていたら急に胸の中に綿菓子でも詰め込まれたみたいになって、「帰りますよ」とイルカ先生の腕を引っ張り上げた。
(イルカ先生には甘くしちゃうんだよねぇ。)
掴んだ腕は冷たくアンダーの上には何も羽織っていない。
「こんな格好で外に出て」
目が醒めてオレが居なくて慌てて飛び出したのかと思えば可笑しくて、――愛しい。
「ちょっと待ってて」
家の鍵を開け、酔いが足にきて上手く立てないイルカ先生を玄関に座らせると部屋の中に入った。
確かこの辺と押入れを漁れば、
「なんで俺は入っちゃいかんのですかっ」
玄関先でイルカ先生が喚きたてる。
(・・・ったくもう)
普段は理性的なくせに酔うととんでもなく箍が外れる。でも行動が素直になるからこんなイルカ先生も嫌いじゃない。
「こら、騒がなーいの」
「だって・・・うっぷ」
大きく開けた口を塞ぐようにマフラーを巻きつけ外套を着せた。
「ほら、帰りますよ」
片腕を掴んで背負い投げの要領でおんぶすると大人しくしがみ付いてきた。
「カカシ先生、寒くないですか?」
屋根の上を駆けていると静かになって眠っているのかと思っていたイルカ先生が聞いてくる。「大丈夫ですよ」と応えれば、しばらくしてまた同じ事を聞いてくる。
「んー、ちょっと寒いです」
今度はそう応えてみれば、イルカ先生が前に回していた腕を離した。
「あぶない!」
イルカ先生を振り落としそうになって急ブレーキをかけて屋根の上に止まる。家の中から騒がしくテレビの音が流れてくる。
「イルカ先生!しっかり捕まっててくれないと―――っ」
ふわっと首筋にイルカ先生の体温に温められたマフラーが巻かれる。
それを自分の首にも巻きなおして、しゅんと肩に顔を埋めた。
少しは酔いが醒めたのか。
マフラーの温かさに胸の中の綿菓子が溶けていく。
「カカシ先生、ごめ―――」
「しー。イルカ先生静かにしてみて」
振り向いて笑って見せれば不思議そうに口を閉じた。
耳を澄ませば聞こえてくる。イルカ先生にも伝わったようだ。
ほんの10秒の事なのにとても神聖な気持ちになる。いつもは知らない間に過ぎてくのに。
――イルカ先生と一緒だから。
「足、ぎゅっとして?」
「えっ?」
片手を離せば、慌てて足に力を入れた。
冷たくなった髪に指を絡めて引き寄せる。
「今年もよろしくね」
おれも、と言いかけた唇を塞いで深く合わせた。
『おめでとう』とテレビが家の中の家族が交わしているのが聞こえる。
(今年も一緒にいれますように。ずっと傍に。もっと近くに――)
口付けに願いを込める。
イルカ先生の唇は氷のように冷たいのに口内は燃えるように熱い。
夢中になって舌を絡めているとイルカ先生の足が緩んだ。マフラーの端を引っ張って輪を小さくすると足を抱えなおした。そうしていつまでも口付けているとイルカ先生がもぞっと身を捩った。
「カカシセンセ、・・ッ、もう降ろしてください・・・」
「やぁーだ」
真っ赤な顔して離れようとするのに意地悪く足を掴んで引き寄せると小さく悲鳴を上げた。
(コッチも素直で――)
「自分で、歩きます」
「だーめ。マフラーこんなになってるのに、歩きにくいデショ?」
「でもっ、・・・っ・・・くっ・・・」
屋根を蹴るたびにイルカ先生が耳元で小さくかみ殺した声を上げる。マフラーの中に零れる息がひどく熱い。
「カカシ、せんせぇ・・・」
予想していた年越しとは違ったけれど、甘く掠れた声を嬉しく思う。
***
「俺、もう酒は飲みません!」
今年の抱負はこれだと男らしく宣言したのは照れ隠しのようだ。
ベッドに腰掛け、部屋の窓から朝日を拝む。
ずるずる啜っている蕎麦はイルカ先生が作ってくれた。インスタントじゃなくてちゃんとしたやつ。
「蕎麦なんで5分もあれば作れるんですから」
暗に出かけたオレが悪いと言いたいらしい。
さっきまでの痴態はオレのせいだと。
(――そういう事言いますか。これだからしらふの時は。)
「イルカセンセ、腹も膨れたことだし。もう一回挑みましょうか」
お伺いではなく決定。
「嫌ですよ。正月なのにそんなことばっかり」
「正月だからこそデショ」
「これからちょっと寝て起きたら初詣に・・・っ、ぶはっ」
むき出しのままのソコを掴んでやった。
(昨日さんざんほっとかれたのに誰が外に出すもんか)
「きったないなぁ、いい大人なんだから零さないでくださいよ」
口から溢れて胸や腹に散った蕎麦を舌を出して舐め取る。
「やめんかっ、このっ・・・」
ちゃぷちゃぷと汁の揺れる椀を奪い取って床に置くと、醤油味の舌を絡め取った。
「今日は何度でも振るえると思います」
簡単に宣言して、引き攣った顔をしたイルカ先生をベッドに沈めた。
(こればかりは自分で叶えるもんね)
まずは今日から。