魔法の力









理不尽だ。

そんなことは前から気付いていたし受付に座るのも長いので、ちょっとやそっとのことではへこたれない精神力を磨いてきたはずだが、塵も積もれば山となる。
日々気にしないようにしてきた鬱積も、ある日ぶわっと要領を超えて溢れそうになる。
何がきっかけでそうなるのか、いつもは笑って済ませられることが笑えなくなる。
苦しい。
そんな時は受付に座りたくないのだが、仕事だからそうも言ってられない。
穏やかに一日が過ぎてくれることを願って受付に座るがそんな日に限って絡まれる。
来る人来る人に文句を言われて大いにへこむ。
やれ報酬の割りに仕事がきついだとか。
やれこんな任務だと思ってなかっただとか。
やれ依頼人の性格がどうだったとか。

そんなこと知るか、それも含めて任務だろうが。

言ってやりたいが言わない。
挙句の果てには受付は楽でいいなだとか。
言いたいことは一言も言わず、ただ笑って受け流す。

今の状況のどこがあんたの受けてきた嫌な依頼人の任務と違うんだ?
仕事の内容は違えど、精神的な不愉快さは同じじゃないか。

だけどそんな風に思う自分が嫌いだ。
人には親切でいたい。
優しくありたい。

「大変だったんですね。お疲れ様でした」

自分の言った言葉のあまりの嘘臭さに嫌気がさす。
気持ちは抑えきれないほど腹立たしいくせに。
自分の望むような人間にはなれない。
それでも感情を抑えて笑みを浮かべて見せれば、蔑みの眼差しを向けられ傷つく。
自分が価値のない人間に思えて悲しくなる。



こんな時は同じ仕事をする気心の知れた同僚とぱーっと飲みに行くのがいい。
この仕事のしんどいところを知ってるから話を聞いて貰うと楽になる。
前まではそうしていたが、最近はしていない。
今はカカシさんがいるから。
カカシさんがいるのに悩みを他の人に相談するのはおかしい気がするから、行かない。
でもカカシさんには言わない。
カカシさんはこんな想いすることないだろうから、きっと話しても分かって貰えない。
それにどこか俺のことをいい人だと思ってる節がある。
カカシさんには言えない。
愚痴って幻滅されるのは嫌だ。

結局どこにも不満を吐き出すことが出来ず、鬱々と気持ちが沈む。
ぐずぐずと心が曇って家に帰りたくなくなる。
カカシさんに会いたくない。
会ってカカシさんの元気な顔を見たくない。

だって俺は今、こんなにも辛いんだ!!

心の中で怒鳴ると感情が高ぶってわっと涙が溢れそうになった。
息を殺して耐える。
そんな風に自分を哀れむ自分が大嫌いだ。


家に帰り着くと案の定部屋の中から明かりが漏れていて息苦しくなる。
カカシさんがいる。
ドアを開けるのを躊躇していると中から開いた。

「おかえり、どうしたの?」
「いえ、鍵がどっかにいっちゃって・・」
「そう。遅かったね、疲れたでしょう。ご飯出来てるよ」
「あ、はい。ありがとうございます」

労いの言葉に少し、強張っていた心が解けた。
背中を押されて玄関を潜るとカバンを取られる。

「お風呂も沸いてるからそっちが先でもいいけど・・、どっちがいい?」
「じゃ、お風呂・・」
「うん、わかった。タオルと着替え用意するからそのまま行っていーよ」

ゆっくりお湯に浸かって気持ちを和らげる時間が欲しかった。
今のままカカシさんと対峙して八つ当たりしたくない。
ふらっと脱衣所に入り服を脱ぐ。
湯船に直行してざぶんと潜った。
水圧が体を包む。
ぷくぷくと唇から出た小さな泡が水面へと上っていく。
そうして胸の中の空気をすべて吐き出す。
それは心を空っぽにする儀式みたいなものだった。

――嫌なものは全部吐き出た。

そう思い込むための儀式。
実際、そんなことをしても何も変わらないのだが、なんとなく気持ち的には楽になった気がする。
それもまた思い込みかもしれないが。
そろっと顔を水面に出して息を吸う。
ゆったり手足を伸ばして湯船に沈む。
それでやっと気付いたが、丁度いい湯加減だった。
熱くもなく温くもない。
きっとカカシさんが調節してくれた。
帰る時間がはっきりしていなかったから何度も確かめてくれただろう。
手を入れて温度を確かめるカカシさんを思い浮かべた。
そうすると不思議と気持ちが楽になった。


カカシさんの用意してくれたパジャマに着替えて居間に行く。
卓袱台の上にはおかずとご飯が並んでいて、ビールまである。
至れり尽くせりだ。
嬉しかったが帰って来たときの不機嫌な態度を思い出すと素直になれない。
それにまだ完全に気持ちが回復したわけでもなかったので、むすっとビールを飲んでいたら、台所にいたカカシさんが玉子焼きを持ってきた。
俺の好物だ。
甘くておいしいやつ。

「駄目じゃない、イルカ先生。髪がぼたぼただよ」

玉子焼きを目の前に置くとカカシさんが背中に回る。

「んん、いいです。あとで自分でしますから・・」
「食べる邪魔しないから。やらせて」

髪に触れようとするカカシさんを押し返したが、ね?と首を傾げる。
それが強引な感じではなくちょっと宥める感じだったので恥ずかしくなる。
俯いて前を向くとカカシさんが髪を浮かせて毛先を拭き始めた。
髪はひっぱられることなく頭も揺れない。
優しい遣り様だった。

ビールをちびちび飲みながら玉子焼きを口に入れる。

「おいしい?」

穏やかに聞かれて素直に頷いた。

おいしい。

口の中に広がる甘さにほっとする。
カカシさんの優しさにほっとする。

「あ、爪が伸びてきてるね」
「・・最近、忙しかったから…」
「うん、後で切ろーね」

もう自分でとは言わなかった。
大きく頷くとそっと頭を撫ぜられた。



食後、カカシさんに抱きかかえるようにされながら手の爪どころか足の爪まで切って貰った。
一本一本、指を大切に摘まんで爪を切りそろえてくれるカカシさんにごろごろ甘える。
そうしているうちに不思議と鬱々していたことを忘れていた。
だってカカシさんが俺のことを大事に扱ってくれる。
カカシさんが大事って思ってくれたら、それだけで俺は満たされる。
カカシさんにとって俺は必要な人間だから、きっと価値もある。
受付で絡んできた上忍のことなんて。

どうでもいい。

そんなことよりも今は耳掃除の方が気になる。
カカシさんの膝に頭を置いてこすこすと耳の奥を擽られる。
きもちいい。
反対の耳も同じようにしてくれるだろうか。
きっとしてくれるだろうけど、もし「おしまい」って言われたらなんて強請ろう・・?

「あっ、くすぐったい・・っ」
「がまんして」

カカシさんの服を握ってぎゅっと膝に顔を押し付けくすぐったさに耐えていると梵天が耳の中をくるっと回った。

「んんっ」

首を竦めると梵天は抜かれて、カカシさんがふーっと耳の中に息を吹きかけてくる。
そんなにしたら、やばい。
びびっと背中に快楽の波が走って、ぎゅっと眼をつむって耐えていると落ち着くまでカカシさんが髪を撫ぜてくれた。
波が引くと体から力が抜けていく。
そうっとカカシさんを窺がった。

カカシさん言ってくれるかな?反対側もって。

下から見上げるとカカシさんがにこっと笑って、髪を撫ぜていた手を止めた。

「さあ、イルカ先生――」



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