こっちを向いて
長期任務を終えた翌日、一日休みだった筈なのに急な任務で呼び出された。
何故かオレのガキの頃の記憶を持つ他里のくのいちから、情報を引き出す任務だった。
新たな情報は引き出せなかったが、女の能力は分かった気がする。
女を情報部へ戻し、明日報告書を提出することにして家に戻った。
(…ったく。やれやれだ)
イルカ先生のアパートが見えて来てホッとした。やっと、ゆっくり出来る。
鉄製の階段を上り、一番奥のドアへ向かった。足から力が抜け始める。
「ただーいまぁ」
玄関を開けてサンダルと脱ぎ、三和土へ一歩足を踏み出した時、カッ! と音がした。
(ん?)
ビィーンと足の親指と人差し指の間に震えを感じて視線を落とした。
「おわっ!」
指の間に包丁が刺さっていた。あと数ミリこちら側に飛んでいたら、指の股が切れていた。
恐る恐る顔を上げれば、仁王立ちしたイルカ先生が立っていた。
「どちら様でしょうか? 勝手に人の部屋に入ってこないで下さい」
「イ、イルカセンセ? 何言ってるの? カカシでーすよ」
言いながら、あーぁと思っていた。イルカ先生の耳に入ったのだ。昼間の事が。任務中にアクシデントがあった。空からナルト達が降ってきて、ぶつかった拍子に女と唇がくっついたのだ。
「カカシ? ああ、そう言えばそんな人居ましたね。忘れ物ですか? どうぞ持って帰って下さい」
「なに言ってるんですか…」
はぁっと深い溜め息を吐いた。よく話し合わなければ。あんなのは何でも無いのだから。拝み倒してようやく手に入れた恋人を、こんな事で手放す気はなかった。
指の間から包丁を抜いて下駄箱の上に置いた。さらに一歩踏み出せば、イルカ先生の目が吊り上がった。
「入ってくるな!」
ひゅんと飛んできたのは夫婦茶碗だった。オレが使ってる小さい方だけ飛んできた。素早くキャッチして下駄箱に置く。
「綺麗な人でしたね。デートは楽しかったですか?」
「あれはデートじゃなーいよ」
一応極秘任務だ。イルカ先生でも内容は言えなかった。苦々しい気持ちが込み上げる。
(てっきりナルト達から聞いたのかと思えば見てたのか)
受付だった筈なのに。
(どこまで見たんだろ…)
こんなに怒るところを見ると、聞かなくても分かる気がした。
話してる間にも湯飲みや箸、コップ、靴下、パンツ、座布団、枕とオレが普段使ってる物が次々飛んできた。
どれも丁寧に受け取って下駄箱に置けば、最後に顔を真っ赤にしたイルカ先生が飛び掛かって来た。
「うわぁ…」
情けない声を上げて、狭い玄関で組み手をした。パシパシ乾いた音が響く。
「出て行け!」
「いやーだよ。他に行くとこないもん」
キラッと視界の端で光る物が有り、ハッとした時にはイルカ先生の腕を後ろに捻り上げていた。
「い…っ」
悲痛な声を上げたイルカ先生の手からクナイが落ちた。
「ああ、ゴメンなさい」
慌てて腕を放した。俯いたイルカ先生がブルブル震えている。泣いているのかと思ったが、振り返ったイルカ先生は、ギラギラと燃えるような目でオレを睨み付けてきた。
「…どうして俺がこんな思いしなきゃいけないんですか。女が良いなら、さっさとそっちに行けばいいだろ。無理矢理押しかけて来たくせに…」
「今更それを言う?」
確かに最初はそうだが、今は違う。暗に閨を仄めかすと、イルカ先生の頬がかぁっと赤く染まった。羞恥のせいでなく、怒りのせいで。ビクッとイルカ先生の筋肉が震えた。
「わぁあ、ごめんなさい! ここで火薬は止めて! 火事になるから!」
動きを止めたイルカ先生の指の間に火薬玉が挟まっていた。
「今日は帰ります。明日、お互い頭が冷えたら話し合いましょう?」
それだけ言って、早々に部屋を出た。
もう、ホントにやれやれだ。
行く宛が無いので上忍待機所へ向かった。あそこは二四時間開いている。硬いソファを思い浮かべて、溜め息を吐いた。
(イルカ先生のベッドが良かった…)
さっきオレを睨み付けてきたイルカ先生の目を思い出して、欲情しそうになる。ホントなら、今夜もイチャイチャ過ごす筈だったのに。
良い目だった。思い出すだけで、何度でもイケそうだ。
(……何処か場所あるかな)
「…はぁっ」
両手をポケットに突っ込んで背中を丸めた。
翌朝、再び女の件で里長から呼び出された。
まだ何かあるのかと受付所に向かえば、里長の隣にイルカ先生がいた。もの凄く目が腫れていた。一目で泣いたと分かるぐらいに。
(うわぁ…)
「ど、どうしたんだってばよ! イルカ先生」
心当たりのあるオレよりナルトが先に声を上げた。こんな時はそうっとしておいて欲しいだろうに。
「いや…、なんでもないよ。寝ている間に瞼を蚊に刺されたんだ。それだけだよ」
明らかに嘘だと分かる言い訳に、ナルト以外の者は気まずい雰囲気に包まれた。痛々しい。
イルカ先生との関係を知っている里長なんてオレを睨んでいた。睨み過ぎて忍服に火が点きそうそうなほどだ。
(あー…)
昨日帰ったのは拙かった。やはり分かって貰えるまで話せば良かった。そうすれば、あんなに目を腫らさずに済んだだろう。
ガリガリ頭を掻いていると、咳払いした里長が話し出した。
木の葉の上忍リイチが女の里、――錠前の里に掴まったと言う。相手は捕虜交換を申し出てきた。里長はそれを受け入れる気でいたが、声を上げて反対した。
「いや、駄目です! 彼女を、ハナレを帰すのは反対です!」
刹那、イルカ先生の瞳が大きく揺れた。
(あぁ、違うの! 違う!)
急いで理由を説明した。彼女の能力を。瞳で印を結んでいたと言えば、その場で作戦が立てられ、部隊長に任命された。
作戦はすぐ実行に移され、捕虜交換の場に向かうが、すぐに戻ると言って、皆を先に向かわせた。
再び受付所に入れば、驚きの視線で迎えられたが、イルカ先生だけ視線を逸らした。
「…なんじゃ、カカシ。忘れ物か?」
「ええ、そうです」
しゃあしゃあと返し、イルカ先生の腕を引いて外に連れ出した。空いている部屋を見つけて中に押し込む。
「…なんですか、はたけ上忍」
「カカシ。いつもそう呼んでくれたデショ?」
そう言えば、イルカ先生の瞳が潤んだ。
「分かったデショ。昨日は任務だったの」
「で、でも、キス…してた」
「アレは事故。キスじゃなーいよ」
「でも…」
納得出来ないイルカ先生の瞳からポロポロ涙が零れ落ちた。
「昨日は帰っちゃってゴメンね。いっぱい泣いたの?」
「どこ…どこ泊まってたんですか…っ」
「上忍待機所。…もしかして、待っててくれた?」
しゃくり上げる度に震える肩が真実を語ってくれた。
ぎゅぅっと抱き締めても逃げなかった。ちゃんと分かってくれたのだろう。
ずっとこうしていたかったが、息を落ち着けたイルカ先生がオレの肩を押した。
「もう行って下さい」
目も鼻も頬も瞼も真っ赤なままなのに、そんな事を言う。
「待っててくれる?」
キスしようとしたら、ぐぃーっと顎を押された。
「ぐえっ」
ゴキッと首の骨が鳴った。
「したくありません」
「えぇ〜、そんなぁ…。この先ずっとキスしないつもり?」
「知りません」
むくれたイルカ先生が顔を背けた。
これ以上は時間が無い。焦る気持ちを抱えながら任務に向かった。
追い詰めた女を逃がした。殺す必要を感じなかったから。
後からやって来た子供達に死んだと伝えれば、ナルトがアホな事を言い出した。
「もしあのネェちゃんがホントにカカシ先生のこと好きだったとしたら――」
「やめろ! くだらない。ホントくだらない。くだらないよ!」
ナルトの口からイルカ先生に伝わるように何度も言っておいた。
受付所で報告を済ませると、ちょうどイルカ先生の任務が終わる時間だったから一緒に帰ろうとしたら、イルカ先生は先に子供達に誘われて一楽に行ってしまった。
屋根の上からイルカ先生を眺めた。
「それでさ、カカシ先生ってば『くだらない』って何度も言ってよっ。あんなに冷たいなんて思わなかったってばよ!」
「ほらナルト、食べるか喋るかしないと、さっきから汁飛ばしてるぞ」
イルカ先生がナルトの口許をおしぼりで拭ってやる。その頬に安堵が浮かぶのを見て、オレもまたホッとした。
子供達と別れたイルカ先生を、角を折れた先で待った。オレを見つけたイルカ先生は一瞬足を止めたけど、ぷくっと下唇を尖らせてやってきた。
「…来たって、何も食べるものありませんよ」
「いーよ」
足早に歩くイルカ先生の隣に並んだ。嬉しくって、グイグイ体を押し付けてもイルカ先生は怒らなかった。
イルカ先生の頬が、少しばかり嬉しそうに緩む。可愛くって、ついからかいたくなった。
「ねぇ、イルカ先生。昨日は受付任務だったよね。心配でオレを見に来てくれたの?」
「違います! おつかいで商店街にお団子を買いに行っただけです。それだけです」
くのいちと唇がくっついた場所は里の外れだったけど黙っておいた。
ツンツンし直したイルカ先生の頬を夕日が撫でた。そこへキスしようとすると、顔を背けられた。
「イルカ先生、キスしたいよ」
「………口布」
「え?」
「これからは口布したままキスしないでください」
言葉が浸透するより早く、口布を下ろしてキスをした。唇を押し付けて、肉厚の唇を挟み込む。吸い上げると、イルカ先生の体が小さく震えた。
「んっ」
零れた吐息が唇に触れた。
「…イルカ先生、早くおうちに帰ろ」
「…ん」
額をくっつけると、イルカ先生がこくりと頷いた。手を引いて歩き出す。
オレンジ色の空に一番星が輝いていた。
end