あぶく
「食事に行きませんか?」
唐突に誘われて頷いたのは、やはり嬉しかったからだと思う。実際出掛ける準備をする俺の顔は笑っていたし、待ち合わせの場所に向かい、彼を見つけた時も笑顔になった。
黙って後を付いてくる黒い制服を着た人が気になったけど、彼は気にしなくて良いと言った。
「護衛みたいなもんだから、どこでもついて来るんだーよ」
言われて、ああそうかと思う。彼はとても強い忍だった。彼以上に強い忍がこの里にいないほど。
六代目に就任したのはいつだったか…。彼と知り合ったのは更に前だった。俺の教え子が彼の部下になったのだ。その頃はあまり話した事は無かった。受付所で会えば挨拶をする程度。教え子が彼の手を離れれば、会う機会すら失った。
「ココの料亭、美味しいんですよ」
連れて来られたのは、自分一人では絶対に入れない高級料亭だった。豪奢な造りに目を奪われた。出された料理はどれも美味しかった。話も弾んで、楽しいひとときを得た。
「ココの二階で休憩出来る様になってるんです。ちょっと休んで行きませんか?」
そんな言葉で誘われて、階段を上った。ほろ酔い気分だったせいもある。それからこの先の展開に興味があったのも。
部屋に通され、そこは休憩所と言うよりはホテルの一室だった。窓際に大きなベッドが置いてある。
食事の間、ずっと傍にいた黒服の人――そうだ、名前をテンゾウと言った――は、部屋の中までは入って来なかった。二人きりになり、他に座る所が無くてベッドに腰掛けた。
「ねぇ、見て。庭があるよ」
誘われてベッドに上がって窓際に寄った。彼との距離が近くなる。肩が触れそうなほど傍に居た。
窓の外は暗くて、繁る木の影しか見えない。
「あ、これってお風呂に入れるヤツですかね」
窓辺に置いてあったアメニティーグッズを手に取り、無駄にはしゃいだ。
「バスソルトじゃない?」
彼も話に乗って、俺の手元を覗き込んだ。お風呂、を想像してドキッとした。この後入るだろうか?
手を引かれ、ベッドに横になった。
「酔っちゃったね」
寝転んでクスクス笑う。顔がとても近かった。でも彼は笑って俺の顔を見ているだけだ。俺からキスした方が良いんだろうか?彼は愛妻家でとても有名だった。俺から動かなければ、きっと何も始まらないだろう。
俺はカカシさんの頬を包んで唇を重ねた。俺がキスしても彼は何も言わない。薄く唇が開いたから舌を差し込んだ。互いの舌を擦り合わせる。ぬるぬるした感触が気持ち良い。
カカシさんの舌が俺の口の中に入ってくる。頬が燃える様に熱くなった。火照った耳にカカシさんが触れた。唇が離れ、舌の代わりに指を差し込まれた。
「舐めて」
言われるまま、舌を動かした。
きっと今日、俺が呼ばれたのは望まれたからだ。行為を。そんな予感が誘われた時から心の片隅にあった。期待、と言っても良い。
カカシさんは指を舐める俺を笑って見ていた。それ以上は何もしない。だけど指を舐める行為に、とても性的な意味が含まれているのを知っている。求められているのは指ではなく――。
どうして?と聞きたくなったが、聞いてはいけない気がした。聞けば、この夢みたいなひとときが弾けてしまうだろう。
俺は黙って彼のベルトを外した。ズボンのホックを外し、中に手を入れる。下着の上から彼の性器を掴んだ。そこでカカシさんを見ても、やはり何も言わない。
初めて他人のモノを握ったが、気持ち悪いと思わなかった。俺は掴んだ手を上下に動かそうとした。でも下着越しなのと勝手が違うのでぎこちない動きしか出来なかった。
(上手くやらなければ)
彼が気に入るように出来なければ次は無い。不器用にカカシさんの性器を握り続けた。
(舐めた方が良いだろうか?)
ちょっと思ったが、これ以上は風呂に入ってからで無いと嫌だ。初めて抱き合う体だし、そこまで受け入れられるほど、俺はカカシさんを知らなかった。
「…これ以上は、お風呂に入ってからで無いと嫌です」
俺がそう言うとカカシさんは薄く笑った。俺の取り越し苦労だろうか。カカシさんにその気はないのか。
不安になる前にカカシさんは言った。
「そうだね」
体を起こしてバスルームに向かう。シャワーの音が聞こえて、俺はぼうっとベッドに横たわったままでいた。
(本気なのかな…)
未だ現実味が無かった。これから先を想像してみる。
(…嫌じゃない)
彼に、抱かれても良いと思っていた。
シャワーの音が止み、カカシさんが部屋に戻ってきた。だけど後ろにテンゾウが居て、カカシさんは服をちゃんと着込んでいた。
「ゴメンね、任務が入っちゃった。もう行かなきゃ」
「そうですか…」
俺はそれしか言えなかった。胸に寂しさが広がる。
「今日は楽しかったよ」
彼はそれだけ言って部屋を出て行った。テンゾウが俺に軽く会釈して、彼の後を追った。
ポツリと部屋に残される。次の約束も何も無かった。
独りになった部屋で考えた。今日は計られた気がする。俺がこの先、情人としてやっていけるかどうかを。余計な事を言わず、口外せず、この関係を受け入れられるか。
(次はあるのかな…)
すでに構わないと思っている自分が居た。奥さんが居る人なのに。火影の立場もあるのに、それでも別の誰かを必要とするなら。それで俺を選んだのなら、――俺は構わない。
だけど続けていけるだろうか。日が経てば、心が折れやしないか。寂しさに耐えかねる予感がひしひしとした。
(俺…、カカシさんを好きだ)
この気持ちはそう言うことだ。だから俺はこんな関係でも我慢出来るだろう。もうすでに寂しくなってしまっているが――。
ぱかりと目を開いて、辺りの暗さに戸惑った。
(あれ?)
ぱちぱちと瞬く。
「どーしたの?イルカせんせぇ」
カカシさんが寝ぼけた声を上げた。気配で起こしてしまったらしい。隣で眠る人の温かさに、現実が蘇ってくる。
(そうだ、俺はカカシさんの恋人だった)
変な夢を見たと不思議な気分になった。まだ夢の余韻が体の中に残っている。
「なんでもありません。夢を見ました」
「夢…?」
再び寝かかっているカカシさんが、俺の言った事をオウム返しに繰り返して目を閉じた。俺を抱き寄せ、寝ようとばかりに深い息を吐き出す。
「俺、愛人になってました」
「愛人!?」
ガバッとカカシさんが起き上がった。
「なに、浮気する気なの?それとももうしてるの?許さないよ!」
さっきまで寝ぼけていたくせに凄い剣幕だ。
「相手は誰!?」
物騒な気配で聞くのに、カカシさんを指差した。
「ン?」
「カカシさんです。夢の中で、カカシさんの情人になりかけてました」
「ああ、夢…」
脱力して布団に戻って来る。
「どんな夢だったの?」
掻い摘んで夢の内容を話した。カカシさんが六代目だった事。奥さんがいる事。誘われて食事に言った事。その後部屋に入った事。
「もー、どうしてオレに奥さんがいるの。オレはイルカ先生一筋デショ〜。火影にはなり損ねたし。イルカ先生はすぐ流されるから心配!」
「流されてません」
「だって。シテも良いって思ったんデショ?すーぐ絆されるんだから…」
責められては面白く無い。少なくとも、夢の中で俺は悲しかったのだから。
「俺に情人は無理です。すぐに寂しくなりますから。だからカカシさんに他に好きな人が出来たら、すっぱり別れて、すぐに忘れますから」
言ってる傍から寂しくなるのが悔しい。
「もう寝る」
「ん」
ふて腐れて目を閉じたが、だんだん腹が立ってきた。カカシさんから振動が伝わってくる。
「なんで笑ってんですか!むかつく!」
髪や頬を掴んでぎゅーっと引っ張った。
「イタッ、イタイって。だって…イルカ先生、情人はイヤだけど、オレの情人なら良いって言うんだもん。可愛いなぁと思って」
「言ってない!」
「言ってる〜」
怒り出すと本気で腹が立ってきて、夢の中の哀しさとごっちゃになる。
「言ってない!情人なんか嫌だ!」
「ハイハイ」
無理矢理頭を抱き込まれ、ぽんぽんと撫でられた。
「オレはイルカ先生を情人になんてしないから、安心して眠っていーよ」
頭の天辺に吹き込まれて、とろんと瞼が重くなった。
(ならいい…)
欲しかった言葉に腕を引かれ、再び眠りの中に落ちていった。