カカシ先生へ
昼間、中庭で弁当を食べているときだった。1羽のスズメがぱたぱたと飛んできて腕に止まった。
(おわっ!かわいい!!)
内心の動揺を隠してスズメを驚かせないようにした。野生の鳥が人に懐く事はない。日々、弁当の米を撒いて餌付けしていたのが、やっと実を結んだのだと思った。
「ちちち、おいで……」
そうっと、空いている手の一差し指を出してみた。
だけど様子が違う。このスズメは左目にケガをしていた。目蓋の上に縦に走る傷がある。
「……カカシさん?」
名前を呼ぶとスズメはぽふんと煙を上げて、一枚の手紙に姿を変えた。
(なんだ……)
大いにガッカリしながら、何の用だと手紙に視線を落とす。ところが、この手紙がカカシさんから来たものでないことはすぐに分かった。だって、『元)童貞カカシの恋人であるイルカ先生へ』って書いてある。
(ラ、ラブレターだ!)
さっと手紙を伏せて辺りを見回した。鼓動がトクトクと早くなる。誰も居ないのを確認して、むふふと頬が緩んだ。
ラブレターを貰うなんて久しぶりだ。カカシさんと付き合うようになってから、他からのお誘いがぴたっと無くなっていた。俺が「付き合えない、無理なんだ」と、断る機会すらない。
いきなりモテなくなって、自分でも気付かない内に、周りが不快になるようなことをしてるんじゃないかと心配になったが、そうじゃなかった。
例えカカシさんという恋人が居ても、好意を寄せられるのは嬉しい。しかも相手は強者だ。俺がカカシさんと付き合ってる事を知ってて手紙をくれた。『元)童貞』なんて挑発的なことまで書いてある。……ん?
(……なんでそんなこと知ってんだ?)
――まさか、カカシさんに粉をかけた人じゃないだろうな?
頭の中に、『カカシさんに言い寄って振られた女の人』の構図が浮かび上がった。
(腹いせじゃないだろーな?)
『オレは好きな人じゃないとエッチしなーいよ』
と、カカシさんに断られた人が俺を陥れようとしているんじゃないだろうか?
それともカカシさんが童貞なのは、色事に疎いアスマさんが知ってたぐらいだし、上忍の間じゃ有名なのだろうか。
過去の経験が、安易に物事を鵜呑みにするなと警告してくる。
むむむ、と眉間に皺を寄せて手紙をひっくり返した。浮かれた気持ちはすっかり消え去っていた。綺麗な文字で綴られた文章を読み進める。
(だ、だ、誰だ、コレ?!)
あまりの衝撃に、パクパクと口を開いた。驚いた事に、手紙は「はたけカカシ」から届いたものだった。だけど俺の知ってるカカシさんじゃない。異世界からのカカシさんからだった。
(し、知ってるぞ……!)
こう言うのを多次元宇宙って言うんだ。つまり、『我々の世界と併存すると考えられる異次元の世界(by 大辞泉)』だ。子供のころからこの手の本を良く読んでいた俺は、すんなりこの事態を受け入れた。
それより関心が高かったのは、同じカカシさんでも全く性格が違うってことだった。俺のカカシさんはこんなにエリート然としていない。手紙の中のカカシ…先生は(ややこしいので呼び分けることにした)、いかにもデキる上忍ってカンジだった。俺のおこちゃまカカシさんとは違う。
住む世界が違えばこうも違うものなのか。へ〜と感心しながら改めて手紙を読み直した。
手紙は、俺がカカシさんと付き合ってるのを不思議がっていた。
(何故って聞かれても、カカシさんと付き合ったのは『たまたま』だしな)
童貞だから付き合ったワケでも無いし、そもそも俺はカカシさんを食い逃げするつもりだったから、付き合う気なんてこれっぽっちも無かった。
(でもカカシさんが俺のこと恋人って言ったから……)
初めてカカシさんと寝た日の朝を思いだしてくすぐったくなった。あの時のカカシさんは可愛かった。
そんなことを思いだしていたら予鈴がなったから、俺は手紙をポケットに仕舞うと慌てて弁当の残りを掻き込んだ。午後の授業が始まるから返事を書くのはまた後だ。
次に手紙を引っ張り出したのは放課後になってからだった。
(なんて返事しよう…?)
こんなに丁寧な手紙を貰っておいて、『たまたま』とだけ返事するのは気が引けた。かと言って、『たまたま』以上の理由が在るかと問われると……。
(ねぇよな…)
はーっと溜め息を吐く。俺は手紙を書くのが大の苦手だ。
「イルカせーんせ!」
いきなり声を掛けられて、広げていた手紙を握りつぶした。
「カ、カカシさん!」
「どーしたの?」
咄嗟に背中に手紙を隠すと、カカシさんが不思議そうに小首を傾げた。
「ソレなぁに?」
「任務依頼書です」
「えっ!イルカ先生任務受けるの?」
大仰に驚くカカシさんにコクンと頷いた。嘘を吐いてしまったが、手紙を貰ったと知れるとややこしいことになりそうな気がした。
「じゃあオレ、サポートの申請だしてきます」
「はぁ?中忍が受ける任務に上忍がサポートに就けるワケないでしょ」
「やだ!行きます。イルカ先生を一人で行かせるのは心配です!」
「失礼だな、おい」
次第におろおろ、うるうる涙目になっていくカカシさんに「落ち着け」と溜め息を吐いた。
「誰が里外だと言いました。文書を作るだけだから里の中にいますよ」
「ホント?イルカ先生、どこにも行かない?」
「行きません」
「良かった」
安心した顔で笑うカカシさんにやれやれと思う。カカシさんは過保護なほど俺に甘い。こしこしとボサボサの頭を撫でてやると、カカシさんが頭を下げた。もっと撫でてくれって意味だ。
「イルカセンセ、あのね。待ってるから一緒に帰ろう?」
ようやくカカシさんがここに来た理由を知る。
「いいですよ」
ぽわっと少しだけ見えてるカカシさんの頬が薄桃色に染まってくすぐったくなった。子供っぽくても、少々お馬鹿でもカカシさんは可愛い。
門の所での待ち合わせを約束すると、職員室へ鞄を取りに行った。ズボンの後ろポケットにツッコんだ手紙がカサカサ音を立てた。
(いつ返事書こう?)
手紙の内容よりも、時間と場所を確保する方が難しそうだった。
夕食の後、カカシさんの使うシャワーの音を確認して手紙を広げた。出したり仕舞ったりしている内に紙がボロボロになってきた。俺の性格を反映している。新しい便せんを取り出すと、「よし」と鉛筆を握った。
書き出しはやはり『拝啓』だろうか。便せんの左上に『拝啓』と書いて固まった。公式文書ならともかく、私的な手紙で『拝啓』なんて使ったことはなかった。
(続きはなんて書こう?)
手紙に対する返事は『たまたま』だが、それではダメだと脳みその奥から声が届いた。もっとよく考えろと脅迫的な思考が届く。
(…いいじゃないか、たまたまで)
だってカカシさんと付き合ったのなんてたまたまだ。あの日そばに居たのがカカシさんなだけだ。きっと別の人が傍に居たらその人と寝ていたかもしれないし、俺の場合、付き合いの始まりなんてそんなものだ。
(……でもな、カカシさんとは良く保ってるよな)
別れの気配が全く見えない。だんだん俺ンちに入り浸るようになったカカシさんに、ほっといたらずーっとこんな日が続きそうな気がした。ちなみに、カカシさんに肉体的な期待は全くして無い。俺にとってソコはさほど重要じゃなかった。
「う〜ん」
頭を捻りながら手紙を読み返す。読めば読むほど、カカシ先生は俺の知るカカシさんと別人だった。あっちの俺も俺とは違う性格だし、どんな環境で育ってきたのか気になった。アスマさんのことは好きになったりしなかったのだろうか?『おねだり上手』なんて、俺は一生掛かってもカカシさんに言って貰えないだろう。やっぱりカカシさんも男だし、可愛い方がいいんだろうか?
「…………」
手紙を畳んで、ころんと寝転がった。そんなこと言われたら、擦れている俺に可愛い要素なんてちっともなかった。性格だってお世辞にも良いとは言えず捻くれていた。色だって好き勝手やってきたからくすんでいる……。
思考がぐるぐると渦を巻いて沈んでいくのを感じた。
周囲が俺のことをどう思っているか知っている。概ねそれは合ってるし、今更そのことで傷付いたりしない。だけどカカシさんは綺麗な人だから、俺なんかでいいのかと思わないでもなかった。ずっと里外に居たからカカシさんは俺の事を知らない。俺のことを知ったら、カカシさんも離れて行くんじゃないだろうか。だって俺は――……。
「いーるかせんせ、寝ちゃったの?」
いつの間に風呂から上がったのか、カカシさんの声がすぐ傍で聞こえた。目蓋を開けると、ぽたっとカカシさんの髪から滑り落ちた水滴が頬を流れた。むっとして起き上がるとカカシさんを睨み付けた。
「カカシさん!髪がまだ濡れてますよ」
「ゴメンなさい!イルカ先生やって…?」
甘えた声でタオルを差し出されて、しぶしぶ髪を拭いてやった。カカシさんの頭が重く垂れ下がり、がしがし手を動かす度にきゃっきゃと笑い声が上がる。そのうち、ぺったりと俺の膝に頬を付けて、心地よさそうに目を閉じるカカシさんの髪を手櫛で梳いた。銀色の髪が濡れて光る。タオルを置くと、パチッと目を開けたカカシさんが起き上がった。軽くなった膝を残念に思っていたら、カカシさんが両腕を広げた。
「イルカ先生、だっこ」
子供みたいに強請るくせに、実際に抱っこされるのは俺の方だ。カカシさんの膝の上に乗って広げられた腕の中に収まると、きつく背中を抱かれた。むふーっと音を立てて首筋で息を吸い込まれて気恥ずかしくなった。まだ風呂に入って無くて汚れたままなのにカカシさんはお構いなしだ。
「ちょっと、止めて下さいよ!俺まだ風呂に入ってないんですから」
額を押し退けようとするとカカシさんが凄い力で抗った。
「いやーん!もっとぎゅう!ぎゅうってするぅ!」
返ってしがみ付かれる羽目になって脱力した。大人しく腕の中にいると、カカシさんはご満悦で俺のことを抱き締めている。そこに性的は色は無く、だからこそ伝わることがあった。求められているのは『俺』なんだと、体だけじゃなく、俺自身が求められているんだと確信出来た。
ホントは知ってた。
カカシさんは俺が一番欲しかったものをくれる。手を伸ばそうにもどうしようもなくて、諦めていたものを、カカシさんは惜しげもなく与えてくれた。だから一緒にいるのだ。
カカシさんの背中に腕を回してぎゅっと抱き締めた。重なった胸からドキドキと高鳴るカカシさんの鼓動が伝わった。急にもじもじして、俺を膝から下ろそうとする。カボチャになったパジャマのズボンが別の意味で膨らんでいた。
「イ、イルカセンセ…、あのね…」
この人がたまらなく好きだ。
「お風呂入ってきますから、上がったらエッチしましょうね」
「……ウン!」
膝の上から立ち上がると、期待に満ちた目が俺を見上げた。正座して俺を見送るカカシさんに手紙の返事が浮かんできた。
夜、素っ裸で俯せに眠るカカシさんを残してベッドを下りた。月夜に眩しいカカシさんの真っ白なお尻を横目に筆を執り、数行綴ると鳥に換えて夜空に放った。
肩の荷が下りた心地で布団の中に潜り込むと、すぐにカカシさんの腕が体に回った。
「いるかせんせ……」
むにゃむにゃと寝言で呼ばれて頬を緩めた。鳥はきっとカカシ先生の元へ飛んでいくだろう。手紙を受け取るカカシ先生を思い浮かべている内に眠りに包まれた。
カカシ先生へ
俺達は上手くやってます。安心してください。
カカシ先生もそっちのイルカとお幸せに。
P.S. スーパーハードジェルはカカシさんの寝癖を整えるのに役立ってます。
end