月夜の晩に
月の明かりに目を覚ました。
障子の枠がくっきり浮かび上がるほど外が明るく、そっと布団から抜け出すと廊下に出た。
向かいの部屋の障子を開け、いつものように広がる畳に障子を閉めると長く暗い廊下を進む。
一人で居てもこの家を怖いと思ったことはなかった。
居間まで来て、寝る前に閉めたはずの障子が開いていて鼓動が逸る。とうさん・・?
数ヶ月前に見た父の姿を思い浮かべて部屋の中を覗いた。
そこに人の姿は無く、だけど開いた障子の向こうに縁側に座る父の姿を見つけた。
月の光を浴びて銀色の髪が黄金に光り、柔らかな笑顔を浮かべている。
初めて見るその笑顔に、数ヶ月に及んだ父の任務が上手くいった事を知って嬉しくなった。「とうさん・・!」
おかえりなさい!
そう続くはずの言葉は、障子の影から見えた手に飲み込まれた。
父の隣に居た誰かが、手を突いてオレを振り返った。
月の光りに包まれた黒い輪郭がオレを見て目を細め、首を傾げる。「こんばんは」
「こ、こんば・・」初めて目にする人に、どぎまぎと挨拶を返そうとして喉が詰まった。
父の表情からさっきまでの笑みが消えている。
微笑んではいるが、――オレは自分がここに来てはいけなかった事を知った。「カカシ、ちゃんと挨拶しなさい」
「サクモさん、いいんですよ――」
「・・こんばんは」
「はい、こんばんは」立ち尽くすオレに柔らかな笑みが向けられる。
その笑顔に、さっきまでの父の笑顔が重なった。
あの笑顔は、この男が父に与えたもの。
「こっちにおいで」
手招きされて父の顔を窺った。
表情の動かない父に首を振る。「・・もう眠いから・・・」
「そっか・・。おやすみ、カカシくん」
「おやすみなさい」
「おやすみ」そう言った、父の顔が喜んでいるような気がして泣きたくなった。
長い廊下を進んで自室へ戻る。
母が出て行き一人になったこの家で、哀しいと思ったことはなかった。
無骨な指が髪を梳いて頭皮を撫ぜた。
心地よい感触に、膝に頭を乗せたまま、もっとしてと無言で強請る。
目を開けると、柔らかな笑みが降り注いだ。
その笑顔に過去の記憶が重なる。
手を伸ばすと、顔が近づいて鼻の上の傷が浮かび上がった。「イルカ」
傷に指を滑らせると、イルカが甘えるように手の平に頬を押し付けてくる。
あの男は、父にこんな姿を見せただろうか・・?
ふと浮かんだ疑念を消してイルカに触れた。
月の光りがイルカの黒い輪郭を覆う。
起き上がり、手を引くとイルカは黙ってついて来た。
そのまま寝室へ行かずに居間で押し倒す。
三人が二人になって、二人が一人となって、一人が一人と二人になって、また一人になって――。
二人になった。
今は、起こったすべての月の流れに感謝している。