虹色の欠片 sample
空が高く、窓から入る風が涼しくなってきた。過ごしやすく、爽やかな季節だ。
「ねぇ、させてよ」
夕方の受付所は非常に混む。目の前の書類に意識を集中させ、受領のハンコを押した。
「お疲れ様でした。次の方、どうぞ」
「ねぇってば」
斜め前に手を伸ばし、遠慮がちに差し出された報告書を受け取った。
隣も、その隣も長蛇の列だ。こんなに混んでいるのに、俺の前だけ列が無かった。ただ一人、机にへばり付くようにしてしゃがんだ忍が目の前にいるだけだ。
「イルカ先生聞いてる?」
(聞いてません)
心の中でだけ返事して、報告書に目を通す。
「ねぇ!」
大きくなった声に周りがビクッとした。これでも彼は『里の業師』『コピー忍者』と呼ばれる凄腕の上忍だ。
机の下で隣の同僚が俺の足を蹴る。ふぅっと嘆息して視線を向けた。
「何ですか? はたけ上忍」
「だからさっきから言ってるじゃない。させてよ」
『させてよ』
音にすると『サセテよ』だ。非常に軽い。
じーっと目を覗き込む。片方だけ見えている目が細く撓んだ。
「…冗談は止めて下さい」
何度も口にした言葉を繰り返し、ポンとハンコを押した。
「お疲れ様でした」
ホッとした顔で任務を終えた忍が去る。
「冗談じゃなーいよ。何度もそう言ってるデショ」
「冗談にしか聞えません」
彼も俺も男だ。それに階級差もある。彼は上忍で俺は中忍。カカシ先生とは教え子を通して知り合った。今年、アカデミーを卒業した子供達の師となったのがカカシ先生だった。
初めは喜んだ。凄い人が師になったのだと。それに『写輪眼のカカシ』と呼ばれる人物に憧れもあった。
だが引き継ぎに彼は現われず、後に子供達に連れられてやってきた彼に挨拶をして、開口一番に言われたのが「させて」だった。
何を言われたのか分からなかった。なにより子供達の前だ。脳がもっとも結びつきそうな言葉を選ぶのを拒んだ。
何かの暗号か、それもと別の意味があるのか惑う俺を見て、クスリと笑ったカカシ先生の手が俺の頬や唇を撫でた。
ショックだった。性的な意味で誘われたのだと知って、カァッと頭に血が上った。それでも子供達の前だったから爆発しそうになる感情を堪えて、用があるからと足早に去った。
――あんな人物だったなんて。
想像と違い過ぎた。
その時の反応が面白かったのか、会う度にからかわれている。時と場所を選ばないのが困りものだ。
受付所に火影様がいらっしゃれば、からかわれることもないが、今日みたいに不在だと長居した。
カカシ先生を注意出来る忍はいない。
「ねぇ、今夜は? ここが終わったら付き合ってよ」
うかうか付いて行けば、どうなることやら。
「次の方どうぞ」
斜め前に手を伸せば、カカシ先生がムッと口を尖らせた。その姿に恐れを成したのか、報告書はやって来ない。
「はたけ上忍」
「カカシ。どうして他人行儀に呼ぶの?」
(他人じゃないか)
それでも普段は『カカシ先生』と呼ぶが――、今は距離を置く為に態と『はたけ上忍』と呼んでいた。
拗ねた顔で目を伏せる姿はとても里の誉れに見えない。ふぅっと何度目かの溜め息を吐いて口を開いた。
「すみません。混んでいるので、ここに居られると迷惑です」
ぎょっとした同僚に足を強く蹴られたが無視した。
しゃがんでいたカカシ先生が立ち上がる。俺を見下ろす目に怒りはなく、どちらかと言えば哀しんでいるようだった。
「酒酒屋で待ってる」
「行きません」
「来るまで待ってるから」
カカシ先生は別れ際の恋人の様なセリフを残して背中を向けた。
「行きませんよ!」
去って行く背中に叫んだが無視された。
カカシ先生が受付所を出て行き、緊張した空気が緩んだ。何人かがカカシ先生の後を追って出て行き、隣の列が崩れて俺の前にも人が並んだ。
どうぞ、と声を掛けようとしたが、真っ赤な口紅のくのいちにやたら忌々しげに睨まれて口を噤んだ。
「良い気になってんじゃないわよ」
「……報告書をどうぞ」
カカシ先生が来た後はこれだから困る。乱暴に差し出された報告書を受け取り、目を向けた。
「カカシはアナタになんて興味ないんだから。からかわれてるだけよ。分かってる?」
(わかってるさ)
書類に集中する振りで無言を通す。
「ちょっと、聞いてるの!?」
ポンとハンコを押して、書類を受領箱に入れた。
「ご忠告ありがとうございました。次の方」
くのいちの後に視線を向ける。
「ほんっと生意気な中忍」
まだ何か言われるかと思ったが、くのいちは去った。
「お前も大変だな」
ぼそっと同僚が言う。
「なんだよ、さっき足を蹴ったクセに」
「だってお前、言い方ってもんがあるだろう? …で、行くのか?」
「行かないよ」
好奇心旺盛な目に答えた。
「あんなの冗談に決まってるだろ」
「だよな!」
納得した顔で同僚は頷き、――仕事に戻った。
と言う、原作設定なお話です(´▽`)ノ